手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ロックダウンは悪手

 私は以前からコロナウイルスの対策は、スウェーデン方式でいかなければうまく行かない。と言っていました。スウェーデン方式と言うのは、コロナウイルスに感染する人をむしろ増やして行く方式です。ウイルスに罹った人は約二週間ほどで完治します。完治した後は抗体ができて、免疫力を見ちますので、コロナウイルスに対抗できます。そうした人を都市に増やして行くことで、コロナウイルスを抑えて行こうと言うのがスウェーデン方式です。

 このやり方ですと、初手に感染者を増やしますので、一時的には感染者が激増します。そして、死者も出ます。然し、コロナウイルスは極端に強いウイルスではありません、衰弱した老人、合併症の患者などが感染して危険な状態になりやすいのです。そうした中から重篤な人だけを入院させて、酸素呼吸などを施せばほとんどは助かります。現実に日本では死者は5か月間で700人です。このやり方で国民がコロナウイルスの抗体を持つ以外、解決はないはずなのです。実際、日本人は、すでに、抗体を持っている人が少なからずいたため、現在の死者数で収まっているわけです。

 

 方や、ロックダウン方式ではいたずらに今に状況を長引かせるだけなのです。コロナウイルスを撃退するには、特効薬か、ワクチンが開発されない限り、根絶は不可能です。それを、ロックダウン方式を採用すれば、一時的に国の機能を停止させてしまうわけですから、その後の経済の後遺症が大きくなります。機能停止中の一か月や二か月はウイルスは大きくは繁殖しません。然し同時に、免疫力を持った人も増加しませんから、いったん外出が解除されたなら、またコロナウイルスが繁殖し始めます。

 その時、再度ロックダウンをしたなら、今度は国が崩壊してしまいます。今まで耐えていた多くの企業が倒産します。ロックダウンは結局国民の仕事を奪い、体力を消耗させるだけなのです。

 ロックダウンが成功するのは、ウイルスの初期の段階だけです。特定の地域でウイルスが発生したとき(例えば、沖縄とか、北海道とか)、そうした地域のみでウイルスが発生した場合に、島全体をロックダウンするなら相当の効果を上げます。仮にロックダウンの期間が半年以上続いたとしても、封鎖地域が小さければ、日本本土が資金と医療と食料を支援し続けますから、封鎖地域の人々の生活の心配はありません。ウイルスは確実に根絶できます。然し、東京や、大阪、名古屋と言った主要都市がウイルスにかかってはロックダウンは解決しません。対象の地域が広すぎます。

 それでも、軍隊が出て、外出する国民を射殺するような国ならまだどうにかなるでしょう。それができない日本では完全なロックダウンは不可能です。

 結局、一時的に抑えたウイルスがこの先、何度も出て来ては感染者を増やして行きます。それでも、増やしつつ、免疫力を持った人も増えて行きますから、ウイルスは以前ほど猛威を振るわなくなります。然し、死者は相変わらず出ます。結局ロックダウンでの根絶は不可能なのです。しかもこの先、もう一度ロックダウンは使えないのです。

 と言うことは、結果において初めからスウェーデン方式を採用しておけば、何ら経済には問題なかったのです。無論、有効な薬が出たならそれが最善の解決策です。何にしてもロックダウンは悪手です。決してやってはいけない政策です。それをしたことで人類は1930年に戻ってしまっています。この先に大きな不況が来ることに多くの人はまだ気づいていません。

 日本にいると、まだ何とかこの程度の不況なら乗り切れそうに思う人がいると思いますが、それには大事なことを二つ忘れています。一つは、この先新たなウイルスが出なければ、と言う条件と、もう一つは、地震が来なければ、と言う二つの条件が満たされたなら、日本の回復は早いでしょう。しかしそのどちらも希望的観測に過ぎませんから、やはりこの先は日本も危険です。

 アメリカ、欧州を見ると、大きな大戦を一つやってしまったような取り返しのつかないような経済の混乱が起きています。またこの先、中国と韓国、ロシアが大きく経済を悪化させるでしょう。そうなると、ほとんどの国の経済が落ち込みます。

 

 思い出してください、私がコロナウイルスを書き始めた4か月前、そこに第一次大戦の話を書きました。私は子供のころから歴史書を読むのが好きで、第一次大戦に関しては特に興味で随分いろいろな本を読み漁りました。第一次世界大戦の何が、私にとって興味だったのかと言うなら、第一次大戦と言うものは当時、誰も予測していなかった戦争です。事件のその日まで、ヨーロッパは好景気で、平和だったのです。決して起こるはずのない戦争だったのです。

 1914年、バルカン半島サラエボと言う町で、オーストリアの皇太子が狙撃されました。首謀者はすぐにつかまり処刑されました。サラエボオーストリアの植民地ですから、国内問題です。誰もがこの問題はこれで解決されるものと考えていたのです。

 パリでも、ウィーンでも、ロンドンでも、ベルリンでも、当時、ヨーロッパの文化が花開いて、誰もが豊かさを享受していました。それがたちまちヨーロッパ中に大戦が広がって、5年に及ぶ戦争の末、ヨーロッパ全土が灰になり、とてつもない戦費を使ってヨーロッパ全体が衰退しました。

 戦争が済んでみれば、大きなスカートをはいた女性はいなくなり、燕尾服にシルクハットをかぶった男性もいなくなりました。馬車に乗って舞踏会に行く貴族もいなくなりました。大きな戦争は、営々と築いて来た伝統文化を消し去ってしまったのです。ヨーロッパの社会から、これぞヨーロッパ文化だと言う生活様式が消えて行ったのです。

 それから25年後、もう起こらないだろうと言う戦争が再度起こります。第二次世界大戦です。そして今、我々はもう世界大戦のような戦争は起きないだろうと考えていました。実際戦争は起きません。然し、ウイルスが人類を疲弊させています。これからウイルス対策による罪のなすり合いが始まるかもしれません。それが戦争につながるかもしれません。戦争は起こらないまでも、このままでは大恐慌が起きます。

 そんな中で我々は自分の生きる道を探らなければならないのです。