手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

結局誕生日

結局誕生日

 

 今年は間際まで誕生日の祝いをしないものと思っていましたが、昨晩(12月2日)、一日遅れで誕生日会をすることになりました。一昨日、娘のすみれから2日の6時に来ると言う連絡が来ました。但し、ごく内々にすることにして、場所は簡単に済ませようと、高円寺駅前の桃太郎寿司になりました。

 ただ、桃太郎も、土曜日の6時は混むだろう、と予測をして、予約をしておこうと電話を掛けましたが、電話は全くかかりません。「ははぁ、既にお客様が多くて、電話に出るどころではないんだな」。と判断をして、直接桃太郎に出かけてみようと考えました。

 この日は朝から、秋田の小野学さんが訪ねて来ていて、「引き出し」の手順を集中レッスンしていました。小野さんは秋田で大規模な農場を経営されていて、いつも秋田こまちを送って下さいます。私や娘や弟子の朗磨のご飯は小野さんのお米です。今は、農閑期を利用して、東京に3泊してマジックのレッスンを受けに来てています。

 その指導が4時に終了しましたので、小野さんはひとまず駅前のホテルに戻り、私は桃太郎に予約をするために小野さんと一緒に家を出ました。

 店はさほどに混雑はしていなかったのですが、土曜日は予約を取らないと言うのです。そうなると、6時に出かけたとしてもそこですぐに座れるかどうかが分かりません。これはもう一度5時30分くらいに出直して、私一人でもしばらく飲みながらテーブルを確保しておく必要があるだろう。と判断をしました。

 そこで一度家に戻り、5時30分に再度出かけ、テーブルを確保しました。ハイボールと、卵焼き、それに石鯛、シマアジの刺身を頼んで待つことにしました。よくよく考えてみれば、娘も、女房も店を予約するわけでもないし、事前に何かを用意するわけでもありません。ただ私が一人、気を廻して、自分の誕生日のために場所取りをして、人を待つことになりました。

 それでも一人でハイボールを呑みながら、シマアジを頂きました。シマアジの背中の青い輝きが素晴らしく、見た目に新鮮です。味はほんのり脂がのって、シマアジ独特の香りがしっかり香っていました。刺身で言うなら、シマアジは私の好みのベストファイブに入るくらい旨い魚です。青みの魚にして青臭さがなく、ブリ、マグロのようには脂が強くなく、刺身として食べるには理想的な味わいです。

 続いて、その隣の少し茶色みのある魚、石鯛を食べてみました。初めに口に入れて噛んだ時の弾力がものすごく、白身魚の中でもフグや、カワハギに近いぐらい歯ごたえがありました。思えば石鯛の刺身は初めてかも知れません。然し、味は間違いなく鯛です。うっすらとした脂身が実にさわやかです。子供のころだったらこのような淡い脂身の旨さは分からなかったでしょう。大人になってこそ旨いと感じる魚です。

 石鯛を口に運び、ゆっくりハイボールを呑みます。時刻は5時45分。ようやく日が暮れて、少し肌寒くなりました。この時間から酒が飲める。「あぁ、一人酒もいいなぁ」。と満足をしていると、小野さんがやって来ました。

 小野さんは八郎潟に住んでいます。私の女房は男鹿の出身です。ともに秋田県の西部、男鹿半島の人です。以前は頻繁に東京に来て、その都度ご指導をしていたのですが、コロナ以降、なかなか東京に出て来れなくて、4年ほどご指導にブランクがありました。コロナも収束して、ようやく顔を合わせることになりました。

 そのあと、女房と、娘のすみれがやって来ました。6時には店は満席、外に並んでいるお客様も何組かいます。狙い通りです。6時になってから来たのでは混雑するのです。この寒空に外で立って並ぶと言うのは酷です。しかもこの時間の満席は一時間以上待たないと席が空きません。僅か30分の差が人生の分かれ目になりました。

 

 娘も葛飾区に引っ越し、新しい亭主と仲良く暮らしています。なかなか高円寺には来なくなりましたが、それでいいのです。しょっちゅう高円寺に来るようでは夫婦関係も危ないのです。それでもたまにこうしてやって来て、一緒に食事ができるのは幸せです。とりとめのない話をして、寿司を食べる、それだけのことですが、互いに健康であるからこそこうして食事が出来るのです。

 小野さんには、3日間のご指導の間に一日、どこか御食事にご招待します。と約束をしていたので、たまたまこのお誕生会に招いたわけです。桃太郎寿司と言うのは実にお手軽でしたが、誕生会がなければ浅草か銀座あたりに出たと思います。たまにはこうした食事会があってもいいでしょう。

 色々と食べて店を出ると、7時40分。随分早くに食事が終わりました。この後、すみれと女房とでケーキでも用意してあって、自宅で食べよう。と言うのかと思っていたら、何もありませんでした。すみれは寿司を食べ終わるとさっさと葛飾に帰りました。小野さんはホテルに戻って行きました。私と女房はぶらぶら自宅に戻りました。

 あれあれ、結局、お誕生会と言うのは、私がみんなに寿司をご馳走して、それで終わりだったの?。おや、何と言う簡単な企画でしょうか。まぁ、それもいいでしょう。初めから誕生会など期待をしていなかったのですから。娘の顔が見られただけでも幸いでした。何のことはない誕生パーティーでした。

続く