手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミスターマジシャン待望論 6

絵コンテを作ってみる 3 「七変化」

 大樹が考えた「変面」はSNSでは再生回数が1000万回を超え、国内、海外でも大変な話題となりました。これがどう作られて行ったのかをお話ししましょう。

 大樹は、学生の頃に既に変面を演じていました。それはいわゆる中国の芝居の影響をうけた物で、このころ、仕掛けを売り出しているマジックショップがあり、それを買って応用したものでした。

 大樹はこれを大幅に改案して、自身の得意芸にして行きたいと言っていました。着眼点は良いかと思います。然し、私はいくつかの問題を感じました。そこで私はコンセプトを立ち上げ、提案しました。

 

1、和で演じる

 私が見せてもらった学生時代の大樹の演技は、ベトナムの衣装のようなものを着て、変面を演じています。これを得意芸にして生きて行くには、和服に直さなければ、売れません。面も、日本的な面に直して、面が変わるたびに、所作や、舞踊で、日本の市井風俗を表現しなければ、芸能になりません。大樹は学生時代から日本舞踊をしていましたから、それを生かさない手はありません。まずそこを改良して、和に直して、芸能としての演技を作らなければいけません。

 

2、不思議さを押さず、役を演じ分ける

 1でも述べましたが、面が変わることの不思議さを強調するのではなく、変わった瞬間から別の人格を演じるから芸能になるのです。舞踊の衣装変わりは、例えば「道成寺」のように、衣装が変わった瞬間に、それまで年増(としま=既婚の女性)を演じていたものが、十代の娘に変わって、幼い娘を演じ分けるから芸になるのです。

 或いは、舞踊の「三つ面子守り」のように、持っている面で、色々な年代の男女を即座に仕分けて見せるから芸能芸術たりうるのです。

 マジックの変面が物足りないのは、役を演じ切らないからです。ただ、顔が変わる変化を不思議さだけで引っ張ろうとするから、何回か変るとお客様に飽きられてしまうのです。不思議を押し売りせずに、演じ分けることの面白さに主眼を置かなければ長く伝えて行く芸にはなりません。

 

3、なぜ変面をするのか

 変面は、なぜ変わるかと言う理由がないのです。理由もなく面が変わります。いわば不思議の押し売りを繰り返しているのです。確かに初めは面白いのですが、お客様にすれば、理由のないものを長々と見せられていると、やがて飽きて来ます。そこで、なぜ変面なのかと言う、コンセプトを作り上げなければいけません。

 私は、狐を主役に仕立てて、狐が街道をゆく旅人を驚かせて、旅人の弁当などをくすねて、穴倉で待っている子狐に持って行くと言うストーリーを考えました。何度も変わる変面は、狐のたわいもないいたずらなのだと言うことを始めにテーマにします。そして、時々出て来る自身の素顔も、実は、狐の化けた姿なのだと言う設定にするのです。あくまでこの物語は狐の話なのです。 そのため、話の初めと終わりは狐でなければいけません。このことは次の考え方につながって行きます。

 

4、ビッグフィニッシュを作らない

 演技のお終いに大きなものを持って終わらないようにしなければいけません。大きなものや、たくさんの物を出すことはマジックとしては常套手段でも、芸能としての品位は低くなります。物で終わるのではなく、大きな感動を与えることが必要なのです。たくさんの物を手に持って終わるのではなく、たくさんの感動をお客様に与えなければいけません。感動を物で済ませてしまうからマジックは意識の低い芸能に見えるのです。

 世の中の名人と呼ばれたマジシャンはそのことがわかっています。フレッドカプスは、握った手から塩がこぼれて行って終わるだけです。チャニングポロックは一羽の鳩を空中に投げてハンカチに変えて終わりです。いい芸能は、何を出したかではなく、終わった後に余韻を残します。

 大樹の変面も、いくつもの面を手に持って終わるのではなく、お終いは狐に戻って、旅人からせしめた弁当を急ぎ子狐に持って行こうとする母心に変わり、小走りに走り去るようにしたらどうかと話しました。去った後には、お寺の鐘の音が、ゴーンと聞こえます。それを聞いたお客様は、「ああもう夕暮れなんだなぁ。きっと母狐は腹を空かせた子狐のために帰って行くのだろう」。とお客様に思わせたなら成功です。つまり取りネタは、お寺の鐘のゴーンです。こんなフィニッシュはマジックにありません。

 これがすなわち手妻の発想なのです。物を出して終わるのではなく、例えば傘を出して、侍が一人立っている姿を演じて終わります。傘を出す不思議が結末ではなく、侍が一人立つ、孤高の姿こそがフィニッシュなのです。ここの味わいがわかると、人は手妻から離れられなくなります。

