手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

銭湯に行く

銭湯に行く

 

 昨日(26日)、何十年ぶりかで銭湯に行きました。なぜ銭湯に出かけたのかについては少し説明が必要です。10日ほど前から、家の改装で、台所、風呂場、洗面所と言った、水回りのすべてを改装する工事が始まりました。

 今住んでいる家が31年を過ぎて、水回りがすべて傷んで来たのです。それでも私が見た限りでは、まだ暮らしにくいと言うほどではないのですが、女房は昨年からすでに改装をする気持ち満々で、システムキッチンのショウルームを見て歩いています。

 私とすれば、コロナ禍の中で、舞台の依頼が激減していて資金にゆとりがないので、もう一、二年待ってから改築したほうがいいのではと言ったのですが、女房は聞き入れません。水回りの改築と言うのは、小さな家が一軒建つほどの費用が掛かります。一体私の家のどこに、そんな費用があるのでしょうか。日頃、私の収入から細かにへそくっていたのでしょうか。

 いずれにしましても、一昨年、30年の家のローンが終わって、やれやれと思っていたすぐ後で改築です。世の中上手くできています。ローンが終わるのを見越して、物が壊れるのです。私の関与しないところで大工さんがやってきて、女房と話をして、どんどん改築がされて行きました。

 10日ほど前から、職人が入ってきて、キッチンの撤去が始まりました。私の家は三階にキッチンも、風呂場もあります。キッチンの流し台は大きくて、階段から降ろすことが出来ません。そこで、いくつかに分解して階段から降ろしたようです。翌日には新しいキッチンがやってきました。これは分割できません。やむなく窓の外から吊って入れました。大工事です。キッチンが入ると、壁を直し、ダクトや、配管を直し、連日職人が入ります。

 この間、キッチンに収まっていた、食器や、調理器具が居間に所狭しと並びました。居間だけでは足らずに、二階の応接間にまで並びました。足の踏み場もありません。それでいて、水やガスは使えませんから、食事は、電熱プレートや携帯ガスコンロを使い煮炊きをします。食器を洗うのは風呂場です。食事はなんとかできても、キッチンと同様に洗面所が使えません。風呂場で全て済ませます。顔を洗うのも歯磨きをするのも風呂場ですることになります。これが思いのほか不便です。

 そうして一週間。ようやく大きく豪華なシステムキッチンが完成しました。キッチンは水道もガスもつながりました。女房は大喜びです。外に出ている食器類は追々片付くとは思いますが、今のところ放置されたままです。部屋が混乱状態で、次の風呂場と洗面所の改築です。

 洗面所は取り外し、風呂桶は切断して、小さくして階段から降ろしました。来週に風呂場のユニットが入り、そのあとに壁や風呂場の天井の工事をします。キッチンが出来たことで、食事は平常に戻りましたが、今週は風呂に入れません。そこで銭湯に出かけたわけです。何とも不便な毎日です。

 

 さて、銭湯は何十年ぶりでしょうか。私が30年前に高円寺に引っ越して来たころは、家のすぐ近くに銭湯がありました。それが数年のうちに廃業してしまいました。今どきは学生の生活するアパートでも風呂場がついています。銭湯もやって行けないのでしょう。

 高円寺の純情商店街と並列して庚申(こうしん)通り商店街と言う通りがあり、その中ほどに小杉湯と言う銭湯があります。今回始めて行く銭湯です。こここの建物はなかなか豪壮な造りで、昔通りの入母屋造りの屋根で、屋根下の中央に鯉が泳いでいる彫り物があって、その下の欄間には富士山が彫り込まれているという凝った建築物です。戦前の作りでしょうか。中には昔ながらに木札の下駄箱があり、番台で男湯女湯と別れています。中に入って脱衣所を見ると、天井は格天井でこれも立派な造りです。

 私は子供の頃の印象が強かったのか、子供の頃に行った銭湯の脱衣所はもっと広かったように思いましたが、今見ると、そう広いとも思えません。部屋の中の人は流し場の人も合わせると優に40人近くいます。

 銭湯は不況だと言いますがどうしてどうして、高円寺では大盛況です。私がやってきたのは夕方6時30分。確かに混む時間ではありますが、これほど多くの人が利用しているとは思いませんでした。

 多くは高齢者で、子供はいませんでした。かつて風呂屋は子供の遊び場でした。学生が少しいます。特に目立ったのはインド系やネパール系(多分そうだと思います)の人たちです。こうした人たちを銭湯で見ることはかつてなかったことです。

 流しにコルゲンコーワの黄色い風呂桶があります。昔と変わ江いません。湯舟は四つに仕切られていて、牛乳風呂や泡風呂、熱い風呂、ぬるい風呂などあります。泡ぶろに入ってみます。背中から、足元から激しく泡が吹き上げて来て、マッサージになります。これはとても具合が良いと感心しました。

 隣の高齢者が同じようにマッサージの泡ぶろに浸かっています。私と目が合った時にニッコリされましたので、私もにっこり表情を返しました。その老人は頭髪がほとんどなく、なんとも年寄り顔をしています、ここで何気に声をかけようかと思いましたが、よくよく気を付けなければいけません。

 以前に老人と話をしていて、「お爺さんはお幾つですか」。と尋ねたら「60です」。と言われたことがあります。私よりも五つも若かったのです。私よりも若い人を捕まえて「お爺さん」は失礼です。頭が禿げているからと言って、年寄りと見るのは間違いです。考えて見たなら私も若くはないのです。どうも人の年取ったのは目につきますが、自分の年取ったのには気づきません。うっかりしたことも言えず黙ってしまいました。

 さて風呂屋を出て、「帰りに駅前の立ち飲み屋で一杯やろうか」。と歩いていると、商店街の魚屋できびなごの刺身を売っています。これは珍しい、鹿児島ならわかりますが、高円寺できびなごの刺身とは。きびなごは小さな魚で背中が銀色をしてキラキラ輝いています。一匹ずつさばいて、骨を取るのはとても手間仕事です。「よしこれを買って家で呑もう」。刺身を買い、缶ビールを二本買い、家で娘と飲もうと素直に帰りました。

 帰ると、娘は残業で遅くなるそうで、やむなく一人で呑み始めました。然し、風呂上がりにきびなごで一杯飲めて幸せな一日でした。

続く