手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

新聞取材

 今日から3日間、指導に出ます。いつものことですので何も問題もありません。

 富士は3月29日に発表会を控えていて、今はそのための演技を毎月見ています。参加者は8名ほどです。すべて個人レッスンですので、人数はこれで一杯一杯です。

 翌日の名古屋では、指導終了後、場所を駅前に移して、みんなで新年会をします。これは少々楽しみです。去年から始まった名古屋稽古処も、ようやく一年たったことになります。熱心な生徒さんがそろっているので教えるほうも力が入ります。

 大阪はいつもの通りですが、若いプロが、マジックの基本レッスンを2時間して、そのあと、手妻の稽古をしています。基本レッスンを意外に喜ぶので張り合いがあります。四つ玉のボールのパスなどは、きっちりやったことがないらしく、初めは親指の隙間からちらちら見えるのですが、基本をしっかり教えると、それが見えないようになります。パスは見えてはいけません。当たり前なことなのですが、ほとんどの人のパスはばれています。ばれないために何をしなければいけないか。あまりに基本的なことなので、プロはついついそこを通過して先に行こうとします。

 難しいことができることがプロなのではありません。プロがプロであるには、基本が確実にできることなのです。基本がわからずに演技をしていると、プロがプロらしい演技ができません。結果、アマチュアと差別化がつけにくくなります。

 大阪の指導はごく当たり前の基本動作から教えています。そこが参加者には新鮮でいいようです。

 

 さて、指導から帰って翌日、新聞の取材があります。取材は珍しいことではありませんが、内容が、「シニア世代の生き方」だそうです。私の年齢になると、サラリーマンはみんな定年退職をします。退職後どのような生き方をするかについて、現役である私が話をするのです。私らには定年がありません。この道で生きる限り、生涯現役のまま活動しなければなりません。それを、同年代の人をおもんばかって、どう生きるかのお話をすると言うのは面白いと思います。

 実際私の教室に習いに来る人達は、既に仕事を終えた人たちがほとんどです。そうした人たちに何を提供すれば満足できるか、と言うことを考えてきたことは、ある意味、定年後の活動を示していることになります。

 アマチュアで活動すると言うことは、どんな趣味であっても限界があります。あまり広くは活動できません。何か一つに絞って、少し深く勉強してゆくことが一番充実するのではないかと思います。

 長く、マジックを趣味としてきたなら、定年後は指導をしてもいいでしょう。それもあまり無理のない所で、地域の子供たちを教えるなどと言うのはいいことだと思います。ステージや、クロースアップの会を主宰することもいいことだと思います。自身で出演するのも結構ですが、演目をあれこれ間口を広げて考えないで、ある程度の年齢になったら、得意の分野を、じっくり調べて、演じていったらいいかと思います。

 いずれにしろ、プロとは違った生き方をしなければならないわけですから、無理をせず、人と競わず、マジックの楽しさを地域の人に提供する姿勢が必要です。

 またその過程で、今までのことを習い直す気持ちも重要でしょう。わかっていると思っていたことが、意外にも全く分かっていなかったと言うことはいくらもあります。人生には常に発見がありますし、その発見がなかったら、自分は一生間違ったことを思い込んでいた。なんていうことが幾つもあります。それを人に接することで習うことは大きな価値を生みます。

 少し人生にゆとりができてきたなら、もう一度勉強することも大切です。私事でいうなら、こうしてものを書くことが勉強のし直しにつながります。調べごとをして、頭の中をまとめると言うのは、脳の活性化にとてもいいことです。まとめたものがまた本にでもなればそれはそれで生きがいが増えます。

 また、私のように職業でマジックをしているものでさえ、時として、奉仕で講演や、指導、舞台をいたします。それは、今まで単純にギャラが合わないと言って断ってきた仕事の中に、ギャラ以上に大切なことがあるからです。

 とかく条件の悪い仕事はすべて悪条件な場合が多いのですが、ある程度の年齢になったら、何もかもあきらめて、不満を言わず、奉仕することが大切です。私を今まで好きなようにやらせてくれた社会のために、少しは働くことがいいことだと思います。

 

 ひとつ気を付けていただきたいことは、老人の顔は若い人から見ると、何となく怖い顔に見えるそうです。会社の役員や、経営などに携わっていた人は、定年退職してもその顔が変わりません。そこは一つ大改造が必要です。私などは経営者でもなく、金もないのに、気難しい人間に見えるそうです。何もしていなくても、何となく怖そうな人だと思われると、人は寄ってきません。

 なるべく意識して、にこやかな顔を作ることです。それには常に面白かったこと、楽しかったことを思い浮かべることです。年を取ったら嫌な話や、嫌な人から離れることです。無理に世のため、人のために真剣になる必要はありません。奉仕は大切ですが、限度を考えることです。話をするときにも、常にくだらない話を交えることです。相手の気持ちを量って、気を使うことが大切です。私も、何気に電車を待っている時の素顔などにとても気難しい顔していると言われたことがあります。いけません。人に警戒心を与えないように、努めて穏やかな顔を作ってください。くだらなく、ばかばかしく生きてください。

 

 と言うわけで、いろいろ能書きをたれましたが、指導に出かけます。