 

5、私は大樹に一つだけ、ネタに関わる提案をしました。それは、中国の変面は平たい面が多いのですが、できれば立体的な面を出せないかと言う点です。

 これは言うのは簡単ですが、実現は難しいことです。然し、大樹は工夫して狐の面や、髭が付いた面、角の付いた鬼の面を出しています。変面を得意芸としたいなら、変面の弱点をしっかり理解して、そこを克服しておかなければ、この一芸で長く生きて行くことはできないと思います。

 

 私が大樹に伝えたことは、マジックの種ではありません。イフェクトや、ギミックは全て大樹が考えたのです。実際製作を始めると、売っている変面のキットを買ってくるだけでは解決しません。衣装を和服に変えたことで、従来の変面の仕掛けは全く使えなくなりました。全く新しいギミックを考え出さなければならなかったのです。細かなトリックもすべて大樹が考案したものです。

 ここまでお話すればもうお判りと思いますが、私は、大樹にマジックを教えてはいません。コンセプトを伝えました。そして、全体の漠然としたラフな絵コンテを描いて見せただけなのです。これは自動車会社と、ジウジアーロなどの工業デザイナーとの仕事の仕方と同じです。

 私のしたことは、ジウジアーロの絵コンテです。演技の全体デザインを伝えることで芸能としてのアドバイスをしたのです。それが大樹の演技を骨太なものにしました。結果、この作業は大きな成功をもたらしました。手妻に新しい作品が生まれたのです。

 

 この演技が出来てから、私は、私が引き受けている文化庁の学校公演で、大樹の変面を一演目として取り上げました。学校公演は、8人の邦楽演奏家による生演奏です。作曲も杵家七三(きねいえなみ)師匠に依頼しました。連日子供たちの前で、生演奏で大樹の変面を見せたのです。拍手大喝采です。

 然し、演じる側はまだまだ慢心できません。毎回、部分的な演技の長短を秒単位で手直しして、少しずつ演技を仕上げて行きました。そして音楽を録音をし、曲は完成しました。こうしてどこに出しても恥ずかしくない「七変化」が完成したのです。

 但し、このあと、大樹と私の考えが分かれます。それはまた明日お話ししましょう。

続く

 

ミスターマジシャン待望論 5

絵コンテを描いてみよう。

 自分自身が何をしたいか、それを実現させるためにどんな世界を作り出したいのか。一昨日、昨日は そのことをお話ししました。さてここでいよいよ絵コンテを描いてみます。絵コンテは夢を現実に形にして行くための下書きになります。

 実はこの時が、私にとっては一番自分自身が創作に関わって、格闘する時で、アーティストとしての充実を実感する日々になります。

 

 一昨日、話の途中になっていた、自動車会社と工業デザイナーの関係ですが、自動車会社は何も工業デザイナーに依頼しなくても自動車は作れます。全ての自動車部品は自前で作り出せるのです。然し、彼らは、外部のデザイナーに自動車のデザインを求めます。なぜそんなことをするのでしょうか。

 それは自動車会社が作る部品はあくまで素材なのです。言ってみれば、マジックショップのネタの製作と同じです。ネタはいくらあっても、それは素材であって、芸能芸術にはなり得ません。何万点もある細かな部品を、どうやって未来の自動車にして行くかはコンセプトを作り上げて、全体をひとまとめにして行かなければできません。

 自動車を客観的なものの見方で眺めて、アートとしてまとめ上げて行くのが工業デザイナーの仕事です。工業製品にアートが必要か、とお考えでしょうか。「自動車は動けばいい」。なんて言っている人に限って、自分が自動車を買う時にはボンネットを開けることもしないで、外見だけで何百万もする車を買っています。結局人は外見で車を判断をしています。然しそれはあながち間違った判断ではありません。車の外見は、内部の部品のバランスの総合結果によってできているからです。

 そもそも車作りとは矛盾の塊なのです。室内を広くしたい。しかし、車のボディーは小さくしたい。それ矛盾です。確かにボディーの鋼板や骨格を薄くすれば多少は解決します。然し、そうすると事故から運転者の体が守れなくなります。もっと車を丈夫に作りたい、然し、燃費は良くしたい。またまた矛盾が発生します。

 自動車の製作過程の本を読んでいると、初めにベルトーネがラフに描いた自動車の絵が、実際にパーツの専門家とのせめぎあいで少しずつ修正が加えられてゆくのがわかります。時に複雑怪奇な車が出来上がったりします。それでも、名車と呼ばれるものは初めに描いた夢が必ず残されています。ここが車作りにコンセプトが守られているか否か、リーダーの力が発揮されているか否かの分かれ目なのでしょう。

