手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

すごいぞ!山田美幸さん

すごいぞ!山田美幸さん

 

 昨晩は水泳を見ました。14歳の山田美幸さんが100mの背泳ぎで銀メダルを獲得しました。これが今回、パラリンピックでの日本のメダル受賞第一号だそうです。その後に、男子平泳ぎで鈴木孝幸さんが銅メダルを獲得しました。

 美幸さんが出場したのは、身体障害S2と言う部門で、これは身体障害の重度による区分けだそうです。その詳細は分かりませんが、手のない人、足のない人が一緒になって競技します。中には足が不自由で飛び込み台に立てない人がいます。

 そうした人は始めから水の中に入ってスタートを待ちます。美幸さんも水に入ってからにスタートでした。どんな障害の人でも極力平等に競技が出来るように配慮されているのでしょう。

 それにしても水泳と言う競技は身体障碍者にとっては過酷です。障害部分をすべてさらけ出して競技をするのです。美幸さんは14歳、思春期の女性には少なからず抵抗があるのではないかと思っていましたが。あとでインタビューを聞くとまったく屈託がありません。

 美幸さんは生まれつき両腕がありません。足にも少し障害があるそうです。そのため日常は車椅子で生活しているそうです。美幸さんの生い立ちを聞くと、たくさんの不幸を背負って生きてきています。

 幼いころに喘息(ぜんそく)を患ったそうです。喘息を克服して体力をつけるために水泳を始めたそうです。その水泳を始めて感じたことは、水中の方が体を動かすことが楽だと知ったそうです。そして健常者と同じように泳げることで自信が付いたそうです。

 更に、5年前のリオデジャネイロパラリンピックをテレビで見て、水泳選手がものすごい迫力で泳ぐ姿に熱狂して、「東京大会に出たい」。と言ったそうです。このとき9歳です。

 両親は、「それは無理だ。レベルが違い過ぎる」。と言ったそうです。然し、美幸さんはまったくあきらめようとはせず、必死に水泳の練習をしたそうです。どうもこの辺りから美幸さんは、幸運を引き寄せる魔法を身につけ始めたのかも知れません。

 

 私は前のオリンピックを見ていても思いましたが、もしオリンピックが2020年に通常通り開催されていたら、山田美幸さんは競技場にいただろうか。つまり、美幸さんが13才だったら、日本代表に選ばれていただろうかと。

 恐らく影も形もなかったでしょう。コロナは世界中で様々な不幸を作り出していますが、少なくとも美幸さんにとっては、オリンピックの開催が一年遅れたことは、幸運をもたらしたのだと思います。

 こんな幸運はそうそうはありません。そのことはスケボーの西矢椛さんも同様です。オリンピックが去年開催されていたなら、13歳の金メダリストは存在しなかったはずです。逆に言えば中学生の一年間はまったくとてつもない可能性を秘めていると言うことです。

 同じことが昨日のパラリンピックでも起こったのです。素晴らしいではありませんか、努力をした人には、天が幸運を引き寄せてくれたのです。

 こうしたことを思うにつけ、オリンピックの開催に反対した人たちは業(ごう)が深いと思います。日本(東京)が立候補して、やると決めたオリンピックを、コロナだから、予算が膨大だからとマイナス要因ばかり並べ立てて、連日、テレビで批判していた人たちは、彼女たちの努力をどう説明しますか。

 オリンピックはアスリートの努力を認め、讃える場ではないのですか。その前提があって、いろいろ語るべきものを、オリンピックをあからさまに悪しざまにいって、金の話ばかりしてやめろやめろは恥ずかしくないのですか。

 私は、幾多の批判に耐えて、オリンピック、パラリンピックを運営したスタッフは立派だと思います。また、オリンピックに関する限りは、菅首相も、始めからぶれることなく一貫していたことは立派だと思います。

 

 話を戻しましょう。山田美幸さんの生い立ちを聞くと、わずか14年の人生で幾多の困難に直面しています。その最たるものは、最大の支援者だったお父さんを二年前に癌で亡くしたことでしょう。もしこの大会を、お父さんに見せられたならどれほど親孝行になったか知れません。然し、それはかなわなかったのです。彼女の心の中では悲しみでいっぱいだったでしょう。でも、彼女は前向きです。

 インタビューで、「この銀メダルは亡くなった父に捧げます」。と言っていました。お父さんが生涯かけた成果は美幸さんを育てたことでしょう。

 親に向かって、「生んでくれと言った覚えはない」。などと毒づく子供がいる中で、障害者に生まれながら、両親を愛し、亡くなった父親に銀メダルを捧げようと言う子供が育ったことは、お父さんにとっては素晴らしい宝物を世の中に遺したことになったと思います。

 山田美幸さんは、インタビューで、「これまで育ててもらった両親や、助けてくれた方々に感謝しています」。と言っていました。周囲の温かい支援があってのメダルであることを彼女は身にしみてわかっているのです。

 しかも彼女は競技を終えて去るときに必ずプールに向かって礼をするそうです。それは、「自分を泳がせてもらったプールに対する感謝」だそうです。聞いていると涙が出ます。世の中に対して拗ねることなく感謝をする中学生がいるのです。 口を開けば世の中の不満ばかり言う人が多い中で、こんな前向きで、苦労を苦労と思わずに、人に感謝する人がいることはまさに日本の誇りです。

 私は、わずか数時間、背泳ぎをテレビで見ただけです。しかしそこから、今まで全く知らなかった人々の人生がほの見えて来ました。これほど深い人生を見せてもらったことに感謝します。いい話を聞かせてもらいました。

続く