手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

多忙な年になるかも

 明日からまた3日間、富士、名古屋、大阪と指導に行きます。少しずつ生徒も増え、稽古処も安定して来ています。特に大阪は、稽古のほかに、いくつか打ち合わせがあり、仕事に結びつきそうな話になりそうです。

 今来ている話がみんな仕事に結びついてくれば、この一年は相当に忙しくなりそうです。手伝いの人でも増やさなければならないかもしれませんし、場合によっては大阪にアパートを借りて、東京と大阪を往ったり来たりしなければならないかもしれません。マネージャーも必要になるかもしれません。つまり生活の仕方が一変する可能性すらあるのです。そうなったらいいですが、どうもこのところ、いろな話が飛び込んできますので、まんざら希望的観測ではないように思います。

 しかし、しかしです。私はこのところ少しずつ体調に無理がかかっています。あちこちが痛いのです。いい話ならなぜ10年前に来てくれなかったかと思います。その頃なら元気で、徹夜だってなんだってできたのに、

 

 昨日、高円寺の整形外科に行ってきました。このところ右肩が痛くて、手があげられないのです。実は、もう1年も前から、何となく右肩が痛かったのですが、大したことではないと、そのままにしていたのです。先月になって、12本リングの稽古をしているときに、いよいよリングを持ってポーズをするのが辛くなりました。

 「あぁ、これではリングもできなくなるなぁ」。と心配していたのですが、日々忙しくて、なかなか病院にもいけません。昨日思い切って病院に行ってみますと、「五十肩ですね」。と言われました。「先生私は六十五ですよ」。「いやいや五十肩と言うのは年齢のことではないんです。昔は人生五十年でしたから、晩年に肩が痛くなることを五十肩と言ったのです。今の人は七十歳でも五十肩になります。とにかく注射を打ちましょう」。と、いきなり注射をされました。

 針は細くて痛みはなかったのですが、薬が入って来るとえらく痛みました。「はい、これで大丈夫です。右手を上げてみてください」。」すると魔法がかかったかのように右手が楽に上がります。「先生すごいですねぇ、少しも痛くありません」。「でしょう、私は整形外科医の魔術師と呼ばれていますから」。「いや御見それしました。大したものです」。と、言うわけで、ずいぶん楽になりました。

 しかし、注射一本で良くなるなら世話は要りません。まだ安心はできません。あちこち少しずつ痛いのです。腰が痛いときもあります。腰は突然やってきますから油断も隙もありません。私が子供のころ、私の祖母は腰が曲がっていて、歩くときに直角に体を曲げて歩いていました。それが面白くて、後ろから同じ恰好をしてついて歩いていると。祖母が嫌がりました。然し面白いので随分真似しました。

 その時、私は、祖母が腰を曲げて歩くのは、そういう人種だからだと思っていました。もっと背中を伸ばしてちゃんと歩いたらいいのに、と思っていました。しかし30を過ぎてから、なぜ祖母が腰を曲げて歩くのかがわかりました。痛いからです。痛いから体をかばって歩いているうちに、腰をかがめて歩くようになったのです。

 私に腰痛が出て、腰をかがめて歩くようになったときに、「あぁ、子供のころ、祖母の真似をして歩いていたことが報いとなったのだ」。と知りました。

 病人の気持ちは病気をしなければわかりません。ましてや、腰痛や膝痛は体の外見からは異常が見えませんから、なぜそんな歩き方をしているのかがわかりません。当人は相当につらいのです。注射で治るくらいならいいのですが、いよいよ動けなくなったりすると、仕事に差し障ります。それまでに何とか弟子を育てて、代わりに仕事ができるようにしなければいけません。

 それでも、私にとって2020年は、まだ体も動き、芸も充実して、仕事の実績も認められています。ひょっとして人生の頂点に位置しているのかもしれません。そうであるなら、今のうちにしっかり人を育て、自分自身も、もう一つ頑張って舞台を務めようと考えています。