 自動車とは妥協の産物なのです。芸術として許せるか否か、製品として満足できるかどうか、安全は、燃費は、走りは、居住性は、そのせめぎ合いが自動車を作るのです。いい車はボンネットを開けて見るとわかります。いい車は綺麗にパーツが収まっています。いいものは必然的に美しいのです。

 

 車の話が長くなりました。自動車会社と工業デザイナーの合作が車を作ります。我々マジシャンは、創作をする時に、その二つの矛盾した作業を一人でしなければなりません。ここはセンスが要求されます。私の演技で言うなら、結局、傘の7分間の演技も、蝶の7分間の演技も、すべて、細かなパーツに至るまで全て一から作る結果になりました。傘も、テーブルも、衣装も、シルクの帯も、ギヤマン蒸籠も、二つ引出しも、蝋燭台(ろうそくだい)や毛氈(もうせん)に至るまで、全部注文製作です。

 注文制作などと言うと、職人に口で言って、作らせているだけのように思うかも知れませんが、見本となる初作はすべて私がベニヤ板を切って製作します。色もデザインも私が塗ります。この世にないものを作るのですから、すべて私の夢を実現させるために、へたくそな道具作りをしてとにかく作ります。

 仮の道具が揃ったなら稽古です。そこで初めに戻って、絵コンテが稽古に活かされます。いろいろ作った道具ですが、使えるものもあれば駄目もあります。ギヤマン蒸籠と、二つ引出しはよくできた道具でした。どちらも過去にないいい作品になりました。

 然し、7分の演技に同時に二つの作品を収めると言うのが困難でした。蒸籠だけでも4分かかります。引出しも5分かかります。これだけで9分です。そこにオープニングの帯と真田紐が入ります。合計11分を超えてしまいます。何とか全体で7分以内に収めなければ、蝶と合わせて15分の手順になりません。

 ここから先は秒単位で時間を詰めて行きます。その時に役に立つのが、絵コンテです。同じ動作を避けて、30秒ごとに変化のある舞台を作らなければお客様は退屈します。1分経っても、2分経っても絵柄が変わらなかったらそれはだめな演技です。平坦な変化のない演技なのです。

 蒸籠のシルクの取り出しは、繰り返し動作が目立ちますので、相当に詰めなければならなくなります。引出しの玉の移動も詰める必要があります。稽古をしながら、動作を省き、なお且つ、いいハンドリングではあっても似たような現象は取り去って行きます。ここは涙の出るほど苦しい選択を迫られます。

 結果、蒸籠は1分30秒にまで縮まりました。引出しは3分30秒。蒸籠と、引き出しの二作が収まって7分で仕上がったのです。奇跡です。

 細かなギミックや、ホルダーも作り、色々試行錯誤があって、数年後に手順が完成します。さてそれから、指物師や蒔絵師に依頼して、本格的に道具の製作をします。

 全部できたならアトリエに並べてみます。すると、今までにない妖しげな光がさし込んできます。まるで江戸時代の世界から運んで来たように見えます。全くマジックの匂いがありません。二百年前の手妻遣いが使っていたかのような道具立てです。

 更に、邦楽の演奏家に作曲を依頼します。秒単位で内容にあった曲を作ってもらいます。それが出来たら録音です。

 全部できて、小道具を並べ、衣装を着て、音楽をかけて稽古をしてみます。これこれ、これです、私が夢に描いていた世界は、こういう世界の中で手妻を演じて見たかったのです。私の夢がようやく形になった瞬間です。

 

 私のこんな姿を弟子はいつも見ていますから、彼らが新作を作るときも同じような作業で創作をします。大樹の狐のお面の演技も、彼が弟子のさ中に制作したため、随分アドバイスをしました。明日は大樹の変面についてお話ししましょう。

 

 

 

ミスターマジシャン待望論 4

絵コンテを描いてみる 2 

 昨日の話を続けましょう。3分半であろうと7分であろうと、どんなマジックをするかを考えるときに私は、こまごまとしたトリックのことは考えません。私の場合は初めに大きな全体のイメージを作り上げて、その後イメージに沿って細部の内容を考えるようにしています。 先にお話しした傘の手順の大きな構成はこうです。

 

1、全体を赤で統一する。

 使うものはほとんど赤いものを出します。これは傘の手順の後に演じる蝶が、白い世界(白い紙、白い蝶、白い滝、白い吹雪)であるために、その反対の色を考えました。

従いまして、赤い帯、赤い傘、赤い風呂敷、赤い小切れ、殆どの物は赤を使っています。引出しで唯一白い玉を出しますが、これも後で赤に変わります。

 しかも演じる内容はプロダクション物ばかりです。どんどん物が増える、おめでたいマジックです。物が増えることに理由はありません。単純に増える喜びを表現しています。つまり現実の利益を喜ぶ世界です。

