手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

あがり症って何 1

あがり症って何 1

 

 私は、普段、舞台に立つ前と舞台に立って演技しているときと、なるべく変わらないように振舞っています。周囲の人から、「よくそんな自然体でいられますね」。と言われます。10歳の時から舞台に立っていますので、もう56年。マジックをしてきて、日常と舞台の区別もあまりつかなくなっています。勿論区別はしています。

 「あがったことはないですか?」。と聞かれます。「もちろんあります。私はむしろあがり症です」。と言うと相手は驚きます。

 いろいろ記憶をたどって行くと、10歳から12歳くらいまでは、舞台で上がると言うことはなかったように思います。子供だった私は、舞台に出て来る時に、ニコッと大きな笑顔で出ていました。それが愛嬌があって結構お客様から可愛がられました。

 このころは自分をどう見せよう、とか、かっこよく振舞おうなどと考えたこともなかったのです。無心だったのです。子犬が寄ってきて、人を不思議そうな眼で眺めているようなものです。その無邪気なまなざしに人は思わず抱きかかえようとします。その子犬と同じだったのでしょう。

 それが、思春期を迎え、自分の容姿が気になり出すと、妙に髪の毛を梳かしたり、演技の時も横顔を強調したりと、変な思い込みをするようになって、同時に舞台に出ることが緊張するようになります。道具を持っている手が震えます。テーブルの小道具を掴もうとするのになかなか掴めません。喋ろうとしても、言葉が出なかったり、間違えたり、何をしてもうまく行きません。

 子供のころは、毎週舞台仕事があったのに、思春期になると仕事の依頼が少なくなります。14ぐらいから17くらいは芸人としても使いにくい年齢なのです。マジックの内容はお粗末ですし、まだ自分が何者かもわかっていないのです。それでいて自意識ばかりが高いから、あまり人から可愛がられなくなり、仕事は減ります。そして出番前はあがりまくっていました。

 18歳くらいになって、キャバレーの仕事をするようになると、仕事はがぜん増えてきました。このころになると、舞台の緊張が解けてきました。自信がついてきたのです。妙な自意識は薄れてきます。マジックも独自に研究するようになり、少し色々なことがわかりだして、それまでマジックに劣等感を持っていたものが力がついて来ます。喋りも壺がつかめるようになり、私の話をお客様が面白がって聞いてくれるようになりました。

 舞台は手慣れては来ましたが、慣れが雑を生み、緊張感のない舞台をするようになりました。大学在学中はそんなダレた舞台を繰り返していました。キャバレー用に、15分の手順を二つ作り、これを演じている限りはいくらでも仕事が入ってきます。そんな演技ではとてもマジシャンの頭数には入れないのに、気持ちはもういっぱしのマジシャンでした。

 大学を出て、舞台に専念するようになりました。この時決断をして、自身のリサイタルを始めました。年に二回。初めはパブで30人お客様を集めて、ショウをしました。

 このリサイタルでは、いくつか自分でルールを作りました。

 1.必ず新作を入れる。一つの作品は5分程度にまとめ、起承転結を作る。

 2、ゲストを一本、または二本入れる。自分の演技を必ず60分演じる。

 3,アンケートを配って、反応を確認する。

 4,テレビ局のディレクター、仕事先のマネージャーなどを招待する。

 5、既成のマジックは色デザインを変え、仕掛けも改良し、演出を加える。

 

 こうしたルールを自ら作って、春と秋に都合二回リサイタルを開きました。当時マジシャンでリサイタルをする人はいませんでしたので、お客様は良く集まりました。但し、必ず5分の作品を一つないし、二つ作って、自分だけで60分のショウをすると言うのは簡単ではありません。間にゲストが出てくれますが、ゲストと言っても学生マジシャンです。3分か4分しか演技がありません。そのわずかな息継ぎの間に、20分の演技を3つ仕込まなければなりません。通常キャバレーで演じている、スライハンドや鳩出しなど、そのまま演じてもいいわけですが、まとめて一時間演じるとなると演技の仕方が根本から変わり、緊張感が増します。

 20分を一気に演じるとなると頭の中はハンドリングを浚(さら)うことでいっぱいです、スチールや、パスなど、20か所や30か所のハードルを次々に確実に超えて見せなければなりません。

 一つの手順が済めばもう前のことは忘れて次の手順に集中しなければなりません。その間もお客様にギャグなど言って、愛想をよくしながら、頭の中では次の手順を浚います。それがすべて出来て20分です。

 ゲストの学生アクトが4分。その間に次の仕込みをします。そして急ぎ舞台に出て、次の20分を演じます。それを都合三回繰り返します。シルクなどを楽屋で巻いているときに、時間に追われ、吐き気がして、思わずごみ箱に胃の中の物を全部吐いてしまいました。自分としてはかれこれ10年の舞台経験があります。それなのに「楽屋で吐くとは何事だ。なぜもっと落ち着けないんだ」。そう自分に言い聞かせるのですが、思いとは裏腹に、手は震え、頭は混乱し、気持ちばかりが焦って、稽古の半分も力が出ません。

 この時私は、ふと、「あぁ、これだな」。と思いました。自分にここまでの緊張を科し、ぎりぎりに追い詰める。マジシャンは誰一人ここまで自分を追い込んで舞台に立ってはいないのです。ある意味、この状況はレベルの高いコンテストに出るようなものです。これを繰り返せば確実にうまくなる。そのための修行をしているのだな。と思いました。

 そう思ったとたん、気持ちが少し軽くなりました。なぜ軽くなったのか。それは自分を客観視したからでしょう。それまで、この後、舞台に立って成功しなければならない自分と、今楽屋でやるべき作業を必死にこなさなければならない自分が重なっていて、ほかのことが考えられなかったのです。

 然し、自分を客観視して見たなら、ただの修業の芸人なのです。騒いでもあわてても、所詮小さな生き物の小さな料簡なのです。そんな芸人が何をしようと、世の中には何の影響も与えないのです。その思いが理解できたときに、不思議とあがると言う呪縛から解き離たれました。

 無論、これ以後あがることがなくなったわけではありません。その後も、ぎりぎりの時間にセリフを暗記して、舞台に立たなければならないとか、慣れないスライハンドが不安だとか、そんなことは幾らもありました。そんな時でも、緊張はありましたが、体が動かなくなるほどの緊張はなくなりました。

続く