手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

十牛図 4

 今週金曜日、26日に、神田明神伝承館の地下一階にある江戸っ子スタジオで、私の公演があります。12時から食事、お弁当付きで、5500円、(鯛めし弁当です)。12時30分から公演が始まります。ご興味ございましたら、どうぞ東京イリュージョンまでご連絡ください。食事なしですと3000円です。

 その翌日、27日は富士の講習、28日は、名古屋です。名古屋は今月まではUGMのスタジオで行いますが、来月からはUGMが移転しますので、場所を変えて指導をいたします。名古屋近辺の方で、マジックの基礎指導と手妻を学びたい方はご連絡ください。

29日は大阪です。大阪も、マジックの基礎指導と手妻の指導をしています。ショウ、指導ともども、ご興味の方は東京イリュージョンまでお問い合わせください。

03-5378-2882

 

十牛図 4

5、牧牛(ぼくぎゅう)

 第4段階の得牛で、縄をつけて牛を捉えたものの、牛に暴れられ必死に抑えて、少しも休まるときがありません。

 マジックで言うなら、あれこれ必死になって仕事をしていますが、そうした中から、少しずつ、これまで学んできたマジックが役立つようになり、ようやく人に知られるようになって、生きて行くことはできるようになります。

 然し、なかなか人は順調に育ちません。慣れて来ると、おかしな癖がついて、古いダジャレを言ったり、おかしな話方をするようになったり、芸が鼻につくようになって、マジックそのものの品位を下げたりします。当人は一端の芸人のつもりで得意がっていても、どこか場末感が漂って来たりします。

 

 さて、第5段階の牧牛では、第4段階の喧騒は消え、少年が牛を引いています。牛も逆らうことなくおとなしく道を歩いています。ここでようやく少年は牛を飼い慣らしたのです。これで当初の目的を達成したことになります。通常の話なら、こうしてのどかに牛を引いている姿こそが終着点のはずなのですが、禅ではまだスタートにも立っていないのです。

 なぜなら、初めに申し上げたように、牛とは自分であり、自分を見つける旅に出ることこそ修行だからです。自分が果たさねばならない問題を物で解決しようとしているのです。自分が牛を引いていると言うのはそもそもが嘘なのです。この絵は嘘の世界で安住している姿なのです。

 

 マジックで言うなら、ようやく技量が関係者に認められ、そこそこいい仕事も回ってくるようになります。マジック大会のゲスト出演なども来るようになり、時には、弟子希望者も来るようになります。生活もでき、わずかな安定を約束します。

 すると急激にマジシャンは保守化します。これで生きていける、とわかると、自ら周囲に囲いを作り始めます。実際大多数のプロマジシャンは、ここで発展が止まります。自ら終着点を作ってしまいます。

 実際にはまだ自分の作品、自分の世界が出来ていないのです。何から何まで借り物で、自分が何者なのか、何をなさなければならないのかもわかっていないのです。考えが足らないまま、安住の地を見つけたと思い込み、わずかばかりの知名度を利用して、レクチュアービデオを出したり、グッズを販売したりして、余計なことに時間を使うようになります。それが一層目的を遠ざけます。彼らにとって、マジックは稼ぎの手段であり、物なのです。その間違いに気づかない限り、先の世界は見えないのです。

 

 天一は、千日前に小屋掛けで、西洋奇術師で名を上げ金を稼ぎ、得意の絶頂にいたさ中に、東京から帰天斎正一(きてんさいしょういち)がやってきて、中座で1か月興行します。それを迎え撃つかのように、大阪の中村一登久(いっとく)が、弁天座で新式の水芸を引っ提げて興行します。弁天座も中座も江戸時代から続く芝居小屋で、1000人も入る当時の一流劇場です。そこで二人の芸を見て天一は圧倒されます。

 天一は自らを西洋奇術の元祖と看板を出しましたが、帰天斎も同じく西洋奇術の元祖と詠っています。然し、その芸の差は歴然で、まず帰天斎の道具は大砲術のような、当時の人が見たこともない大道具をいくつも備えています。しかも、喋りが絶妙に面白く、「あなたよく見るヨロシ」などと、へんてこな西洋奇術師のセリフを考案して、当時の大阪の観客を爆笑させます。

 片や一登久は、西洋奇術の合間に、軽妙な喋りでなぞがけなどを取り入れ、アドリブを利かせて観客を笑わせ、トリに最新式の水芸を演じます。大きな仕掛けで、数十か所から水が吹き上がり、おしまいには天井に吊った何十基もの灯篭からも水が吹き出します。規模において、喋りの軽妙さにおいて、とても歯が立ちません。

 天一は自らの千日前の成功がいかに小さなものだったかを思い知らされます。

 然し、嘆いている間もなく天一は、すぐに二人と接触をし、顔を見知ってもらい、その上で、大道具を買い取りたいと話を持ち掛けます。最新式の道具類をおいそれと手放すはずはないのですが、どこをどうまとめたのか、幸い交渉はうまく行き、帰天斎の西洋奇術の大道具数点と、一登久の水芸装置を入手します。これで天一は内心、天下が取れると思ったでしょう。然し、現実には天下どころか大阪の一流劇場からも出演依頼は来なかったのです。

 幾ら道具立てが立派でも、天一自体に大舞台の座頭(ざがしら)としての魅力が備わっていないのです。当時の一流劇場は、普通に4時間くらい興行しました。幾ら道具をたくさん持っているからと言っても、4時間も奇術を見続けたなら、大概観客は飽きがきます。4時間見ても飽きないと言うのはよほど座頭に魅力がなければできないことなのです。千日前の小屋掛けで一人2銭、3銭貰って、50人100人の観客を呼ぶ力を身につけたと言っても、それで中座や弁天座に立てるわけではないのです。

 天一は、小屋掛けの芸人から、一流劇場に出演する芸人になるために、帰天斎や、一登久から大道具を買い取りました。ところが、大舞台に立つと言うことは、道具を持つことも重要ですが、それよりも何よりも、自分自身の強烈な魅力がなければ看板に立てないのだと気付き、愕然とします。一流とは自分自身が一流でなければならなのです。

続く