手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大阪福井公演

大阪福井公演

 

 26日が大阪ZAZAの公演。27日が福井フェニックスホールの公演。28日が福井こども歴史文化館の公演。それに先立って、私は、昨日(24日)から関西に出発しました。

 朝に東京を立って、10時40分に京都。そこから近鉄電車に乗って奈良へ、近鉄電車と言うのは東京に住む者からすると滅多に乗ることはありません。

 新幹線から接続する近鉄の特急はほとんど待たずにすぐに発車しました。二階建ての車両はとてもきれいです。奈良まで1時間、特急料金と合わせて1200円くらい。高いか安いかはわかりませんが、退屈することなく奈良へ、

 少し時間があるため近くで食事をと考え、駅近くのレストラン街のイタリア料理店に入りました。比較的新しく整備された飲食店街らしいのですが、人通りがあまりありません。

 この時、周囲の雰囲気を察して、もう少し店を選べばよかったのですが、あまり時間がないのでとりあえず入りました。これがそもそも大失敗でした。

 店構えは奇麗でしたし、ランチでビーフシチューのセット、1300円は、手ごろな値段です。あまり期待はせずに、とにかく普通に料理が出たならそれでいいと思って待っていると、葉野菜の前妻と小鉢がいくつか出て来て、パンにオリーブオイル。そしてビーフシチューが出て来たのですが。これが人生で最も不味いビーフシチューでした。

 そもそも出てきたものはビーフシューですらありませんでした。トマトベースのケチャップのような汁(まるでケチャップのような味でした)に、既に湯通ししてある、牛肉と、野菜がパラパラとちりばめてあるだけのもの。

 牛肉はまったくぱさぱさで、汁と一緒に煮込まれた形跡はなく、料理らしい味がしませんでした。野菜もほとんど生で湯通ししただけのもので、汁とまったく絡んでいません。どちらもただ乗せた状態。幾らランチのメニューだからと言って、シチューでもないものをシチューと言って売ってはいけません。

 私は紙ナフキンに、「幾らランチだからと言ってあまりに客を馬鹿にしている。こんな料理を出して恥ずかしくないのか」。と文句を書いてウェイトレスに渡し、「料理人に渡してください。これほどまずい料理は人生で初めて食べました」。と言ったところ、ウェイトレスは慌てて引っ込んで行きました。

 ちょっとウェイトレスに当たったことは反省しましたが、私はテーブルに金を置き、席を立ちました。

 いきなり奈良でまずいものに遭遇しました。思えば、奈良にはこれまで数度来ていますが、一度も上手いものに巡り合っていません。その中でも最悪の店でした。

 新しいレストラン街でありながら、通りが何となく暗く、ランチの時間であるにも関わらず、人も通っていなかったことを思えば、そこに入ったことは始めから間違いでした。とはいうもののここまで不味いとは思いませんでした。

 

 この日は私をご贔屓にしてくれるアマチュアさんに集中レッスンです。お宅にお伺いして、3時間レッスンをします。間の休憩はほとんどなく、都合4時間に及びました。

 個人レッスンは費用は掛かりますが、集中してレッスンを受けると、一つのことがしっかりと覚えられますので、芸能としてマジックを習おうとするなら最も効率の良い方法です。

 但し、私としても事前に細部まで稽古をしておかなければならないため、3時間の指導が、実質3時間プラス一日かかります。私と言えども何でも覚えているわけではありません。忘れている作品もありますので簡単ではありません。

 夕方、指導を終え、一路大阪に、近鉄は列車の本数も多く、始発から終点までですのでゆっくり座れて誠に快適でした。

 

 18時30分に新大阪のホテルに入りました。今日から3泊します。駅のレストランで食事。ハイボールで鶏のソテーを食べました。あの悪夢のようなビーフシチューが忘れられず、一日不愉快でしたが、何とかいい食事にありつけてようやく落ち着きました。最近は酒を飲むと言っても、せいぜい一二杯、それも週に一回程度。おとなしい酒です。

 どうせ明後日には、打ち上げで呑むことになりますので、この日は二杯だけにしました。

 部屋に戻ってシャワーを浴び、ブログを書き始め、届いているメールの返事を書き、雑務をするうちにもう10時が過ぎました。そのままうっかり寝てしまい。起きると今日(25日)の朝5時でした。

 7時間の睡眠は私としては良く寝た方です。移動で少し疲れたのでしょう。そして今、ブログの続きを書いています。今日も一軒指導があります。そして午前中に、天王寺に行って散歩をしようかと考えています。

 天王寺は若いころ一遍行ったきりでその後、縁がありません。お寺さんの境内は、江戸の昔、竹細工師の一田庄七郎が、竹細工で涅槃像(お釈迦様が横になって寝ている像)。を作り、余りの大きさで大坂中大人気になって一年に及ぶロングランをしたと言います。その興行場所が天王寺で、どんなものだったのか、実際歩いてみようと考えています。

 一田庄七郎と言う人は、竹細工の興行で、江戸、大阪、名古屋と興行して回り、巨万の稼ぎを上げた人です。製作品はどれもけた違いに大きく、1819(文政2)年、江戸の浅草で関羽の像を作ったときには、高さが7mあったそうです。これも大当たりで1年のロングランをしたと言います。

 いつの時代でも世間があっと言うようなことをする人は魅力があります。

 

 明日は午前中に道頓堀に入り、一日中リハーサルと本番です。夜は打ち上げで、まったく時間がありません。今日は早く寝ようと考えています。

続く