手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日暮(ひぐらし)硯(すずり)に向かいて

 日暮硯に向かいて、とは、徒然草(つれづれぐさ)の書き出しです。正確には、

「徒然なるままに 日暮硯に向かいて 心に移りゆく 由無(よしな)し事を そこはかとなく書きつくれば 怪しうこそ 物狂おしけれ」 徒然草 吉田兼好

 

 名文には無駄な言葉が一つもなく、またほかの言い回しでは絶対に表現出来ないその時代、その作者の思いが千年の歴史を飛び越えて、今ここに浮かび上がってきます。文章の格調高さは、この書き出しだけでも洗練の極致を感じるでしょう。三弁読んで諳(そら)んじて見てください。こんな文章を千年も前に書いた人がいたという、それだけでも日本人の文化レベルの高さ、知的水準の高さを強く感じます。しかもそこに書かれていることは、徒然草をお読みになったことのない人でも、吉田兼好の思いが、今に通じて多くの共感を得ます。

 但し、平安時代の言葉は、今使われない単語があるためにすぐに理解はできませんが、これを現代語に置き換え、私の心情を語れば、以下のようになります。

 

「イベントの仕事が流れて 毎日特別にすることもなく パソコンを開いて 心に浮かぶ様々なことを 別に書いたから褒められるわけでも 収入になるわけでもなく どうということもない事を 思いのままに書いてゆくと 不思議なもので たちまち時間を忘れて没頭してゆく」。

 いと怪しき現代語訳ではありますが、まさに今の私の現状を語っています。私はこれまで、徒然草と言うのは天才が、今の気持ちを自らの才能に任せてすらすらと、エッセイにして書き綴ったもので、私自身の思いにが徒然草と繋がるとは考えもしませんでした。吉田兼好藤山新太郎を並べて、似ているなどと書くこと自体が気が違った者のすることだと思っていました。

 しかし私は65歳になって、徒然草を読み直すと、その日々の内容が、痛いほどわかるのです。そして低次元ではありますが、似たようなことをしている自身の姿を客観視して、「あぁ、時代は違ってもやっていることは同じなんだなぁ」。と思います。

 恐らく兼好法師は、面白がって毎日エッセイを書いていたのでしょうが、周囲の人からはきっと、「そんな役にも立たないことに時間を浪費していないで、もっと、出世や、収入に結びつくことをなさったらどうか」。などと真剣にアドバイスをされていたのだろうと思います。それに対して、法師はにこにこ笑って否定もせず、せっせと書き続けていたのでしょう。当時、紙と言うものはとんでもなく高価なもので、ページ1枚は現代の1万円にも匹敵したでしょう。そんな出費をものともせず、誰の評価を受けようとも考えず、心の中のことをひたすら素直に書いてゆく姿はまさに芸術です。

 芸術とは心の告白です。人の喜ぶことを書いて稼いでやろう、人に取り入っていい地位を得てやろうとして書くものは、自分を素直に語ってはいません。すべてを捨て去って見返りを求めないもの。そこから生成されて、濾した後にささやかに流れ落ちて来る透明な雫(しずく)こそが芸術です。他人から見たなら役に立たないこと、そこを昇華させることが芸術です。

 一生かかっても私はそこに到達しませんが、心の中を素直に書くということはできるでしょう。そんなことをこの先続けて行けたら私は満足です。

 

 さて、数々のイベントが流れ、自主公演のマジックセッションが大阪、東京ともども延期になってしまい、あとは神田明神の伝統館と、玉ひでの座敷があるのみになってしまいました。それでも私を求めてくださるお客様がいらっしゃることは幸せです。

 以前に人間国宝梅若玄祥先生に伺った話で、五代前の梅若六郎師は、明治維新を迎えた時に、贔屓になってくれていた大名家が、みんな国元に帰ってしまったために、能を習う生徒がいなくなって困窮したそうです。仕方なく六郎師は門付け(かどづけ、人様の門の前に立って、謡を語って、何がしかの銭を得る)をして、日々をつないだそうです。数百年も続いた能の家元ですら、そんな時代を経験したのです。昨日まで大名家の座敷で侍に能を教えていた家元が、門付けをして、一文の銭を得る身になったことは、簡単に悲しい、悔しいなどと言うレベルの話ではなく、悲壮感が漂います。それを思えば、昨今、出てきたマジシャンが、ウイルスが蔓延して仕事が来ない。食べていけないなどと言うのは寝言のレベルでしょう。

 今、我々は先人が明治維新を迎えた時と同じ位置に立ったと知ることです。マジシャンに限らず、どんな仕事をされる人も覚悟をすることです。つまり、これまで、稼げなかった人、仲間のつてて何とか生きてきた人達等は、間違いなく失業するでしょう。

 無論、そこから這い上がってくる人もあるでしょう。しかし多くは、一年先にはいなくなっていると思います。今しっかり自分を見つめ直すことです。何が自分には不足していて、次の時代に何が来るのか、そこを読み込める人だけが次の時代に残ります。

 

 私の20代はキャバレーやナイトクラブが全盛でした。15分のマジック手順を二つ持っていれば、30年生きて来れたのです。しかし昭和56年、日本に3万軒あったキャバレーがたった一年で跡形もなく消え失せたのです。キャバレーで生活していたマジシャンの半分はタクシーの運転手になったりして、廃業してゆきました。

 その後イベントが盛んになり、広告代理店と言う会社が雨後の筍のごとく出来て、市町村の主催するイベントを握って活躍していました。私はその流れに乗れてイリュージョンチームを起こし、いい稼ぎをさせていただきました。然しそれも平成5年にはバブルがはじけて、広告代理店そのものがあっという間に無くなってしまいました。イベント全盛は10年で終わりました。当然多くのマジシャンが廃業しました。

 

 今、ウイルスが縮小したら、またイベントが戻って来るなどと、安易に考えないことです。仕事は増えますが、中途半端なマジシャンや、自分の考えのないマジシャンには仕事は回って来ないでしょう。一年後の社会は今の姿とは全く違ったものになります。平成は終わったと諒解することです。この先、消えないためには、基礎を学び、自分の考えをその中でまとめて、自分の世界を作ってゆかなければなりません。マジックの一年生になってマジックを勉強し直すのです。今、それをする時です。

 

猿ヶ京合宿延期

 今月、11日、12日の猿ヶ京の集中合宿は、12名が参加して開催する予定でしたが、参加者がウイルスに不安を感じているため、7月に延期することになりました。もし来週猿ヶ京に行けば、桜の咲初めで、山一面が桜一色で飾られて素晴らしく美しい世界が見られるのですが、それは次の機会としましょう。

 その代わりに、12日の午後から、少人数のレッスンを私の高円寺のアトリエで致します。熱心な人たちが参加を希望していますので、ご指導をしてみます。但し10人以上集まってしまうとウイルス対策になりませんので、本心からの希望者のみです。そこで私の心境をお伝えすると、

 「徒然なるままに 日暮わが奇術に向かいあいて 心に残れり奇術の数々を 伝え聞いて集う人に 求められるまま 伝え行くことは 怪しうこそすれ いとおかし」。 藤山糖尿法師