手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

第九はなぜ偉大か

ドルチェ&ガッバーナ

 瑛人さんの歌う香水は、どうもお経に聞こえます。試しに般若心経に当てはめて歌って見ると上手くはまります。色即是空、空即是色、羯諦羯諦、波羅羯諦。仏教界も思い切って、お経を香水のメロディーに変えて唱えて見てはどうかと思います。瑛人さんを名誉僧侶にして、お寺を一つ任せてはいかがでしょう。西洋にはゴスペル音楽もあることですから、ここらで仏教界も大きな変化を遂げてもいいのかな、と思います。

 

第九はなぜ偉大か

 毎年暮れになるとクラシック界はどこも第九を演奏します。これは日本だけの習慣で、欧米の年末はハレルヤコーラスは演奏しますが、第九は演奏しません。そもそも、欧米の演奏会場は舞台サイズが小さなところが多く、第九のように、オーケストラと合唱団を大量に乗せるのが難しく、演奏する際も、コーラスを減らす場合が殆どだそうです。そのため迫力の点において、日本で聴く第九の演奏にはかなわないそうです。

 第九とはベートーベンが作曲した9曲の交響曲の最後の曲です。誰もが知っているジャジャジャジャーンは5番です。

 ベートーベンは他に戦争交響曲と言う作品を作っています。今日残っている「ウエリントンの勝利」がその戦争交響曲だと言われています。但し、ウエリントンの勝利は、交響曲の形式ではなく、言わば交響詩です。

 1800年代のドイツは小国の集団だったため、ナポレオン率いるフランス軍が勃興すると到底抗せず、支配下に置かれました。それが1812年にフランスがロシアに敗北し、1813年にイギリスに敗けるとドイツは歓喜に沸き立ち、各地で戦勝記念興行がなされました。

 この機に乗じて1813年に作曲したものが戦争交響曲で、いわばご祝儀作品だったようです。曲はかなり通俗的で、フランス国歌とイギリス国歌が交錯し、激しくぶつかり合い、たくさんの銃声(本当の銃を使います)が響き渡り、全く音楽に興味のない人でもよく分かるような音楽になっています。それゆえ戦争交響曲は当時、ベートーベンの代表作として大人気で、頻繁に演奏されたそうです。

 音楽室に飾られているベートーベンは偏屈で、時代と無関係に生きてきた人のように見えますが、実際は時代の流れに敏感で、依頼者の意見も尊重し、頼まれれば幾らでも曲を書き直したそうです。 楽聖と呼ばれているベートーベンですら、一般大衆を否定しては生きられなかったのです。

  実際、ベートーベン以前の音楽家は、宮廷音楽家となり、開けても暮れても貴族のためにパーティー用の音楽を作曲し、演奏していたのです。それが台頭して来た大衆を相手に演奏会を開くことで収入を得るようになったのはベートーベンの頃からなのです。

 

 実際彼は室内楽をよく作り、その譜面の売り上げが生活の基盤となり、一般大衆を相手にした演奏会収入もまた収入源だったのです。レコードもラジオもない時代は、家庭内ではピアノやバイオリンの演奏が、ほぼ唯一の音楽だったわけですから、譜面の需要は大きかったのです。欧州でベートーベンの知名度は絶大で、音楽界に大きな影響を与えていました。その彼が、40代末ぐらいから、作品が書けなくなって行きます。

 その理由はロッシーニでした。イタリア人のロッシーニは、20代の前半にセビリアの理髪師を書き、オペラ界で一世を風靡します。彼の曲はどれも転換が早く、スピーディーで、面白く、メロディックで、出す曲、出す曲大ヒットです。ウィーンでの人気も絶大で、ベートーベンはもう過去の人に扱われるようになってしまいます。機を見るに敏な、べートーベンにとって、この状況は由々しき事だったのです。

 功成り名を挙げたベートーベンが流行作曲家のロッシーニを羨むと言うのはおかしなことですが、実際そうだったようです。そこでベートーベンは、起死回生の曲を構想します。自分の考えを直接観客に伝えるためには言葉が必要だと気付き、そのため合唱曲を作ろうと考えます。

 それもオペラのように技巧的な曲を作るのではなく、誰でも口ずさめるような平易な曲を考えます。音程もあまり幅広くなく、みんなで肩を組んで歌えるようなテーマ曲を考えます。その曲の詩は、昔から気に入っていたシラーの詩「歓喜に寄せて」を用います。更にベートーベンは歓喜の曲を第9交響曲の最終楽章に持って来ようと考えます。

 合唱とオーケストラの組み合わせは当時としては斬新です。と言うよりも、器楽合奏と声楽は一緒にしないのが当時の常識だったのです。それをあえて破ってでも自身の主義を訴えようとしたのがベートーベンの独創性です。

 

 第一楽章は、霧の中を暗中模索するような、混沌とした世界です。苦悩は一向に解決されません。第二楽章は苦しみや悩みと果敢に戦い続けます。しかし問題は解決されません。

 第三楽章に至って、ようやく静寂が生まれ、安らぎを手に入れます。何度も神の導きを受けて花園に引き込まれそうになります。ここまでで第9交響曲は50分を超えます。本来はこの静寂の中で第9が終わっても十分なのです。この三つの楽章の曲を作っただけでも、ベートーベンは世界に冠たる音楽家として名を残せたはずです。

 ところが、この後に第四楽章があります。冒頭に雷を落とします。緩く歓喜のテーマを演奏しますが途中でもう一度雷を落とします。そしてテノールが出て来て、「我々が求めているのはこのような音楽ではない」。とそれまでの音楽をすべてを否定します。

 これまで一時間付き合って聞いていた観客は、このような音楽は音楽ではないと言われて、訳が分からなくなります。然し、ここから高らかに歓喜の歌が始まります。曲は合唱とと全合奏で華麗に展開され幕を閉じます。75分にも及ぶ壮大な交響曲です。

 この曲を聞くときは、物のついでに聞いてはいけません。きっちりと第9を聞く気持ちで聞かなければ理解できません。その分大変な感動を得ます。

 

 シラーの歌詞の中に「共に一つとなって、我らを引き裂いていた厳しき波(を乗り越えて)われらは兄弟となる」。とあるところが、自由平等を語っているように聞こえます。封建時代に自由と平等は禁句です。貴族のいる社会は平等ではないのです。庶民が自由平等を唱えたなら革命につながります。

 オーストリアの宰相、メッテルニッヒはベートーベンを警戒し、スパイをつけて日々行動を探っていたと言われています。元々王侯貴族を嫌ったベートーベンは、心の奥に革命の意識を持っていたのかもしれません。そう遠くない将来に民主主義の時代が来ることを予測していた可能性があります。もしそうだとしたら、べートーベンは偉大な音楽家であると同時に優れた革命家なのかもしれません。機会があったら是非心して聞いてみてください。

続く