手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

抜き卵とホストクラブ

抜き卵甘皮卵

 昨日(27日)は、弟子の前田と、卵作りの作業をしました。卵作りとは、甘皮卵(あまかわたまご)と抜き卵を作ります。今は、マジックショップなどで、プラスチックの卵や、薄く簡単に膨らむ卵を販売していますが、実際それを使って演じるのと、本物の卵を使って演じるのとでは演技のリアル感が大きく違います。私の流派では、甘皮も、抜き卵も、実際の卵から作っています。

 抜き卵と言うのは、卵の中身を抜き取って、殻だけ使用するものです。本物の卵ですから、取り出しても全く卵そのものです。但し落とせば割れます。管理がややこしく、持ち歩きに不便です。然し、本物の味わいはプラスチック製品とは比べられません。

 甘皮卵と言うのは、文字の通り、卵の殻と、白身の間にある薄皮のことで、これだけを抜き出して紙片が卵になる芸に使います。これは乾くと使い物にならなくなり、常に保湿管理をしなければなりません。簡単ではない代物です。然し、本物、の甘皮を使うと、本当に紙の切れ端が卵になってゆく過程を見せることが出来ます。現象がお客様の見ている目の前で変化して行く芸と言うものが、手妻の中にはなかなかありません。そうした中でこの芸は貴重な作品です。

 

 いつの時代からこの方法で作っているかは知りませんが、少なくとも500年か600年くらいはこうしたやり方で作っていたと思われます。現代の卵は、殻が弱く、甘皮も薄く、なかなかいい素材に巡り合いません。それでも探して作っています。昔は、卵が貴重品でした。私の子供の頃ですら、卵は今の十倍の価値はありました。江戸時代ならさらに倍の価値はあったでしょう。袋から卵が出ただけで、お客様からため息が漏れたと思います。きっと作った卵や甘皮は、大事に大事に使ったことでしょう。

 弟子は必ずこうした作業を手伝います。これが将来、本物の芸と偽物の差を大きく引き離すことになります。素材を知り、作り方を覚え、500年以上前の芸を学び、所作を学び、自らの芸とする。芸能者は簡単には育ちません。然し、ひとたび学んでおけば、決してつぶれることはありません。

 ちょこっと覚えて、ちょこっと演じる。そんなマジックの仕方、生き方が、いかに危うい人生になっているか、今回のコロナウイルスを見ても、随分気付いたマジシャンが多かったのではないでしょうか。同じ学ぶなら、きっちり歴史に沿って、本当の本物をとことん学ぶことです。正当の継承者なら必ず生き残れます。

 

ホストクラブ

 昨日コロナウイルスに関連して、ホストクラブのことを書いていて、思い出しましたが、私は20代の頃、ホストクラブに出演したことがあります。場所は新宿の、愛だったかニュー愛だったか忘れましたが、愛のチェーン店だったことは記憶しています。

 私の所属していた事務所からの依頼で、私自身は、当時ナイトクラブやキャバレーに出演していましたので、その一連の仕事と理解してお店に行きました。

 そのころ私は、燕尾服姿で、鳩出しやカードをやっていました。開店早々のお店に入って、楽屋で支度をしていると、ホストの一人がしきりに話しかけてきます。普段、ショウの差し込みはあまりないそうで、特にマジックは初めてだそうです。「期待してるよ」。等と気軽に言われるので、「ノリのいい店なんだな」。と思っていました。

 ところが実際フロアに出て演技をしてみると、その視線が異様でした。ナイトクラブと違って、ホストクラブはお客様が女性で、男性がホストを勤めます。そのホストが、一斉に私へ冷たい視線を送ります。「なに、あれ」。というような冷淡な表情で見ています。

 お客様の方も、見てはくれていますが、ショウを見ているのでなく、何となく品定めをしているような眼で見ています。この時私は生まれて初めて、自分自身が色で見られる体験をしました。演技がどうの、内容がどうのではないのです。マジックなんてどうでもいいのです。男として、色の対象として見ているのです。

 こうなると、いつもの気持ちで、いい演技などできません。明らかにお客様は別の目的で見ています。そのことが苦痛で、演技そのものに力が入らなくなってきます。それでもとにかく20分くらいの舞台をつとめ、楽屋に帰りましたが、汗びっしょりでした。

 客席からお呼びがあると言うことで出かけて見ると、この店の社長、会田さんでした。会田さんの店だから愛なのです。席に座り、「今回初めて、ショウを入れてみたんだよ。どうせ呼ぶなら、なるべくいい男と思って君を選んだんだ」。どうやらいい男の代表として、私が選ばれたようです。確かに私は20代はいい男だとあちこちで褒められました。それは有り難いのですが、「評判いいなら又何度か頼むよ」。と社長は言ってくれましたが、2ステージのショウを終えると、体はぐったりして、「もう出たくない」と思いました。何にしても、男性ホストの視線が冷たすぎるのです。

 表向きは静かに見ていますが、心の中はまるっきり否定的なのです。それが証拠に、現象の結末になると、お客様(女性)は拍手をしてくれますが、ホストはそれに遅れて、ささやかな拍手をするだけです。儀礼的に、少し拍手をして、すぐにまた冷めた目で見ています。彼らは私の指先から足の先まで品定めをしています。

 ホストの品定めは、色ではなく、身につけている品物を値踏みするのです。ワイシャツは安っぽいとか、カフスボタンがちゃちだとか、靴がせいぜい2万円くらいかな、とか、自分の持ち物と比べて、私の身につけているものがどれほど安いものなのかを調べて、トータルで自分が勝っているなら、満足しているのです。

 それと似たような連中は歌手や、俳優にもいます。水商売に染まっていて、金でしか人が見えない連中です。私はどうにもこの雰囲気に耐えられません。

 歌手でも、俳優でも女優でも、金持ちのヒモになって、小遣いをもらって生活している人が少なからずいます。そうした生活をしながらも、自分が目指す俳優、歌手になるべく努力をしていればいいのですが、人を物や金で換算するようになると、いつしか、努力は馬鹿らしくなります。

 人に可愛がられて、金や物をもらうようになると、努力することが馬鹿らしくなります。努力は貧乏人の悪あがきに思えるのでしょう。結局ヒモはヒモでしかありません。ヒモをやって、俳優をしていると、顔も性格もヒモになります。コンビニのバイトをして、役者をしていると、いつしか動作も、顔も、コンビニのバイトになってしまうのと同じです。

 この話は、コンビニのバイトがいいのか、ヒモがいいのかと言う比較の話ではありません。どちらも俳優、女優としてみたなら三流です。

 そんな集団から、金で軽くあしらわれることは不愉快です。無論、ホストにも一流はいるでしょう。会田社長からして、会って話をしただけで才能の塊であることはわかりました。でも、以後ホストクラブには出演しません。もっとも今の私にはお呼びは来ないでしょう。そりゃそうです。

続く