手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナと共にどう生きる

コロナと共にどう生きる

 

 結局一年間、コロナに大騒ぎをして、大した解決も見ないまま、振り出しに戻った形になっています。コロナは依然として居座っています。唯一進展したことは、ワクチンが出来たこと。ワクチンのお陰で、みんなの顔つきは多少和らいできたように思います。

 そのワクチンも、接種に時間がかかり、私らのところに回ってくるには、あと半年、一年先になるでしょう。それでは年内のコロナの解決は望めません。但し、一年の内には、日本製のワクチンもできるかもしれません。無論日本製は有り難いことです。遠からず光は見えています。

 

 オリンピックはどうなるのでしょう。今のところ海外観光客を認めず、国内の観客だけで開催する方向のようです。聖火リレーも始まったようですから開催はするのでしょう。

 よかったと思います。特にアスリートにとっては、これで東京大会が開催中止になっては、8年間のブランクが開いてしまいます。8年と言う月日は、アスリートにとっては死活問題です、せっかく東京大会にために調整した自身のピークの時代が過ぎてしまいます。次回の参加は不可能になるかもしれません。何がなんでも東京大会が開催されることでみんなほっとしているでしょう。

 然し、観光客を当て込んだ、ホテル、観光業、飲食店などは海外からの観光客が望めなくて大打撃です。オリンピックを待たずして、倒産する企業が続出する可能性も多々あります。

 ホテルや観光業だけではありません。私が毎月乗っている新幹線なども、乗るたび一車両に座っている乗客が5人7人です。こんなことで新幹線が維持できるはずはありません。10分に一回新幹線が走っていながら、一車両5人、7人では、JRの経営も危険な状態ではないかと思います。それは、日本航空全日空も同じでしょう。大きな企業なら大丈夫と思うのは間違いです。大きな企業ほど経費が余計に掛かります。マジックのチームなら、経費をかけずにじっと動かなければしばらくはしのげますが、大企業は何もしなくても莫大な人件費が出てゆきますから、事態は深刻です。私が大企業を心配してどうなるものではありませんが、うまく生き残って行けるように祈っています。

 

 この先またぞろ自粛の話になりそうですが、感染者が何人になったら自粛を呼びかけるのか、その数が曖昧です。感染者が増えると、病床数が足らなくなって危険だから、感染者を制御する意味で自粛をするというのですが、1年以上経っても病床数が増えないのはなぜですか。

 多くのお医者さんは、コロナは風邪だと思っているからではありませんか。私の友人の医者もコロナは風邪だと言う人が何人もいます。一年前までは、コロナに感染しても「寝ていれば直る」。と言われて入院もさせてもらえなかったのです。実際、感染しただけならほとんどの場合風邪薬を飲んで寝ていれば直ったのです。今でもそれでよいはずです。重症患者のみ専門病院に入院すればよいのです。全員入院させるなどと決めたことが間違いでしょう。そうであるなら病床数を心配することがそもそも間違いではありませんか。

 ウイルスは危険ではあっても、その危険は、インフルエンザの時と同じ危険ではないのですか。コロナが蔓延したことで、日本の人口が目に見えて減ったわけではありません。むしろ、手洗いうがいが徹底されて、この一年の日本人の平均寿命は延びています。コロナは日本の人口を左右するようなウイルスではないのです。

 そうであるなら自粛要請を繰り返すことは意味がないと思います。このままでは日本全体が大不況に陥ってしまいます。感染者が5000人くらいになるまでは自粛はしなくても良いのではないですか。

 かつてインフルエンザが毎日5000人以上感染していた時でさえ、みんなパーティーをして、遅くまで飲食をしていたのですから、コロナも、インフルエンザの時と同様に自粛要請ではなく、ウイルスと共存して生きる道に切り替えてはどうでしょう。どこまで行ってもウイルスを消し去ることはできないのですから。

 そうなら人に抑圧された生活を強要していないで、どこかに喜びを見出せるようにして行かなければ、みんなの日々の生活が不幸になります。今は桜の真っ盛りで、人は出歩きたくてうずうずしています。そうならみんなで外に出て、気分転換に花見をしたら良いのです。外に出ることがそうそう感染者を増やすわけではありません。飲食店も、実際の感染者はわずかです。一日5000人の感染者が出たなら自粛をするとしても、しばし自粛を緩めてよいのではないかと思います。

続く