手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナの一人歩き 2

コロナの一人歩き 2

 

 昨日は、久々出演の打ち合わせで日本橋に行きました。多くの経営者はコロナの影響で売り上げも厳しくなっています。何とか現状を打開しなければいけないとは誰もが考えています。

 それは私も同じで、干天慈雨(かんてんじう)と言う言葉がありますが、干からびた大地に雨が降ると、それまでしおれていた草木が急に元気を取り戻して、葉がつやつやしてきて、広い台地全体が生き生きしてきます。私にとって昨日の話はまさに恵みの雨です。幸い6月に2日間の仕事が決まりました。

 通常の不況ならば対処の仕様があるのですが、コロナ禍では何かしようとすると、マスコミや地方自治体が足を引っ張ります。人を集めるための工夫をしても、人を集めてはいけないと言われます。それでは芸能は死滅してしまいます。加えて、人の気持ちが内に籠ってしまい、なかなか陽気な反応をしません。かくして、人の集まるところはどこも開店休業状態で、日本中の店はガラガラ、物が売れない。みんな困っています。

 

 私の手妻も出演場所が極端に少なくなりました。自身の人生にこんな日々が来るとは考えもしませんでした。私の体調が悪くて仕事ができないなら致し方ありませんが、私は元気なのです。頼まれればいつでも手妻ができるのです。にもかかわらずイベントが発生しません。

 さて、この先はどうでしょう。恐らくオリンピックが過ぎるまではイベントは動き出さないでしょう。まぁ、ここまでは致し方ないとして、ならば夏が過ぎればよくなるかと言うと、まったく先のことは分からないのです。

 

 今、多くの芸能人やマジシャンは、どうしているのでしょう。アルバイトを探して、しばらくはほかのことをして生きているのでしょうか。この状況下で何とかショウを見せて生きて行く道はないものか。私は模索の日々を送っています。こんな時こそ私のような立場の者が、解決策を示して、多くの芸能人を引っ張り上げて行くべきなのでしょう。然し、現実は自分自身がどう生きて行くか、先が見えない状況です。

 何とか、日本全体を覆っている陰鬱な状況を打破しなければいけません。きっと解決の道はあるのです。

 

 こんな時、ふと親父のことを思い出します。親父は太平洋戦争のさなか、慰問団を作って、農村や、軍の慰問をしていました。都市部はどんどん寄席などが閉鎖してしまって、芸能は活動が出来なくなって行ったのです。

 戦争によって都市が疲弊して行ったのに対して、当時の農村は活気があったそうです。都市では食料が不足し、店に食料が並ばなくなって行きました。やむなく人々は食料を求めて都市から農村に買い出しに行きます。そうなると生産者は強いのです。米でも麦でも小豆でも、物を作っていると、向こうから買い手がやってくるのです。

 農村では黙っていても人が押し掛け、コメや野菜を求めに来ます。すると、日銭が入り、着物や帯が手に入り、にわか成金が続出します。然し農村では金の使い場所がありません。

 そんな時に、演芸を見せる慰問団が来ると、地方では楽しみが少ないため、学校や、施設での仮設舞台に人が押し掛けて、面白いように儲かったそうです。親父は金よりも、米や酒、小豆や大豆に変えて抱えられるだけ食料を持って東京に戻ったそうです。

 当時の親父の一座などと言うものは、恐らく素人演芸会のようなものだったのでしょうが、それでもどこで興行しても満席になったそうです。

 そんな状況は、敗戦後も続き、お陰で親父とその家族は食料に困ることもなかったそうです。

 言ってみれば戦争と言うのは都市間の戦いで、農村にいてはほとんど影響はなかったのです。アメリカと戦争をして大変だと言っても、多くの農村ではあまり実感はなかったでしょう。東京が空襲でやられたとしても農村に行けば興行はできたし、食料も手に入ったのです。

 この時代に芸能を見せると言うことは、人々に希望を提供することだったのでしょう。私のように戦争を知らないものからすると、その時代は規制が多くて生きずらい時代だったのではないかと思いますが、話は逆で、国の統制が厳しければ厳しいほど人は娯楽を求めます。見られない、見る場所がないとなると、入場料にプレミアがついて人は押しかけます。芸人は天国だったのです。

 そんな時代を聞かされて育ったものとしては、今の時代にどうしたら人に希望を与えられるのか、ついつい悩んでしまいます。私の親父がコロナの不況を経験したならどうしたでしょうか。親父ならきっと「何とかなるさ」。と言うでしょう。それに対して私が向きになって、「でもこのままじゃどうにもならないよ」。と言うでしょう。それでも親父は「何とかなるさ」。と言うでしょう。確かに何とかなるのは間違いないのです。

 太平洋戦争から考えても、コロナは大敵です。日本中どこに行っても人は怯えて家から出ようとしません。イベントは発生しません。海外からの観光客も来ません。無論こちらから海外に行くことも出来ません。八方ふさがりの状況です。

 せめて、アジアの中でコロナの被害が少なく、治安が安定している、シンガポールや、台湾、香港やマレーシア、くらいの国々とは交流を開始してもいいのではないかと思います。そうした国の人たちが来るだけでも、日本の観光はかなり潤うでしょう。

 何とか工夫をしないとこのままではどうにもならないところに行ってしまいます。

 

 日々何とかしなければ、どうしたらいいかと苦悶しています。親父のように、今が普通なんだ、今を基準に生きればいいんだ。と思えば何とかなるのは間違いないのです。ところが、私自身には欲があって、ついついよかったころに戻そうと必死になります。その結果、不満ばかりを感じてしまい、心のどこかで現実を受け入れられなくなっているのです。欲を捨てたらいいのでしょう。親父のように「何とかなるさ」。と言って暮らして行けば、何とかなるには違いないのですから。

続く