手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジュピター

ジュピター

 

 youtubeでクラシックを聴くようになって二年ほどたちました。面白い録音が出て来るので楽しみです。

中でも指揮者の徳岡直樹さん(詳しいことは分かりませんが、台湾にいて指揮活動をされている音楽家のようです)が、とても詳しく指揮者やピアニストのことをお話しされています。

 オーディオルームと思しき部屋で、ものすごい数のCDやLPレコードが並んでいる中で、フルトヴェングラーや、カルロスクライバーなどの音楽を語っています。無論本職の指揮者ですから知識も豊富ですし、毎回面白く聴かせていただいています。

 話はいつも30分以上に及び、原稿も読まずに立て板に水で、年代から名前、場所までものすごい記憶力で話をされます。よほど頭のいい人なのでしょう。

 内容は相当にマニアックで、よほどの音楽ファンでも着いて行けないような、レコードの録音日や、プロデューサーの名前、当日の演奏の状況など、細部にわたって細かく調べています。

 但し、どうも徳岡さんは、音楽評論家の宇野功芳先生(故人)とは考えが合わないらしく、随分悪く仰っています。私は、高校生の頃から、宇野先生のレコードジャケットの解説を読んで音楽に目覚めて行った一人で、私にとっては神様のような人です。

 その後に直接先生にお会いして以降、何度か一緒に食事をしたり、酒を飲んだりして、親しくさせていただきました。

 宇野先生のお父様は漫談の牧野周一さんで、私は子供のころ牧野周一先生と何度もお仕事を一緒にさせて頂いたことがありました。また私の親父が漫談家でしたから、親父と牧野先生も親しい仲でした。いわば親子二代のお付き合いになります。

 宇野先生は、何でもずけずけ物を言う人ですし、若くして名前の知られた人でしたから、音楽界で敵も多かったと思いますが、それでも立派な活動をされた人だと思います。

 クナッパーツブッシュなどと言う、かつては得体のしれない指揮者と思われていた人をいち早く認めて、日本で紹介したのは宇野先生の功績ですし、レニングラードフィルの常任指揮者のムラビンスキーの才能を再発見したのも宇野先生の功績だと思います。

 ムラビンスキーはチャイコフスキーなどのロシア物の指揮は早くから認められていましたが、長くローカル指揮者の扱いを受けていて、ドイツ音楽などの評価は未知数でした。それをいち早く認めたのは宇野先生だったと思います。今では二人とも偉大な指揮者として認められていますが、1960年代の日本ではあまり評価されていなかったように思います。

 クラシック音楽の評論家として、人気があり、実績を残した人だけに一方的に悪く言われるのは悲しく思います。

 死者はいくら批判されても反論できません。ものの言えない人を悪く言うことは、結果言い放題になります。でもよほど気を付けて発言したほうがいいでしょう。それは巡り巡って死後、同じことをされる結果になります。

 

 宇野先生は、私がメンゲルベルクが好きだと知ってから、ご自身の関係する雑誌に私を出してくださったり、宇野先生の記念パーティーで私が手妻(日本古典奇術)を演じたり、随分いろいろとお世話になりました。

 

 宇野先生との会話で「あなたはメンゲルベルクのどういうところが好きなの?」。と聞かれて、「あの人は芸術家であると同時に芸人なんじゃないかと思うんです。つまり、観客が何をしてほしいかを良く知っているんですよ。

 メンゲルベルクの演奏を過剰とか、やり過ぎと言う人は多いのですが、それはちょうど、曲芸の染之介染太郎さんが、『いつもより余計やっています』、と言って、余計にやることがサービスだ、と言って笑わせるように、少し余計に演出することが観客の喜ぶことだと知っているんですよ。そんなところが同じ芸人として共鳴できるんです」。

 と、私が言うと、妙に感心して聞いてくれました。

「それで、メンゲルベルクの指揮でいいと思う曲は何?、ベートーベンとブラームスチャイコフスキー以外で」

 「えぇ、それ以外ですか、まず、バッハのマタイ受難曲でしょう。もしメンゲルベルクがマタイを演奏していなかったら、私は永久にマタイを聞くことはなかったと思います。メンゲルベルクのレコードの中でも最高の出来だと思います。次にフランクのニ短調交響曲でしょう」。

 「フルトヴェングラーよりもいい?」。

 「もちろん数段いいと思います。フルトヴェングラーはまず暗すぎます。フランクはそんなに重たい陰気なテーマで曲を作っていません。フランクの音楽は小市民的な味わいがあります。フランクが喜んでいるときは、例えば、『娘が高校に合格した』とか、そんな小さな喜びを語っているように思えます。日常の小さな喜び、小さな問題を曲にしているのです。

 それに対してフルトヴェングラーはドラマチックな効果をつけ過ぎています。何気ない小さなドラマが大歌舞伎になってしまっています。それはフルトヴェングラーがいい悪いではなくて、フランクとは合わないのだと思います」。

 

 浅草の並木の藪(蕎麦屋)で、天抜き(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもの。おつゆの上にぷかぷか天ぷらが浮いているだけ。でもこれが抜群にうまい酒の肴なのです)を肴に、菊正の樽酒を飲みながら、宇野先生と気楽に音楽の話をするのは最高に幸せでした。

 「私はモーツァルトワルターの演奏が一番いいと思います。特に40番41番は最高です。41番「ジュピター」の最終楽章のコーダで、テーマが復活して、フーガ形式でテーマが繰り返し湧き上がってくるところが、他の指揮者だと、テーマが低音楽器に回ってきたところで、他の楽器にかき消されて聞こえなくなってしまうんですよ。でもあれは希望のテーマですから最後まで消えてはいけないと思います。その点、ワルターだけはテーマが消えずに最後まで聞こえています。あれはワルターと言う人はすごいと思います。最後まで希望を語り続けたのはワルターだけです」。

 「え、君、あれに気付いていたの?ワルターは、テーマを消さないために、あそこでホルンを足していたんだよ」。

 「本当ですか、ワルターって、譜面を変えるんですか」。

 「やるんだなぁ、結構わからないところでいじるんだ」。

 「なるほど、そうでしたか。それでワルターだけテーマが聞こえるんですね」。

 「いや、でも、君がそこまで細かく音楽を聴く人だとは思わなかった」。

 後にも先にもこの時ただ一度だけ宇野先生から褒められました。でももう宇野先生はいません。並木の藪の体験はもう帰ってこないのです。私にとっては素晴らしい先生でした。先生に感謝。

続く