手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジックメモ

マジックメモ

 

 私は20代の前半から指導を始めて、もう45年になります。当時は、指導家と言う人は少なく、あえて言うなら高木重朗さん(たかぎしげお=日本奇術連盟副会長、アマチュアマジック研究家)が時々日本各地を指導をして回っていました。

 大概は地域で長くマジックをしてきたアマチュアさんがマジッククラブの会員に指導をしていて、指導と言うものはマジッククラブ内の内々でなされていて、そこにプロマジシャンは関与しなかったのです。

 当時のプロマジシャンは、舞台の仕事が忙しく、余りアマチュア接触を持とうとはしませんでした。プロとアマチュアがはっきり線引きがされていたのです。

 そうした中、私は良くアマチュアと交流の場を持ちました。当時は、ナイトクラブとかキャバレーと言った仕事場が日本中にあって、地方に出かけることが多かったのです。そうした仕事は夜だけですから、日中は空いています。或いは、金曜日土曜日と舞台に出て、日曜日に東京に戻ると言ったスケジュールが多かったのです。

 そんな時に、あちこちのマジック愛好家に電話をかけて、仕事の合間に会うようにしていました。プロから手紙をもらったりする機会は地方都市ではまずありませんから、みんな喜んでやって来ます。少しマジックを見せるとすぐに指導を頼まれました。東京に帰る日曜日などは時間をずらして日中指導をしました。

 無論、私は指導が専門ではありません。然し、多くの人は私の指導を喜んでくださって、次に来る時は会員全員を集めます。などと言ってくれました。

 なぜ私の指導が好評だったのかと考えると、私は当時から手順指導をしていたからだと思います。私は子供のころから、自身が習ったことをノートに書き留めていました。そして書き留めたことは、メモにしてまとめ、それをさらに、いくつかの作品を手順としてつながるように、アレンジしたり、創作を加えたりして、手順にしていました。

 できた作品は1分とか、2分にまとめて、それを自身の舞台にかけていました。

 私にとっては、指導と舞台活動は同根だったのです。つまり、自身の演技のために、新しいマジックを考えたり、昔のマジックを調べたり、習ったりする中で、自分が使わなかったもの、或いは、考えたけど、自分の手順に生かせなかったものなどを指導していました。単発の現象だけを羅列するような指導はしなかったのです。

 手順指導が多かったので、アマチュアさんでも、私から習えば、いきなり1分、2分の手順を手に入れることが出来て、アマチュアさんにとっては嬉しいことだったのです。

 アマチュアさんにとっては、単発の作品をいくら習っても手順にする力がありません。手順と言うのは創作の範疇に入りますから、シルクやロープで起承転結をどう作ったらいいのか。アマチュアがいくら考えても簡単に出来るものではありません。

 こうした活動を私は早くからやっていたため、私の指導には熱烈なファンが多く、長いこと全国で指導をしました。その後、ビデオの指導を始めると、日本中の私から習った生徒さんが買い求めて下さり、これもまたよく売れました。「シルク20」「ロープ20」などと言うビデオは合計でそれぞれ1000本以上も売れました。

 20代の私は、アシスタントを使って、イリュージョンに乗り出そうとしていましたので、装置代や衣装代など幾らでも資金が必要だったのです。指導もビデオも随分私の活動を助けたわけです。

 それでも指導をすることは飽くまで脇の活動でした。主となるのは舞台活動です。舞台を第一優先し、年に一、二度は必ずリサイタル公演をし、トークマジックから、手妻イリュージョンまで、年間数点は必ず新しい手順を演じていました。

 

 今、昔書いた資料や、ノートを引っ張り出して、読み返しています。それぞれの時代で自身の興味は随分変わってきています。カードマニュピレーションに凝っていた時代もありましたし、イリュージョンに凝っていた時代もありました。ロープばかり研究していた時代もありました。その時その時は寝る間も惜しんで研究していたのですが、時代が過ぎるとまったく読み返すこともなくなってしまいました。

 でも30年、40年と経って読み返してみると、その時は、思っていた以上に突っ込んで研究していたことがわかります、今見ると、「あぁ、この考え方は面白いな」。などとまるで他人の作品を初めて見るような気持で納得したりします。

 昔の手順を見直しているうちに、長いこと悩んだままで止まっていた作品が、ふと、解決することがあります。一見複雑に絡まって解決の糸口が見えないと思っていた作品でも、見方を変えて考えて見ると、何でもなく解決するときがあります。

 20代の自分が、全く一方向からしかマジックを見ていなくて、狭い知識からしか答えを導けなかったことが、60代を過ぎると、何でもなく解決できます。「あぁ、マジックと言うのはこういうふうに考えるものなのだ」。と、今更の如くに納得します。

 

 今でも習いに来る人や、弟子に指導するときに、昔の作品をアレンジして解説すると、結構面白がってついてきてくれます。その表情を見ていると。「この作品はまだ生きているな。少し直せば使えるな」。と、使い道が見えて来ます。この先は、しばらく古い作品をリメイクして出して行こうと考えています。

続く