手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

NOを言おう

NOを言おう

 

 政府は、蔓延防止等から発展させた蔓延防止等重点措置を打ち出し、またぞろ飲食店などに時短を要請しています。おかしな話です。こんな法律が出て来ると、あらゆる活動が休止したり規制が始まります。

 成人式を取りやめた自治体があります。子供の修学旅行を取りやめる学校もあります。おかしな話です、人生に一度だけの経験をなぜあっさり取りやめてしまうのですか。子供の思いを考えたことはありますか。クラブ活動を休止するところもあり、各スポーツの大会も取りやめてしまいます。

 そもそも学校、大学は規制するばかりで少しも旧に復する活動をしていません。オンラインで授業をすることが大学のなすべき活動ではないはずです。普通に会社は社員が集まって活動をしているのに、大学のみがなぜキャンパスを開放して、通常の活動をしないのか不思議です。と、同時になぜ学生はこの状況を素直に受け入れているのか理解できません。

 市民会館文化会館は貸し出しを休止したり、入場者の制限を加えようとしています。せっかくの芸能活動を開始しようとして、借りた劇場を、一方的にキャンセルされたり、開催しても入場者に制限をされたら、芸能人は大赤字を被ります。そんなことを一体いつまで繰り返すのですか。

 

 そもそも、オミクロンの感染源として、この二年間、劇場や、飲食店で一体何例の感染がありましたか、ほとんど影響はなかったではありませんか。ほとんどの感染は、職場であったり、病院であったり、通勤電車だったり、風俗店だったのではないですか。

 そうなら規制する先を間違えています。言いやすいところに言うのではなく、はっきり感染源を見つけ出して、そこを規制すべきです。

 

 さてその規制ですが、本当にオミクロンは規制すべき感染病なのでしょうか。マスコミでは感染者が爆発的に増えていると騒いでいますが、オミクロンは、感染力は強いのですが、重症化はしません。それはこの3か月を見てもわかります。重症者がほとんど出ないのです。ましてや死者も出ません。感染して、重症にもならず、死者も出ないなら、それはただの風邪です。

 

 そもそも日本人のほとんどはワクチンを二回摂取しています。コロナにはかかりにくくなっています。こう言うとマスコミは、「ワクチン接種者でも感染している」。と言います。その通りです、それはインフルエンザだって、予防接種した人が感染することもあります。然しその事例はわずかです。コロナも同様で、わずかな例を問題にして物を言えば世間の不安を煽るばかりです。

 むしろ、感染しても重症化しないことの方が重要です。なぜ重症化しないかは明らかで、ワクチンが効いているからです。そして、そもそもオミクロンの性質そのものが重症化しにくいからです。

 「そうは言っても予断を許さない」。などと言って、危険信号を出す医者がいます。しかし実際、この3か月、ほとんど死者が出ていません。こうした実例をなぜ語りませんか。人を煽るばかりで実態が語られていないのです。

 実際感染者のほとんどは、自覚症状もないまま、風邪薬を飲んで一週間以内に治っています。中には感染した自覚もなく通過しています。そんな感染病をなぜ世間は騒ぐのでしょうか。

 オミクロンの感染者が、500人から1000人になった途端、「毎日倍々に増えて行く」。と脅した医者がいます。しかし現実にそうなりましたか、もしそうなら、前日5000人の感染者が出たなら、翌日は10000万人にならなければいけません。実際にそうなっていますか。なっていません。むしろ一昨日よりも昨日は減っています。国民を煽った医師はどう説明を付けるのですか。

 オミクロンは実際にはもうピークを過ぎています。このまま二月に入って、数百万人の感染者が出ると言うことはありません。一月初頭にオミクロンはひとまず広がった後、たちまち収束します。オミクロンの終息後は、コロナはただの風邪に変わります。(元々ただの風邪だったのですが)。

 風邪も時には死病につながります。そのことは肺炎もインフルエンザも同じです。コロナも同様です。コロナも時として死病につながります。それは事実です。しかし実際にはそれほど危険な感染病ではありません。

 

 オミクロンをもっと冷静に見ることです。大切なことは国民全体が一日も早く通常の生活に戻ることです。このままオミクロンによって、日本の経済が停滞し、負のスパイラルに陥らないように、ここらで本当の原因を探るべきです。

 そして、単純な責任逃れや、風評に怯えて何もしない人たちに、はっきりNOを言うべきです。もうこの先は生活を立て直すために、過剰反応はしない。風評に流されない。違うことは違うと言う。

 そうして生きて行く以外、無責任な人の言うことを聴いていては生きて行くことは出来ません。このままでは自分自身の将来が無くなってしまいます。駄目はいくら繰り返しても駄目です。ここから先は自分で判断を立てて生きて行く以外ないのです。

続く