手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには 4

ビデオ、書籍の限界

 私は、20代から、レクチュアービデオを出してきましたし、書籍も何冊か出しました。ステージマジックの指導ビデオが少なかった時代に、30種類以上のビデオを出しましたので、今も、その古いビデオが受け継がれて、お使いになっている人がかなりあるようです。40年近い昔の私が指導していますので、顔も、やっていることも今とはかなり違っていますので、何とも恥ずかしい作品です。

 ただ、そうして数々ビデオを出した者が言うのも矛盾した話ですが、ビデオは本来、語るべきことの半分も解説していません。一見隅々まで説明しているように見えるのですが、実際には本当の指導にはなっていません。その理由は3つあります。

 1つは、時間の制約。ビデオと言うものは、50分以内に一つの演技を、模範演技を演じて、道具解説をして、内容解説しなければなりません。そうすると、内容にかけられる時間は30分もありません。そのため、余計な内容は極力省いて、重要なことのみあっさりと解説することになります。

 「そうなら、2時間でも3時間でもビデオ指導したらどうですか」。と言われますが、当時、1巻で1万円もしたビデオを、2巻3巻セットにして解説したら、とても高額になってしまいます。なお且つ、ビデオを買って勉強する受講者も、あまり長いビデオは敬遠します。そのため内容は思いっきり簡単に解説されます。ここに大きな落とし穴があります。

 例えば、私にその作品を教えてくれた先生のことなど、殆ど説明しません。直接種仕掛け以外のことはカットになります。また、何気に先生が話してくれた話なども殆どカットです。ある時私が、「どうして、蒸籠の中からシルクや帯を出すんですか」。と理屈張ったことを聞いた時に、師匠は、「絹が高かったからだよ。昔は小切れ一枚でも絹なら高級品だったんだよ」。と教えてくれました。

 確かに、江戸時代なら、全てが手織りですから、生地は人件費そのものです。今でも絹のハンカチは高価ですが、江戸時代なら今の10倍かもしれません。小箱から、帯がどんどん出て来る絵柄は、今の人が思う気持ちとは違って贅沢な世界だったのでしょう。

 同様に卵の手品です。私の子供の頃ですら、卵一個が今の10倍もしたのですから、江戸時代だったら20倍も30倍もの価格で取引されていたでしょう、そのころの卵に対するお客様の憧れは今とは比較にならない程だったはずです。みんなが欲しい、食べたいと思うものを無造作に出すことで人の気持ちを引き付けていたのです。卵を出すことがステータスだったのです。

 私が子供の頃は、舞台でお客様に配る品物や、手品で使う食べ物などは、ギャラとは別に、仕事先が用意してくれました。筒から、ミカンやバナナを出すときに、あらかじめ必要個数を知らせておくと、楽屋に用意してくれました。多くの場合、師匠は、余分に注文して、一つ二つ、胡麻化して持ち帰っていました。奇術師の余禄です。紙うどんなどは、一玉注文しても、半玉しか使いませんので、半玉は持ち帰って自宅で食べていました。昔の奇術師のつましい生活です。

 アダチ龍光先生がパン時計を演じるときは、一斤のパンを半分に切って、時計が出なかったほうのパンは無傷ですから、後で、弟子の昼飯になっていました。

 そんな話を奇術を習いながら話してくれたことが今になって、江戸の風情を表現するときに役に立ちます。書籍や、ビデオだけで習っている人にはなかなか気付かないことです。

 

 2つ目は人の話がカットされます。直接教えてくれた師匠のこと、また、その作品の作者のことなど、人に関わることがビデオでは殆ど解説されません。そのため作者不詳の扱いになってしまいます。細かなハンドリングでも、師匠から習うときに何気に、「これは天海先生が教えてくれた手だよ」。等と言って話してくれたことが、ビデオでは時間の都合上カットになります。その部分をこだわって解説すると、天海先生と原案はどう違うかを解説しなければいけません。とても長い解説になってしまいます。

 つまりビデオの指導は、本質を知るには役立ちますが、その作品の成り立ちや、沿革がどんどんぼやけて行きます。人と人とのつながりが薄れて行き、作品が即物的に扱われて行きます。

 セリフにおいては一層顕著で、「天勝先生はここで必ず息継ぎをした」。等と言うことが何気に伝えられたり、天一先生の口上のセンテンスが独特だったり、と言う話はもう語る人もいなくなってしまいました。然しマジックを種仕掛けとしてではなく、芸能、芸術として残そうとすると、とても必要なことなのです。

 私自身、天一、天勝は直接見ていませんが、三代目帰天斎の口上の中で、「ひょっとするとひょっとするやもしれません」。とか、一徳斎美蝶の「積み木と積み木の間には毛ほどの隙間もございません」。等と言う口上は、今も記憶しています。それを聞いているかいないかがその後に自身が手順を作る上での芸の厚みになって行きます。

 

 3つ目は、自身がアレンジした部分をビデオですべて解説すべきかどうかで、種者択一されます。ビデオで一番恐ろしいことは、誰がそのビデオを買うかがわからないことです。私は、初めは何でも親切に解説していましたが、後になって、私の考えた演技を私の演技と知らないで演じている人が大勢いるのを見て、「必ずしも、親切は人の役には立たない」。ことを知りました。

 どんなことでも、人に教えるときには相手の人品を見て教えないと、見ず知らずの人に必要過多な栄養を与えることは、決して人を育てないと気付いたのです。そうなると、ビデオの種仕掛けの解説そのものが無意味なのではないかと気づき、ある時期からビデオ解説を止めることにしたのです。芸能の伝承は、直接会って話をしながら教える以外ないと知ったのです。

 安易な指導は安易なマジシャンしか生みません。優秀なマジシャンを育てようと思うなら、ちゃんと会って、指導しなければ人は育ちません。書籍も同じことが言えます。古い文献をつぶさに見ると、「あぁ、この作者は、ここで本当のことを書くべきか、否か、迷っているなぁ」。と気づくことがあります。今も昔も、教えることの難しさに変りはないのです。

続く