手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

仲間を作る3

 マジシャンを見ていると、目の前にいるお客様をいかに自分のお客様に取り込むかという言うことを作戦を立てて捉えていないように見えます。いいマジックさえ見せたなら、お客様は自分のファンになってくれるに違いないと、思い込んでいます。それは作戦ではありません。願望です。よくサラリーマンが、「まじめに生きていけばきっといいことがある」。と言っているのと同じで、結論を他人任せにしています。まじめに生きることは人生の処し方であり、仕事の成功とは何ら関係がありません。

 のべつ酒を飲んでいて、ばかばかしく生きていながら、仕事でて成功している人を私は山ほど知っています。

 

 自分の演技をしっかり作り込む。それを売り込む。相手に強い印象を与える。次の仕事に結びつく。このステップを自身が把握していないのです。マジックをした時点が終点と思い込んでいます。しかしそれは入り口で、問題はその先なのです。多くのマジシャンは、マジックを終えると、「このマジックで何かでいいことないかなぁ」。と神様に祈っているだけです。それは仕事とは言えません。

 話は初めに戻って、あなたがカードマジックを演じたとして、そこでカードが当たったとして、なぜお客様はそれを自分事として捉えて、感動し、支援してくれるようになるのですか。ただトリックがわからなければ人は頭を下げますか。拍手をして、仲間になりたいと思いますか。うまくマジックが成功したとして、それであなたを支援しようと考えるまでには、まだ相当多くのプロセスを経なければ支援者には結びつかないはずです。ならばどうしたらいいのですか。

 

 このことのために多くの芸術家は大変な苦労をして、お客様とつながりを持とうとしています。例えば映画監督は、映画の構想を考えて、キャストを考えて、試算をして、仮に一本の製作費に10億円の経費が掛かるとすると、翌日からは、ひたすらスポンサー探しをします。無論自分の家や土地は真っ先に抵当に入れて、銀行から資金を借ります。あとはまだ出来てもいない映画がいかに素晴らしいものであるかを、スポンサー、や知り合いの会社社長に熱弁をふるって、支援金をもらうために会社に日参します。

 

 マジシャンが一本の仕事をもらうのとは桁の違う話です。そうして集めた資金によって、ようやくで映画作りが始まります。出演者のスケジュールを抑え、撮影場所を決め、スタジオを借り、機材を揃え、スタッフを集め、大道具を制作し、作曲者に作曲を依頼し、衣装、鬘を揃え、出来た映像の編集をし、めでたく劇場公開にこぎつけます。万全を期して映画を完成させても、運悪く観客動員がぱっとしなければ、とんでもない赤字を背負います。

 監督と言う職業はいつでも乗るか、反るかの大博打を売っているのです。つまりいい監督と言うのは、大きな夢をを持っていることは勿論、よき支援者の心を掴んでいる人のことであり、人から支金援助を集めることに長けた人のことなのです。

 このことは映画監督だけではありません。クラシック音楽の世界も全く同じです。フランスの指揮者、ダニエルバレンボイムは、元はピアニストでした。その演奏は、天才の名前をほしいままにした超技巧派で、音楽の解釈も抜きんでて優れたものでした。然しある時、ピアノに限界を感じ、指揮者に転向します。数年ののち、パリ管弦楽団の常任指揮者の地位を手に入れます。これはとんでもない出世です。

 ところがパリ管弦楽団は、国からの支援金が少なく、企業の寄付にもばらつきがあり、常に赤字が出ていました。一回2000人の観客で、入場料10000円として、年間100回公演するとなると20億円。然しパリ管弦楽団は、年間20億円では動けません。その数倍の費用がなければ維持できないのです。果たして、常任指揮者には、気が遠くなるような資金集めの責任がかかってきます。

 指揮者の選んだ曲目があまりに地味だったりして話題にならないと、観客の入りは覿面に悪くなります。そうなるとバレンボイムをやめさせようと言う勢力が現れます。

 対するバレンボイムは、そうはさせじと自分がユダヤ系であることを利用して、ユダヤ人の財閥を集め、パリで資金集めのパーティーを開きます。そこでのバレンボイムは、傍で見ていても、涙ぐましいほどに、金持ちに擦り寄り、太鼓持ちと見まごうばかりに金持ちを持ち上げ、多額の支援金を求めます。こうした陰の努力が功を奏し、パリ管弦楽団は赤字が埋まり、バレンボイムは常任指揮者の地位を維持します。

 音楽の世界では天才と言われ、人がうらやむような恵まれた才能の持ち主でありながら、彼の行動はすべてをかなぐり捨てて、太鼓持ちに徹します。

 指揮者は燕尾服を着て、細い棒を動かして、百数十人の楽団を、指と、目の動きだけで支配する人だと思っている人があるなら、それはとんでもない間違いです。表では、稽古嫌いで、言うことを聞かない古手の演奏家をなだめ、懐柔し、裏では資金集めに奔走し、観客の前では徹底したスター指揮者を演じ続けなければならないのです。

 映画監督や、指揮者を思えば、「マジックは道具に金がかかる」だの、「イリュージョンは人件費がかかる」。などと言っているマジシャンが、全く世間知らずの素人に見えます。マジシャンと言う職業を選んだのなら、道具や維持に1000万かかろうと一億かかろうと、自分の夢を実現させるためなら当然の投資なのです。

 一億の借金に怯えて夢が実現できないなら、初めから夢など語らぬことです。高円寺あたりの商店街の宝石屋さんや、ドラッグストアーや、レストランでさえ、店舗の改装や、建て直しに一億くらいは軽くかかるのです。それほどお金をかけても、誰も偉いとは言ってはくれません。商売なら当然の投資なのです。

 それをマジシャンが「イリュージョンは、アシスタントの給料を払わなければいけないから大変だ」だのと言っていては、とてもプロの発言とは思えません。そんな寝言を言っている暇があれば、周りのスポンサーを説得し、支援金を引き出したり、銀行から借金するなどして、夢を実現させなければいけません。

 その結果、思惑が外れて、大借金を作ったとしても、夢をかなえたと言う実績は永久に残ります。借金を恐れるべきか、何があっても夢を実現させるのか。二択の選択はプロマジシャンになった時点で明確にすべきなのです。そこが曖昧と言うのは、あなたの存在が曖昧なのです。つまりプロマジシャンではないのです。

 話が大分長くなりましたが、次回でこの話をまとめましょう。