手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

だから言ったのに

だから言ったのに

 

 オリンピックの開催が50日を切りました。主催者、運営団体の人たちや、アスリート、支援者の皆さんは連日大忙しだと思います。やると決定したことです。とんでもない費用をかけて世界的なイベントを開催するわけですから、日本国民みんなでうまく行くように応援しましょう。

 と、のっけから前向きな意見を書きましたが、世の中には、何か大きな催しをする段になると必ず、足を引っ張る人たちが現れます。人の失敗を喜ぶような人がいるのです。

 主催者とすれば、協力しなくてもいいから、少なくとも邪魔だけはしないでくれ、と言いたいでしょう。ところがどうしたものか大会の邪魔する人が必ずいます。

 マスコミでも、医師でも、「オリンピックを開催すれば、クラスターが発生する可能性がある。危険だ。それが国民に及ぼす影響が心配だ」。などと、国民を心配する姿勢を見せて、その実、オリンピックの不開催を訴える人たちがいます。

 確かに、クラスターが発生することは心配ですが、誰もコロナを蔓延させるためにオリンピックをするのではありません。そのための予防や、衛生管理をした上でのイベント開催です。今の時点でやらないほうがいいなどとなぜ言えますか。去年の時点で一年延長したことで、今年開催することは世界に公表しています。ここでやめては世界に約束したことを破ることになり、せっかく盛り上がってきた機運に水を差します。やめろと言う議論は去年の時点で言うべきです。

 こういう人たちは、やらない意見を言うことで、あとで何か問題があったときに。「ほら、俺が言った通りのことになった」。と、自身の正義をかたることが目的なのでしょう。何一つ催しに協力するわけでもなく、ただオリンピックを反対して開催の邪魔をし、その後、問題が発生すれば鬼の首でも取ったかのように「だから言ったのに」、と予言者のごとく自慢します。

 国を挙げての祭りや祝い事なら、少々納得の行かないことでも、日本国の晴れ舞台なのだから、にっこり笑って応援すればよいものを、反対が何の役に立ちますか。

 連日、マスコミや、新聞を見ていると、オリンピックに反対する意見がぞろぞろ出て来ます。私は、不毛だと思います。自己の正当性を記す意味でしているのか知りませんが、愚にもつかない批判を繰り返しても意味はないと思います。

 昔から「お為ごかし」と言う言葉があります。「あなたの為を思って言っているのだよ」。と言いつつ何でも反対して、密かに物事がうまく行かなくなることを望んでいる人の言葉です。今のテレビや新聞は、お為ごかしの大合唱です。またそれを読んだ読者は、「何もしないことが世の中のためなのか」。と、協力することから逃避しようとします。日本人にとってこれほどの大イベントはこの先50年は来ないと言うのに、人はオリンピックを冷めた目で見ようとします。

 

 こんな人たちはどこにでもいます。人口減少して存続も危ぶまれるような村で、残された若者が、村起こしを考えてイベントを企画すると、村の予算を使って無駄遣いだと騒いだり、寄付を求めると、何のかんのと反対をして、寄付を出さなかったりします。

 若くて意欲のある実行委員が、こうした無理解な人たちに接したなら、村を何とかしようとする意欲が失われて行きます。彼らはしみじみとこの村がなぜ人がいなくなるのか。問題の本質を知り、やがて村の発展を諦めます。

 

 私は、55年前の東京オリンピックを見ています。小柄な日本人選手が、海外勢と互角に戦って、次々に日章旗を上げた姿は、子供だった私でも毎回テレビの前で涙が出て大感動しました。

 1969年の東京オリンピックは、有色人種の国で初のオリンピックだったのです。日本人を有色人種と呼ぶことは今ではなくなりましたが、それもこれも日本人が経済、文化、学問で国力を上げて、欧米先進国と並ぶ活躍をしたからこそ、いわれなき差別から脱却できたのです。まだ黒人差別が平気で行われていた1960年代に、日本がオリンピックを開催したことは快挙だったのです。

 しかもこの時期、アジア、アフリカから続々独立国が生まれました。彼らは何としても日本の開催するオリンピックに参加したかったでしょう。まだ一般に認識されていない自国の旗を日本で掲げて見たかったでしょう。

 実際、マラソンでケニヤのアベベが優勝したときには日本中が大騒ぎでした。日本の円谷(つぶらや)幸吉は惜しくも銅メダルでしたが、円谷とアベベの争いはつい昨日の出来事のように思い出されます。

 跳馬の山下、重量挙げの三宅、レスリングでは実に5つの金メダルを取り、柔道でも、猪熊など3つの金メダルを取りました。女子バレーでは大松監督と言う、鬼コーチが女子をしごきまくって、スパルタ教育と言う流行語を生みました。その甲斐あって金メダル。女子バレーは「東洋の魔女」と言われて海外から尊敬を集めました。

 あの時のオリンピック選手は、殆どは太平洋戦争を体験しています。昭和20年の敗戦時、軍隊の経験はなかったとしても、空襲で家を焼かれ、家族を失い、みんな食べる物すらなかった時代を体験して、貧しく苦しい中でスポーツをしてきたのです。敗戦からわずか19年で日本は復活してオリンピックを開催したのです。そうした体験をしてきた選手が、大会会場に整列して行進をした時の気持ちはどんなものだったのかと思います。

 あのオリンピックを見たときに、日本の子供たちはどれほど気持ちを奮い立たせたか知れません。やればできる。努力をすれば何とかなる。その姿勢を文字でなく映像で教えたのです。その後の漫画でスポーツ根性物が流行ったのも、オリンピックの影響が大きかったでしょう。

 テレビはなぜ今、あの時の日本人を取り上げないのでしょうか。これほど誇らしい栄光を持った日本人をなぜ語らないのでしょうか。あれから55年を経て、再度オリンピックが開催できることは素晴らしいことです。なぜ素直に祝えないのでしょう。この期に及んで、オリンピックがうまく行かない話ばかりして、なぜ自分たちを引きずり降ろすようなことを繰り返しているのでしょうか。

 今のマスコミや、反対者を見ていると、村の中で寄付を渋って難癖をつける因循姑息な老人を思い浮かべます。自分達にはビジョンも代案もないのに、ことを成そうとする人たちの否定ばかりします。いつから日本人は心根の卑しい老人になったのでしょうか。再び自分たちの子どもや、孫に、誇れるようなオリンピックをしようではありませんか。

続く