手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大樹が来た

 昨日午前中に大樹が事務所に来ました。新年のあいさつです。4日の新年会は仕事で間に合わなかったため、8日に来たのです。顔の色つやもよく、仕事も順調です。

 芸術祭の受賞は当人もうれしかったらしく、随分方々から祝福されたようです。良いことです。芸術祭は、多くの分野では相当に高齢になってからもらう人が多いのですが、長らく私が芸術祭受賞者として、最年少だったのです(33歳でした)。それがこの度塗り替えられました(大樹は32歳)。弟子が私を追い越したことになります。実に正月早々めでたいことです。マジシャンの受賞は、14年前のナポレオンズ以来です。

 それにしても、マジシャンはもっと頻繁に芸術祭に参加すべきです。4,5年に一度はマジック界からの受賞者が欲しい所です。ナポレオンズが取って、14年後に大樹と言うのは年齢も、時間も空きすぎています。もっともっとたくさんのマジシャンが毎年芸術祭に参加してほしいと思います。

 

 せっかく来たので駅前の寿司屋に行きました。大樹は寿司が大好物です。燗酒で刺身で乾杯です。勿論前田もついてきました。前田も寿司は大好物です。しかし昨日は遠慮をしてあまり食べません。本当は食べたいのでしょうが、あくまで大樹がメインですから、多少気を使っているのでしょう。

 私とすれば、こうして弟子に囲まれて正月が迎えられるのは幸せです。特に今年は、大樹の受賞があったために正月の祝いも二倍です。

  私は子供の頃は何で正月がめでたいのか、わかりませんでした。然しある程度歳を取ると、正月のめでたさがひしひしと感じられます。それは、暮の間に方々の支払いを済ませ、その上で多少の蓄えが残って、それを正月のご馳走にしたり、お年玉にして、訪ねてくる人に持たせることができたと言う、そこに自分自身の喜びを感じることがめでたいのだと知りました。

 無事に正月が迎えられたと思う人の心は、私だけでないでしょう。小さな会社や商店を経営をしている人には皆共通した思いでしょう。陰で必死に働いて、ようやく正月を迎えてほっと一安心して、ささやかな安らぎを感じつつ正月に至ったのでしょう。

 

 昔中国では、喜びごとが二つ重なることはとても珍しいこととされて、特別を意味する言葉として、双喜(そうき)と呼びました。双喜とは、喜という文字を横に二つ並べて、喜喜と書いて、双喜と読みます。今も、ラーメンの丼の内側の底に、よくこの文字が書かれています。双喜は誠によい運勢を意味します。

 願わくば、これで前田も3年後に修行を終えて、さらにその数年後に、前田が芸術祭受賞などと言うことになれば、双喜は参喜となり、私の幸せは頂点に達します。わが一門から次々に芸術祭受賞者が出たなら、私の指導してきたことは正しかったことが実証されるわけで、同時に手妻の価値も高まります。

 ただし、前田の出世を見る頃は、私は70代の半ばになってしまいます。なるべく私が元気なうちに前田もどうにかなってくれるといいと思います。

 

 それにしても、成長した弟子とこうして正月に酒を飲むくらい楽しいことはありません。10年前では考えられなかったことです。今、大樹はとても多忙ですから、そう頻繁に事務所には来れません。まぁ、手元を離れた弟子ですから、毎月来る必要はありません。時々でいいのです。時々来て、元気に活動している姿がわかればそれが何よりです。元気であれば、いろいろなチャンスもめぐってきます。無理をする必要はありません。一発勝負なんて必要ありません。手妻は長く続けて行く仕事ですから、無事に着実にマジックの活動をして行ってくれればそれでいいのです。

 

 大樹は、5月22日、23日の2日間、荻窪駅の、杉並公会堂、小ホールで、芸術祭受賞記念のマジックショウを開催するそうです。日が近づきましたらまたお知らせします。ぜひご興味の方はご参加ください。また秋には大阪で同様の公演をするそうです。場所はこれから決めますが、関西方面のファンの皆様もぜひ応援してください。