手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

 

 長く舞台活動を続けていると、雪に関していろいろな話があります。ほとんどは雪のお陰で迷惑した話です。

 

 私が20代後半の頃、ショウの出演に出かけようとして駐車場から車を出そうとした時でした。その頃は常盤台のマンションで生活していて、マンションの向かいの民家にある屋根付きの駐車場を借りていました。

 外は前の晩から雪が降っていて、道路は10㎝ほど雪が積もっていました。雪の対策を考え前日、チェーンを買っておきましたので、早速チェーンを取り付けました。チェーンの取り付けは初めての経験です。

 四輪前部にチェーンを取り付けるのに1時間かかりました。全て外の作業ですので手足はかじかんでしまい、自分の指ではないくらいに感覚がなくなっていました。

 さてチェーンを装着して、車を出そうとすると、車のヘッドが木造車庫の庇に当たります。元々屋根の低い車庫でしたが、それでも車が出られないことはなかったのです。「なんで当たるんだろう」。外に出てじっと考えました。

 そして結論が出ました。チェーンを付けたことで車高が上がったのです。ぎりぎりの庇の高さでしたから、そんな結果になったのでしょう。そこで一度取り付けたチェーンを外し、車を外に出してから再度チェーンを取り付けることにしました。

 チェーンを外し、車を車庫から出そうと動かします。ところが、車庫の庇が車に当たります。「一体どうしたんだ」。何が起こったのか見当もつきません。このままでは車を車庫から出すことが出来ないのです。

 そこで一度外に出て、マンション側から車庫を眺めました。分かりました。雪の重みで屋根が下がってしまったのです。やわな駐車場ですから、柱も細く、雪の重みに耐えられなかったのです。

 仕方ありません。車に入れた荷物を一度出し。手に持てるだけの荷物にまとめ直し、それを手で運び、仕事先に電車で行くことにしました。雪道ですのでスーツケースの車輪は全く使えません。全て抱えて運びます。

 道路は10㎝以上雪が積もっています。スーツケースは4つです。4つのスーツケースは一度に運べません。先ず、2つを抱えて50mくらい先まで運び、戻って残りの2つを抱えて100m先まで持って行きます。そんなことを繰り返して駅まで荷物を運びました。

 雪であることを予測して、時間にゆとりを持って行動していましたので、仕事に遅刻をすることはありませんでした。

 然し、仕事先の楽屋について、下着をすべて脱いで、洗面所で絞ると、塩気を含んだ水がザーッと落ちました。汗がここまで下着に溜まったのを始めて見ました。ペットボトル1本分くらいの汗だったと思います。若かったから何とも感じずに行動しましたが、今だったらできるかどうか。

 

 小田原の幼稚園の卒園式でマジックをすると言うときも朝から雪でした。東京はさほどの雪でもなかったのですが、場所は小田原ですから、この先に何が起こるかわかりません。この日はイリュージョンショウの依頼でしたから、男性2人、女性2人、そして私の5人編成でした。私は万が一の対策を考えて、女性アシスタント1人を連れて、新幹線で先乗りしました。残り3人は車で道具を運んでもらいます。通常小田原までなら、1時間ないし1時間30分で到着します。幼稚園の卒園式は早くに始まります。午前10時30分にはショウが開始されます。

 車は朝6時30分に出ました。通常なら何ら問題なく8時半までには小田原に到着する予定です。ところが、どんどん途中から雪が強くなってきました。

 車には当時珍しかった携帯電話を積んでいます。肩に下げると肩が食い込むほどに思い携帯電話です。これを車のチームに預け、逐一居場所を市民会館や、幼稚園に電話するように伝えました。

 一方、私とアシスタントは新幹線で難なく朝8時には小田原に到着していました。市民会館はまだ空いていませんので、駅の喫茶店で時間をつぶしていました。

 朝9時に市民会館に入ると、私とアシスタントは、鳩出しと喋りの小ネタの準備をしました。とにかく私が来ていれば、最低でも30分、喋りながら演技が出来ます。仮にイリュージョンが間に合わなくても、ショウが出来ないと言うことはありません。然し、幼稚園のパンフレットを見ると、「東京イリュージョン来演!胸のすくようなイリュージョンの数々をお楽しみください」。何て宣伝文に書いてあります。

 そんな風に宣伝されていながら、私が舞台に上がって卵の袋だの、リングだのを喋りながらやっていたのでは詐欺です。何とか間に合えばいいが。と神に祈っていました。

 ところが、電話では車は近くまで来ていますが、まだ市民会館まで来ていません。そうこうするうちに出演時間が来ました。幼稚園の関係者は、「先生、他のアシスタントはまだ来ないのですか」。と心配しています。

 私は、「大丈夫です、すぐそこまで来ていますので、私が演技をしているうちには来ます」。と言って涼しい顔をしています。然し内心気が気ではありません。結局、道具もアシスタントも来ないまま時間になりました。やむを得ません。音楽を流して鳩出しを始めます。幼稚園児たちは大喜びです。

 私が鳩を出して、アシスタントに一羽目の鳩を渡した時に、アシスタントが小声で、「先生、今車が駐車場に着きましたよ」。と言いました。私は、「それならまず胴切りと浮揚の大道具を上げなさい」。と指示しました、またアシスタントが二羽目の鳩を取りに来たときに、「胴切りと浮揚を上げました」。と言うと、私は「他の道具は組み立てに時間がかかるから、とりあえず二つ道具を上げたなら衣装を着かえてスタンバイしていなさい」。と指示を出しました。

 彼らは何が何だかわからないまま舞台袖にスタンバイしました。そして、私がサムタイを演じた後に、胴切りと浮揚を演じ、そのあと12本リングをしている間に、イルミネーションの剣刺しボックスを組み立て、ガラスの交換箱を組み立てて、出来た順から演じました。結局喋りとイリュージョンで1時間ショウを滞りなく演じました。

 全く一寸先は闇の状況から、何事もなくショウが出来たことは幸いでした。主催者は誰一人ぎりぎりの状況でショウをしたことに気付いていませんでした。

 帰り道、チーム全員にレストランに立ち寄り、みんなに食べたいものをご馳走しました。その間も窓の外の雪は深々と積もっています。雪を眺めながら、「私はつくづく幸運な男だ」。と実感しました。

続く