手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

グルマンなるには

グルマンになるには

 

 地方都市に行くと、なるべく時間を作って街を歩くようにしています。そして、昼飯、晩飯の場所をあらかじめ評判を聞いておいて出かけるようにしています。

 無論、人の噂に上るような店はそれなりにいい店が多いのですが、全く予備知識もなく、散歩しながら、佇まいのいい店を探し出して、そこにふらっと入って、旨いものを見つけたときの喜びはまた格別です。

 今から20年くらい前に、テレビの撮影で、水芸の指導をしました。京都の撮影所まで行って撮ったのですが、とてもいいギャラをもらったものですから、その時に女房と娘のすみれを連れて行き、二人に思いっきりいい思いをさせてやろうと考え、

二泊三日かけて、京都中の食べ物屋さんを食べ歩きました。

 初日の晩飯は四条河原町のしる幸でかやく飯と味噌汁を食べました。朝食は旅館の食事、昼は貴船の川床料理に出かけ、川の流れの上に並べた蓮台の上で懐石料理を食べました。夕方は今宮神社に寄って、炙り餅を食べ、晩は、いづうの鯖寿司を食べ、翌日は昼にお茶漬けを食べて、鍵膳で葛切りを食べてと、とにかく、2泊3日間あちこち連れまわしました。

 未だに女房とすみれに、最高の経験は何かと聞くと京都の食べ歩きと答えます。よほどその時が楽しかったのでしょう。

 その後も仕事のたびにあちこち連れて行きました。上海に行ったり、ニューヨークに行ったりもしました。でも京都も上海も例外中の例外です。滅多にこんな贅沢はしません。

 ただ、私の娘は今では異常に食べ物にこだわるようになりました。自分でも探して食事をしているようです。娘は私よりも酒を飲みますので、ずいぶん酒の肴のうまい店に詳しくなっています。

 私も子供のころによく親父にレストランや、料理屋、寿司屋に連れて行ってもらい、いい思いをさせてもらいました。早いうちに子供に味覚を教えることはいいことです。それを娘が継いだわけです。

 

 よく食べ物雑誌にお手軽に、グルメガイドなどと書かれていますが、フランスでグルメと言う言葉は最高の尊称です。そもそも食べ物の味のわかる人のことはグルマンと言います。このグルマンでさえも最高の呼び名です。更に、食べ物とワインの味の両方が分かる人をグルメと言います。グルメと言う名称は食通の最高峰なのです。

 少なくとも、日本でグルメと言える人は数えるほどしかいないと思います。私はワインの味や産地を当てることなどできません。日本の酒の産地ですら当てられません。私はレベルの低い味好者(みこうしゃ)です。味好者と言う言葉はありません。昔は芸能の名人を巧者と言い、芸能の良し悪しを語れる人を見巧者(みごうしゃ)と言いましたが、それにひっかけて、私は味を好む人として味好者と造語しました。私は食通でもなく、グルマンでもありません。味好者です。

 味覚は三代続かないと本物の食通にはなれないと言います。その伝で言うなら、親父から数えて、親父、私、娘と、娘までならなければ、本当の食通にはなれないと言うことになります。実際、味覚は娘の方が発達しているかもしれません。

 私は特別贅沢なものを好むわけではありません。パリの街かどのパン屋さんで、普通にフランスパンにバターを塗って、レタスとハムを挟んだ400円くらいのサンドイッチを買って食べたときの旨さは今も鮮明に覚えています。街中を歩きながらサンドイッチを食べたのですが、これほどうまいサンドイッチはその後も出会っていません。

 また、日生(ひなせ=岡山県)と言う小さな漁港の魚屋さんの表で、炭火で穴子を焼いていました。穴子を開きにして、たれをつけて焼いているのです。一匹300円くらいだったでしょうか。かなり長く大きな穴子でした、その焼き立ての熱々を尻尾を持って、頭から口に入れて、食べて行くのですが、これも生涯忘れられないくらい旨い穴子でした。

 食事の思い出は必ずしも値段に比例しないのでしょう。

 

 昔、アマチュアマジシャンのお金持ちがいて、その人が、「最近ワインの味を覚えたんだ」。と言って、赤坂の一流レストランに私を連れて行ってくれました。

 そして、肉料理とワインを頼み、ワインは同じ銘柄の新しいものと、10年物を注文しました。古いのと新しい方を比べれば、味は古いほうが丸くなっていますから、私でも新しと古いの違いは分かります。

 そのワインはどちらも相当高そうです。それがどう旨いのかが私にはわかりません。そこで、上機嫌で呑んでいるアマチュアの社長さんに、「どう旨いのですか」。と尋ねると、「うん、まぁ、何とも旨いなぁ」。と言います。「どんな風に旨いと思われますか」。「まぁ、まろやかだな」。「肉と合わせて飲むと旨いですか」。「旨いなぁ」。「どう旨いとお考えですか」。「まぁ、何とも言えんくらい旨いなぁ」。

 これ以上聞いても無駄だと思い、質問を辞めました「何だかわからないけど旨い」と言うだけのために、バカ高いワインの栓を開けて飲むことを、若かった私はばかばかしいと思いました。まぁ、お金があって好きでしていることですので、私がとやかく言うことではありませんが。

 それでも、「何だかわからないけど旨い」と言うために、散財するアマチュアの姿が私にはお笑いのコントのネタのように思えました。それだけのお金があれば、もっともっと幸せになれる方法はたくさんあると思いますし、周囲の人を幸せにすることもできるはずです。あぁ、勿体ない。

 おっと、私も気を付けなければいけません。私も若い人にご馳走しつつ、「どう旨いのですか」と問われて「まぁ、何とも言えないいい味だなぁ」、何て言っているかもしれません。それをご馳走になっている若い人が、「何にも知らないくせに」と、心の中で笑っていないとも限らないのです。滅多なことは言えません。

続く