手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナと言う名の全体主義

 緊急事態宣言が出ていながら、どうして補償の話が進まないのでしょうか。国を挙げての緊急事態なのですから、これは国が国債を立てて国民の面倒を見るのが筋でしょう。国債は後で発行すればよく、とにかく急ぎ国は各市町村に、補償を出すことを宣言すべきです。

 ショウの世界で言うなら、イベント自粛を要請されたのは2月初め、そこで補償を面倒みると言っておきながら、いまだ一円の支払いもありません。私の会社は東京イリュージョンと言う株式会社です。仕事の内容は、マジックの公演、ないしは指導です。2月以降、3か月、全く仕事がありません。無収入です。補償があるというから待っていますが、どこからも補償はありません。今になって安倍首相は、「国が補償をすべきではない」。などと言い出しています。初めの言葉はどこへ行ったのですか。我々は一体どうしたらいいのでしょうか。

 私の所だけではありません。他の芸能人も同じです。みんな収入がないのです。飲食店や、会社も同様です。日本には、江戸時代から続く商店や、飲食店がたくさんあります。関東大震災にも、太平洋戦争にも耐えた老舗が、今は無収入で、人件費も出せない状況です。このままいけば、100年200年ののれんを守り続けてきた店が倒産します。

 今回の事態は、非常事態宣言が出た時点で、戦争と同じことなのです。一つの戦争を遂行するためにかかる費用を頭に描かなければ、問題解決しないのです。商店一軒につき50万円の補償金とはどのような根拠で言っている話でしょうか。店の家賃や従業員の給料、それを半年かけたなら、一軒の保証は、3千万円から5千万円かかるのではないでしょうか。それの内の何割を見るかという話をすべきで、とりあえず50万円出そうという話は、国民にマスク2枚を配って、これで何とか、という話と同じです。

 その昔、私の親父が昭和20年に徴兵があって、横須賀に送られました。親父は体が小さかったために乙種に組み込まれ、昭和20年まで徴兵が来なかったのです。親父が出征するときに、近所の人は、「あぁ、利夫さん(親父)が戦争に行くようじゃ、敗戦も近いね」。とささやき合ったそうです。誰も親父の戦果を期待していなかったのです。敗戦の一週間前です。

 実際横須賀では既に武器はなく、軍服さえも満足にそろわない状況だったそうです。武器もないままどうやって、米軍を迎えるのかと思ったら、シャベルで海岸に穴を掘って、そこに隠れて竹槍で米兵を刺せと言われたそうです。この時親父は、「これは負けだ」と思ったそうです。相手はきっと戦車やジープで上陸して来るでしょう。それを穴の中に入って、穴は藁をかぶせて隠して、竹槍を持って構えていても、戦車でいきなりつぶされて、何の役にも立たず、戦わずして人生を終わってしまうでしょう。

 芸人の親父でさえこれでは勝てないと思った戦略を、なぜ日本の軍部は兵隊に強要するのでしょうか。多くの人は軍の無謀を笑うでしょう。然しそれから70年たった今日、

非常事態宣言に対して、国民にマスク二枚が配られます。これはタコ壺と竹やりそのものではありませんか。やらなければならないことはこんなことではないはずです。補償はすぐにしなければいけません。早く結論付けないと、町の商店街は軒並みゴーストタウンになってしまいます。

 仮に8月になってコロナウイルスが終息したとしても、東京の町から老舗が消えたなら、伝統も文化も消え失せてしまいます。鰻なら飯倉の野田岩か千住の尾花、蕎麦なら並木通りの藪か、神田の松屋、砂場も忘れ難い、すき焼きは上野のえち勝、浅草のちんや、今半もいい、桜鍋は森下町のみの家、軍鶏鍋は玉ひで、洋食は日本橋のたいめい軒、神保町のランチョンもいい。銀座の煉瓦亭も忘れ難い。てんぷらは山の上ホテルが味も店の雰囲気も最高、安くておいしい店を上げたらきりがありません。でもこれらがみんななくなったら、コロナが退散しても我々は幸せにはなれません。

 そのことは私も同じで、奈良時代の散楽(古い芸能集団)から続いている手妻がいよいよコロナウイルスによってなくなってしまう危機を迎えようとしています。元々ゆとりあってやってきた仕事ではありません。私の思いだけで続けてきたものです。人の理解があればこそ何とか続いてきましたが、この先はどうなるかもわかりません。

 すべてのことは自分で何とかしなければいけませんが、どう生きたらいいのかを自問自答しているときに、マスクが二枚配られたなら、きっと涙が流れるでしょう。今私は昭和20年の時の親父の気持ちがわかります。

 

 私は初めから繰り返し申し上げてきましたが、コロナウイルスはそう簡単に感染するウイルスではありませんし、罹ってもそう重くなる病気ではありません。こういうと、アメリカを引き合いに出して、感染者を語る人がいます。しかし、よく考えてください。昨年アメリカは、今以上にインフルエンザが猛威を振るって、今以上の死者が出ていたのです。インフルエンザとコロナウイルスはよく似たウイルスですので、コロナが蔓延すると、インフルエンザは収まります。つまり、流行りのウイルスが入れ変わっただけで、アメリカは毎年ウイルスによって同じような数だけ死者を出しているのです。ヨーロッパも同様です。そうならインフルエンザの時には今ほど騒がずに、なぜ今コロナウイルスに対して大騒ぎをするのですか。

 日本の感染者が増えているとはいっても、実際死者はほとんど横ばいです。取り立ててコロナウイルスの死者や感染者を語る理由が見当たりません。コロナにばかり注目しているから一大事に見えますが、通常の病院で、感染者や死者を語れば、肺病も、インフルエンザも確実コロナ以上の死者が出ているのです。

 私がコロナウイルスは大した病気ではないという理由は、特効薬が出ていないにもかかわらず、ほとんどの人が治っている事実です。テレビでは感染者が1万人を超えたなどと大騒ぎをしますが、1万人のうちの9000人は治って働いているのです。特効薬なしで治るなら普通の風邪ではありませんか。勿論、コロナをこじらせた人は大変な苦しみを体験するそうですが、そうした人だけ、しっかり治療すれば、特段インフルエンザや肺病と何ら変わらない病気であるはずです。

 何度も申し上げますが、緊急事態を宣言しておきながら、これまで山手線や中央線を走らせておいて、3か月で100人程度の死者であるなら、大した病気ではないはずです、しかもパチンコ店や、性風俗店を野放しにしておいて、それでもなおかつこの程度の感染状況であるなら危機的状況とは言えないでしょう。

 むしろ日本を危険な状況に陥れているのは、政治家とマスコミです。テレビは私のように、「コロナは大したウイルスではない」。と言う人をコメンテーターとして使いません。みんなどこのテレビも「危険だ」「危ない」と言います。然し危険は、肺病や、インフルエンザのほうがはるかに危険なのです。

 インフルエンザが10万人以上感染したときでさえ、ほとんどの人は注目もせず、町の繁華街は連日大賑わいで、非常事態宣言など出なかったではありませんか。それを国民も、マスコミもなぜコロナにだけは大騒ぎをするのですか。こんなことを続けていれば、国の力は弱まり、町が廃墟になり、人心がすさんで行きます。

 どこかでみんなが特定の人の言葉に乗せられています。いいように操作されています。そのことに早く気づくべきです。