手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

根岸香味屋

根岸香味屋(かみや)

 

 昨日(31日)は買い物や支払いなどあって、車で浅草方面に出かけました。コロナ以来、車で外出することがめっきり減りました。日頃は外出と言ってもせいぜい高円寺に買い物に出るくらいで、散歩の延長です。行動半径は随分狭くなっています。

 高円寺から浅草方向へ行くのは、都内の移動では最も時間がかかります。かつてバブルの時には連日の渋滞で、高円寺から浅草までは2時間もかかることがありました。確実に新宿で渋滞、上野近辺で渋滞、二度渋滞しましたので、都内の移動と言うものはこう言うものなのだ、と、半ばあきらめの気持ちで運転していました。

 なんせ中野坂上に近づくともう渋滞で、そこから新宿のビックリガードを超えるまで30分もかかることもありました。そのため特別荷物がない限りは地下鉄を利用する方が賢明でした。

 それがこの10年は都内の渋滞がほとんどなくなりました。更にコロナ以降は一層車が少なくなりました。まぁ、不景気なのでしょう。自宅から浅草までは50分もあれば行ってしまいます。これなら地下鉄を利用するのと同じくらいです。

 私が浅草へ向かうコースは、中野坂上から職安通りに行き、コリアンタウンを抜けて、抜け弁天を越え、曙橋、市谷防衛省を過ぎて、外掘通りに出ます。この辺りから桜が一斉に咲き誇り、江戸城のお堀に映えて素晴らしい景色です。外はすっかり春の陽気です。

 たまのドライブもいいものです。後楽園を左に見て、水道橋の交差点を白山通りに曲がり、後楽園の観覧車を左に見つつ、右折して壱岐坂通りを登り、神田明神裏の切通しを抜け、蔵前橋通りを行きます。本当は順天堂病院を登って行った方が近いのでしょうが、かつてとんでもない渋滞を経験してからはその道はやめました。

 私はもう40年以上も、この近辺に通っています。蔵前、合羽橋、浅草、下谷、そこには、木工屋さん、桐箱屋さん、生地屋さん、蝋燭屋さん、飾り金具屋さん、シルクの郡商店、房紐の町田糸店、漆塗屋さん、竹籠屋さん、金襴屋さん、扇子屋さん、あらゆる店が半径5㎞くらいにあります。本当は私は蔵前近辺に住んでいたほうが良かったのだとつくづく思います。

 幾つか買い物を済ませ、下谷根岸の井上木芸さんのところに行こうと思いましたが、ちょうど昼食時です。浅草に戻るのも面倒です。しかも久々肉が食べたくなりました。洋食がいいですね。それもしっかりいいものが食べたいと思います。

 このところ家にいるばかりで余りしっかりしたものを食べていません。たまには少し贅沢をしようと、根岸通にある香味屋に入ってみようと思いました。ところが香味屋は既に満員です。思い付きでは入れない店です。「1時半に空きます から、その頃来てください」。と言われました。

 仕方ありません。先に井上木芸さんに伺います。井上さんはもう30年も、私の蒸籠や、引き出し、植瓜の台など、いろいろなものをずっと作ってくれています。

 さて、用事を済ませてちょうど1時半、香味屋に行くとうまい具合に空いています。

この店はこの近辺では唯一と言ってよいくらい、きっちりとしたレストランです。それだけにいつもいい客層が集まっています。私は数年に一度入るくらいです。場所としては地下鉄の下谷か、JRの鶯谷から歩くのですが、必ずしも便のいいところではありません。でも長く定着していているのは信頼があるからでしょう。

 

 名物は、メンチカツ、オムライス、ビーフシチューだそうです。以前はオムライスを頼みました。今回、私はビーフシチューを頼みました。隣のテーブルの体格のいいお兄さんは、メンチカツとオムライスを食べています。私もそうしたいのですが、メンチカツのボリュームがなかなかです。オムライスと両方では3000カロリーくらいあるでしょう。それでは一食で一日のカロリーを超えてしまいます。

 やはりここはビーフシチューにします。さて、ちゃんとしたレストランで肉が食べたいと言う私の思いはここで満たされました。皿に盛られたビーフシチューは、大きな肉の塊が乗っています、たっぷりソースがかかっていて、脇にニンジン、ブロッコリーがあしらわれています。これは間違いなく肉を味わう料理です。

 相当長時間煮込んだ肉で、フォークでつまむと簡単にほぐれます。ソースを付けながら口に頬張ると、肉はしっかり肉汁が詰まっています。筋はほろほろと崩れます。ソースは少し甘めです。さっき空腹を感じたとき、私はこう言う肉が食べたかったのです。衣で包んだ肉も旨いのですが、今の私は命を食べるようなものです。あんなに脂を食べることは出来ません。でも食べたいと思います。

 甘めのソースは飯によく合います。シチューの牛肉を堪能しつつサラダを頂き、食後にコーヒーを頂きました。隣のお兄さんは、コーヒーの前にプリンを食べています。いいなぁ、こんな風に何も気にせずに食べたいものが食べられるなんて、何と幸せなことでしょう。その甲斐あって、体格は相当なものです。帰り際の服装を見ると、バイクに乗ってやって来たようです。確かにこの店はバイクで来るには最適です。してみるとこのお兄さんはいい選択眼を持っています。

 

 さて、支払いは、4900円でした。昼食としては大きな金額です。でもたまにいい肉が食べたいと思っていたから、この金額は高くはありません。今、東京で5000円で味わう贅沢があるとするなら、寿司屋で八海山を飲みながら刺身を食べる。高円寺の駅前でマッサージをする。書店で本を二、三冊買う。

 いずれにしても、5000円では服は買えませんし、映画は見ることが出来ても、芝居は見られません。出来る贅沢は限られています。その中で、内堀通の桜を見つつ、都内をドライブし、香味屋でビーフシチューを頂いたと言うのは、最も望みうる最高の贅沢ではないかと思いました。

 とにかく、帰りは中野の島忠に寄り、金具を買って、帰宅しました。東京を巡り歩いて、買い物と支払いをして、財布は空っぽになりましたが、心と腹は充実しました。

続く