手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

フランクのソナタ

フランクのソナタ

 

 一昨日は朝から一日指導をしました。午前中は2人。午後の指導は4人。カードマニュピレーションを指導しました。今、私は舞台でカード手順を見せることはなくなりましたが、それでも10代20代の頃はカードの演技で仕事をしていました。

 十代の頃、渚晴彦師からカードの手ほどきを受け、その後、二十歳ころに名古屋の松浦天海師から初代天海師の手順を習い、それらを合わせて私のカード手順は完成しています。

 さらに、アメリカへ行った時にチャニングポロック師に質問して習ったことや、フレッドカプス師にアドバイスを受けたことも随分役に立っています。もう二度と聞けないことを教えてもらったわけで、今更ながら有難いと思っています。

 

 カードの指導は今回で4時間目になります。ファンカード、天海の5枚カードまで済んだところで、実際音楽をかけて、燕尾服を着て舞台の雰囲気のまま演じて見ました。

 音は、ターンテーブルを生徒さんのご厚意により、新規に頂きましたので、レコードを流してみました。原信夫とシャープ&フラッツで、スィングジャズをかけて、燕尾服を着て演じて見ました。

 やってみると、全く50年前のキャバレー時代に戻ったようです。気持ちがいいですねぇ。あぁ、こんな風にしてショウをしていたんだなぁ、と思い出しました。

 同時に、生徒さんにも同じように私の燕尾服を着て演じてもらうことにしました。一人ずつ同じようにレコードをかけて演技を通しました。結構皆さん気持ちが入って、それなりに満足したようです。

 考えて見れば、日本舞踊なども、国立劇場などを借りて、化粧をして、本衣装を着けて、生の演奏家を頼んで踊るわけです。すべて本物を頼んで、踊る当人だけが素人なわけです。

 無論、素人の芸には限界がありますが、本物の中に入って踊りをすると、自然自然に実際の舞台の息遣いが分かってきますし、舞台に立つことがどういうことかが分かってきます。

 そうして踊っているうちに、日ごろの稽古ではわからない舞台の面白みが見えてくるわけです。こうして日本舞踊に生徒さんは徐々に舞踊に嵌ってくるわけです。

 

 このことはマジックも同じです。どんなマジックでもちゃんと学んで、手順を作り上げて、衣装を着て、音楽に合わせて演技をすると、種仕掛けの問題とは別に芸の厚みが分かってきます。そこから品格が生まれて来ます。どこをどう見せるか、何をしなければいけないかをしっかり学んで演技すればかなり説得力のある演技になります。

 但し、今、こうしたきっちりとした指導をするところがあるかどうか。あまりに簡単に教えて、簡単な練習で済ませてしまう指導家が多いのではないかと思います。

 本当のマジックの面白さを体感することなく、ほとんど何も学ばずにマジックから離れて行く人が殆どなのではないかと思います。勿体ない話だと思います。

 さて一通り演技が済んだ後、自主稽古をしているときにせっかくレコードが掛けられるなら、何かいい曲を流そうと思い、フランクのバイオリンソナタをかけて見ました。

 かなり地味な作品ですが、なかなか洒落た曲です。ところがこれが皆さん気に入って、「高級感がある」とか、「雰囲気がいい」、とかいう人があって意外にも地味なフランクの曲が評価されて私も嬉しくなりました。

 

 セザールフランクと言う人はベルギー人で、子供のころから厳格な父親の元でピアノを習います。彼は才能があったと見え、ベルギーの音楽院から、パリ音楽院に進み学びます。

 彼は作曲家を目指しますが、地味で謙虚な人であったらしく、当時のパリの享楽の世界に馴染めず、なかなかパリの聴衆に受け入れられる作品が出来ません。やむなくオルガン奏者の道を選びます。その流れからバッハの影響を受け、ドイツ音楽の研究を始めます。後に音楽院の教授となり、パリの音楽界の一派の旗頭となりますが、なんせ地味な人ですから、当時のドビュッーシーやラベルや、サンサーンスなどの人気にはかないません。

 彼の生まれがベルギーであると言うことがそのまま彼の人生や音楽を決定づけているところがあります。ベルギーは地理的に、フランスにもドイツにも強い影響を受け、人として見てもラテン系のようでもありながら、ゲルマン系の要素もあります。四国くらいの小さな国でありながら、北はオランダ語を話し、南はフランス語を話します。互いに仲が悪く、道路標識も、お札も二か国語で表記されています。

 そんな国に生まれた彼がバッハや、ベートーベンなどのドイツ音楽に惹かれつつ、同時にパリにいて、新しい音楽にも影響を受けることは、ベルギー人の典型的な行動なのかも知れません。但し、当時のパリでバッハは人気がなく、彼のバッハ研究はなかなか認められません。

 そうした中でバイオリンソナタを1875(明治7)年、彼が53歳の時に作曲しています。曲はとても洗練されていて、映画音楽に使ってもそのまま生かせるような洒落た音楽です。

 ドイツ的な形式を守りつつ、循環形式と言う当時の流行を用い、それでいて曲の端はしがとってもお洒落でフランス的です。こうした曲はベルギー人でなければ書けないのかも知れません。この曲によってフランクはようやく人に知られるようになります。

 フランクの音楽には、ベートーベンのような大きなテーマはありません。全く私小説的で、日常の小さな発見、小さな喜びがテーマなのです。そのさりげなさが現代的で、ドイツ音楽によくある、「こうあるべき」と言う、押しつけがましさがありません。

 正面を向いて真剣に聞く音楽と言うよりも、窓を開けて、そよ風に吹かれながら、物を書きつつ、軽く流して聞くにはちょうどいい音楽です。

 そうした点では私のお気に入りの音楽です。数々の名バイオリニストが演奏していますが、ここはフランクと同郷の、グリュミオーをお勧めします。ベルギー人であるがゆえに、人一倍フランクを愛して演奏していることが伝わってきます。

 クラシックに馴染みがなく、かつお忙しい方は、第一楽章と第四楽章の冒頭2~3分だけでも聞いてみて下さい。フランクの人柄の良くわかる音楽です。

続く