手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

のどぐろ、せいこ蟹、宴会、忘年会

指導と忘年会

 一昨日(5日)は、早朝に東京を立って、午前中に富士に入りました。富士の指導を3時半までしました。2月27日には東京でマジックマイスターがあります。そこに出演する人が富士の中から何人か出るかも知れませんので、手順を固めています。3時半に指導を終え、急ぎ新富士から名古屋へ、名古屋から岐阜へ、

 おなじみのコースで、駅の改札で峯村さんと、辻井さんと合流して、この晩は、一翔と言う、越前料理店に行きました。越前とは福井のことで、私は天一先生とのご縁で毎年福井に行っています。この時期、福井では蟹とのどぐろが最盛期です。ただし今年は残念ながらコロナの影響で、天一祭は開催中止です。「あぁ、今年は福井の蟹ものどぐろも食べられないなぁ」。と、半ばあきらめていたところに辻井さんから、岐阜で越前料理店が見つかったと、知らせを頂き、心は店に着く前からうきうきしていました。

 店は柳ケ瀬の繁華街にありますが、知らずに出かけて見つけるのは難しいでしょう。お越しになるなら、大きな店ではありませんから、事前に調べて、店に予約をしておいたほうがいいかもしれません。

 先ず、のどぐろの塩焼きです。サイズは中ぐらいで申し分ありません。身は柔らかく、脂がのっています。脂は多いのですが、しつこさがありません。いい魚です。そこへ、せいこ蟹が来ました。せいことは地元で言う、越前蟹のメスで、オスが太くて長い手を持っているのに対して、メスは体自体がオスの五分の一ほどしかありません。

 然し、この時期メスは子供を持っています。その子供が、オレンジ色の小さな卵を抱え、また、赤い内子と言う、まだ体内から外に出していない、腹の中の子の二種類の子供を抱えています。これを箸でつまんで食べるのが絶品です。そして、小さいながらも味の良い腕、蟹味噌と呼ばれる珍味、など食べ処がいっぱいです。

 何よりうれしいのは、どれも量が少ないこと。酒飲みにとっては、量の多いものは全て酒の妨げです。小さな皿に、小さな体の蟹が仰向けになっていて、四つも五つも珍味が小分けされて乘っているせいこ蟹は、正に酒飲みにとっては宝石箱のようです。この二品をつまみつつ、この店には、福井の酒、梵がありました。梵は東京ではなかなか入手できません。

 宮中晩さん会で出される酒であり、フランス政府が晩さん会用に、梵を樽買いすると言うことで一躍有名になりました。然し、高級品なだけに、数作ることが出来ません。そのためめったに庶民の口には入りません。これを冷で二合頂きました。つまみのへしこ、(これは度々私のレポートに出て来ます。福井産のサバの塩漬けです。1年以上塩につけて寝かせたものを、薄く切って、炙って食べます。えらい塩辛い魚です)

 この塩辛いへしこを、この晩は炙らずに、生ハムの感覚で食しました。味はまさに生ハムなのですが、ハムよりもよほど深みがあります。そのへしこをつまみながら、梵を呑み、またへしこをつまむ。体に悪い悪循環です。そうと知りながら、これはもう止まりません。梵は、すぐに無くなり、また二合、また二合と頼んで、3人で一升近く飲んだのではないでしょうか。

 あぁ、もう少し体に気遣って酒を飲めばよいものを、日頃飲まずに我慢していましたから、柳ケ瀬に来るともう止まりません。飲まずに長生きすることが幸せか、飲んで少し早くいなくなることが幸せか。それはもう答えは明らかです。

 

 ちびちびやっている間に、名古屋のマジックショップのオーナー、イリュージョニストの将魔さんが来ました。前々から合流したいと言っていたそうで、この晩ようやく一緒に食事をしました。私は将魔さんとはこれまで何度かお会いしていますが、じっくり話をするのは初めてです。辻井さんと将魔さんは仲がいいようで、将魔さんの話は辻井さんからいろいろ聞いています。名古屋もコロナでマジシャンは随分仕事を失って、苦労しているようです。

 何とかマジシャンみんなを助けたいと思いますが、そう言う私自身がこの先どうなって行くのかもわからず。明日をも知れぬ不安定な生活の中で、生きる道を模索しているのです。自身の力のなさをひしひしと感じます。将魔さんも荒波に耐えて生きて行ってください。

 お終いは、越前の皿そばです。酒の後の皿そばはまた格別でした。

 食事を終えて、4人は寂れた柳ケ瀬の中心街を歩いて、グレイスへ、ここはいつでもお客様が入っています。お目当ての陽気なロシア人はいませんでした。ママは黒の友禅に、帯はクリスマスツリーが描かれています。チーママは、白系の友禅で、クリスマスの贈り物が着物一面に手描きで描きこまれています。帯の背中はサンタクロースのソリが金糸で描かれていました。随分贅沢な衣装です。これは、期間限定の衣装ですから、お早めに柳ケ瀬へ見に行ってください。

 その晩は、将魔さんとはタクシーの途中で分かれ、私と峯村さんはホテルに入り、部屋で少し、峯村さんと打ち合わせがてら飲んで就寝。

 

 翌朝(6日)は、ホテルにある天然温泉の風呂に入り、のんびりした後、峯村さんと朝食。新しい企画の打合せをしました。名古屋に戻って、午後から指導。夜6時から、生徒さんと忘年会です。そこに峯村さんも来て、峯村さんとは二日に渡っての宴会です。名鉄グランドホテルの12階、四季と言う日本料理店で、しゃぶしゃぶ付きの懐石でした。何とも贅沢な日々です。芸能で生きて行けることの喜びを感じます。

 と、本来、話はこれで終わるはずなのですが、この晩は、忘年会で酒を飲みましたので、指導の荷物を引き摺って、東京に戻るのもつらいため、名古屋に泊まることにしました。そのホテルのエレベーターで、偶然、田中大貴さんと会いました。大貴さんはこの後、ババ抜きと言うマジックのバーのママさんのお誕生日パーティーに行くそうです。彼はママさんのパーティーに出て、その晩はホテルに泊まるそうです。

 久々に会ったために、少し話をしたいと思い、明朝(7日)すなわち今朝、一緒に食事をすることにしました。と言うわけで、ブログを書き上げて、時刻は朝の7時半。

 これから頭を整え(と言うほどたくさん髪の毛があるわけではないのですが)、髭を剃り、大貴さんと食事をし、その後東京に戻ります。ではまた明日。

続く