手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナの一人歩き 3

コロナの一人歩き 3

 

 12日から一部の都市で「蔓延防止策」を施行するそうです。

 緊急事態宣言を解除して、蔓延防止策を施行するのは一体何の意味があるのでしょう。そもそも緊急事態宣言が解除された今は一体どんな状況なのですか。何でも自由にしていい時期なのですか。

 緊急事態宣言が解除されたと言っても、何一つ解除されたものはないではありませんか。深夜まで飲食店が営業できるわけではなし、劇場も席を空けずにお客さんを入れていいわけでもありません。花見もイベントも飛んだままで、何ら人集めが出来ません。少しも緊急事態が解除されていない状況で、今度は蔓延防止策が施行されて、何がどう変わると言うのですか。

 言葉が変わっても、宣言を解除しても、何も変わらないではありませんか。変わらないばかりか、罰則、罰金の話がちらほら出ています。

 緊急事態宣言も、蔓延防止策も、法律で定めたものではなく、自粛が根本であるなら、あくまで個人の善意で行っているわけです。そうなら、強制はできないはずです。何を以て罰則を設けるのですか、罰金は誰に対して支払う罰金なのですか。

 

 深夜までカラオケ店を営業している、マスクをしていない人が電車に乗る。だから罰金を求めますか。マスクをしていない人が、感染者でなかったなら、誰に何を感染させたことになりますか。カラオケ店で毎日お店を消毒して、従業員に感染者がいないなら、何を感染させたことになりますか。

 カラオケ店に来るお客様にはマスクをしてもらって、手洗いをしてもらって入店してもらっています。これでどうして罰金の対象になりますか。

 夜の8時までは営業していいが、10時11時まで営業はいけない。奇妙です。10時を過ぎるとウイルスが繁殖を始めますか。その根拠を説明してください。納得のゆく説明があれば人は従うでしょう。

 特定の、言いやすい人にばかりウイルスの責任を押しつけるのは弱者いじめです。まったく根拠のないことで特定の業種や人が虐(しいた)げられています。政府も地方自治体も、言いやすい企業や、言って通る相手にだけ厳しい規則を決めて、それで本当にコロナが蔓延しないと言う確証を問うていません。

 

 そもそも、緊急事態宣言も蔓延防止策も、全く人のためと言いながら、人々の生活を貶めています。言ってみれば緊急事態宣言は学校の校則と同じです。「頭の毛を染めてはいけない」「髪の毛で耳を隠してはいけない」。「マニキュアをしてはいけない」。「靴下は白または黒でなければいけない」。

 どれ一つをとっても個人の自由を侵しています。髪の毛に至っては人種差別です。そんなことを校則に載せている学校こそ自由の侵害であり、明らかな法律違反なのです。少なくとも先進国のする教育ではありません。

 毎朝校門前で、生徒をチェックして、髪の毛の寸法を測ったり、爪をベンジンで落とさせたりしている先生に、「なぜ、マニキュアを塗ってはいけないのか」。を問うてごらんなさい。生徒が言いにくいなら、父母が言ってあげるべきです。それに対して教師は誰一人応えられないはずです。

 自分がどんな格好をしようと個人の自由です。個人の自由は他人の自由を侵さない限り何をしても自由なのです。自由とはそういうことです。教師のしていることはかつての村社会の暮らしと同じです。少しでも豊かな生活をしている農家の子供を見つけると、嫉妬して嫌がらせやいじめをしたり、逆に自分より貧しい家庭の子供には罵声を浴びせて馬鹿にしたり、閉鎖的な村社会の業なのです。学校に対して、学生と言う弱い立場の者に強制や、同調を求めます。その根拠は薄弱です。服従させて悦に入っているだけです。

 庄屋さんのような本当の金持ちには媚びて、逆らいもしないくせに、自分の仲間が自分よりちょっと超えた生活をしたり、貧しかったりするとたちまちいじめの対象にする、あの村の人たちと同じです。

 

 「いや、今している自粛要請は、コロナの感染には必ず役に立っている」。そうでしょうか。手荒いマスクを徹底させて、仕切り板をセットして食事をしている、レストランや、ホテルでどうして感染者が増えますか。

 私がこれまで度々言って来た、山手線や中央線のラッシュ時の混雑のほうが明らかに感染の可能性があると思いませんか。ある時、テレビで、「電車の混雑は、別に中で人が話をするわけではないので、飛沫が飛ばないから安全だ」。と言っていましたが、そうでしょうか。人の顔が20㎝、10㎝と接近していれば、マスクの隙間から息がこぼれて、近くの人にその息を吸い込みます。これこそ感染を増やす原因でしょう。息が大丈夫だと言うなら、何をしても大丈夫でしょう。

 今、山手線や中央線を止めてしまったなら、日本の機能がそっくり奪われてしまうから、電車を止められずに弁護するのでしょう。つまり大きな感染源には何も言わず、飲食店のような弱者ばかりに責任を押し付けるのは、村の中で仲間の子供はいじめても、庄屋の子供には頭が上がらない江戸時代の農家と同じです。つまり緊急事態宣言は弱い者いじめです。世の中の役に立っていないのです。

 

 緊急事態宣言を劇的に重大事と認識させる方法は一つだけあります。それは、飲食店だけに一時金をばらまく今の方法は根本が間違いです。金を出すのではなく、金の入り口を閉めるのです。

 国家公務員や地方公務員の給料を10%20%カットするのです。今の状況では必ず国や地方都市の予算は足らなくなります。そうなれば自然に公務員の給料カットをせざるを得なくなります。それを前倒しですることです。そうすれば、国民全体が事の重大さに気付きます。飲食店の時短営業も、劇場の座席数の減少も、公務員が率先して返納するならやむなしと思うコンセンサスが生まれるでしょう。

 政治家や、役人が、隠れて飲食をして、それがたびたびバレてニュースになっているのは、彼らに危機感がないからです。国民がなぜ困っているのかが、税金を受け取っている側の人たちにはわかっていないのです。公務員に目が向かずに、末端の焼鳥屋やラーメン屋にばかりに責任を擦り付けて、国民に危機意識を持て、と、どうして言えますか。

 国民は、仕事が終われば飲みにも行けず、大学生は学校にも行けず、1年半もキャンパスに行けないまま授業料を払い続けています。その授業料も払えなくなり、アルバイトをしようにも仕事先がなくなり、もう生活は限界に達しています。

 こんな状況でまたぞろ蔓延防止策ですか。不可解です。江戸末期のコレラは、半年で10万人が死んでいます。

 当時江戸の人口は100万人です。一割の人が死んだならそれは緊急事態です。でも今のコロナはこの1年半、死者は少しも増えていません。死者は年間3000人4000人です。その数は正月に餅をのどに詰まらせて死んだ人の数と同じです。これでどうして緊急事態なのですか、なぜ日本中の飲食店を自粛しなければいけないのですか。なぜ1年半も大学や高校を休まなければいけないのですか。どなたか教えてください。

続く