 

2、考え方をまとめる。現世利益の世界

 現実の利益は、仏教では「現世利益(げんぜりやく)」と言います。現世利益とは、賽銭箱に小銭を投げ入れて、「大学に合格しますように」。と願うこと、これが現世利益です。本当に世の中に神様仏様がいたとしても、神様仏様が小銭を貰って、個人の欲望を満たす義理はないのです。賽銭を貰った人を合格させて、くれなかった人を落とすようなことは、神仏(かみ、ほとけ)はしないはずです。然し人はそれを望みます。良くも悪くもそれが人であり、それが現世利益です。ここを否定すると寺社は人が集まらなくなります。でも、宗教の本質ではありません。

 人の欲とは裏を返せばわがままです。わがままが前提に自己の幸せを求めているのです。誠に不安定な世界です。然し、欲に裏打ちされていますので、たくさんの人が集まり、その世界は派手で華麗です。

 

 ついでに申し上げると、その先の蝶の演技時は変化現象です。どんどん移り変わって行く世界を表現しています。これは「無常観」を語っています。物は一つとして同じところにとどまらず、なり替わり立ち代わり生きて行く姿が無常観です。いわば哲学の世界です。私は、蝶の無常を語りたいが故に傘出しの現世利益を前半に持って来ました。

つまり、赤い世界と白い世界の両方が人の営みなのです。そして、赤と白は日本の国旗です。現世利益も、無常観も、日本人の考え方なのです。

 

3、傘をたくさん出さない。

 傘出しの手順なら、傘を何本も出すべきです。然し私は、ポツンポツンと一本ずつ、計四本出すだけです。寂しい傘出しです。なぜそうするか、傘は雨が降ってきたときに一本あればいいのです。二本は不要です。小さな所作をする場合でも、一本あれば十分世界を表現できます。自分の世界を作り上げるのにたくさんの傘は不要です。要所要所に一本ずつ、計四本出せば十分なのです。たくさん出そうとするから、衣装が膨らみ、手順に無理が出ます。一本の傘で世界が語れるならそれでいいのです。

 

4、初めと終わりを統一する。

 昨日書きましたように、私の手順は、初めの傘を出した後に、雨が上がっていることを知り、傘を脇に置き、そこから雨上がりのほんの数分間、太夫が様々なことを思いつつ遊びをします。そしてそのさ中に、また、雨がぽつりと降りだしてきて、4本目の傘を出し、初めの時と同じ見得を切って終わります。つまり、ほんのわずかな晴れ間の時間、太夫が天心無衣に遊んでいる姿を表現して見たのです。

 

5、前半は楽しげに、後半はあえて味付けをしない。

 前半の傘手順は面白そうに、単純に不思議を強調して、軽快に手妻を演じます。後半の蝶の手順は、表情を入れず、じっくりと淡々と演じています。そうすることがよりお客様に無常観が伝わるだろうと考えたからです。幸いにこの手順は評判がよく、多くの新しいお客様の支持を得て、多くの仕事先が開拓できました。

 

 傘出しも蝶も20代から演じてはいますが、全体の手順が出来たのは40歳です。それから今日まで25年、この手順は水芸とともに、私のメインアクトとなっています。

 話を元に戻しましょう。1から5までをお読みになればわかるとおり、私は、一つとしてマジックから手順を考えていません。勿論、引き出しとか、真田紐とか言った古典の作品を演じていますが、それさえも、旧手順とは違います。この手順のために新たにアレンジを加えています。原作とは全く違ったものも考えています。

 つまり、自分がどんな世界を作りたいのかと言う全体のイメージが初めにあって、そこから一つ一つマジックを集めて行ったのです。発想はまるで逆なのです。これは創作活動においてとても大切なことです。

 イフェクトやハンドリングをつなぎ合わせるだけで手順を作ってしまうと、観客に伝えるものは何もなくなってしまいます。なぜなら、手順もハンドリングも、マジシャンの都合だからです。

 始めに予言の封筒を出して、カードの予言をする、次に、四つの山に分けたデックから4枚のエースが出てくる。それは結構なのですが、予言も4Aもお客様が望んでいるものではありません。自身の都合で並べたものなのです。それを状況説明しながら順に演じて行く姿は、マジシャンの都合をお客様に押し付けているだけなのです。

 よく考えてみてください。マジシャンは何をお客様に伝えたいのですか、現象も、手順も、それはマジシャンが受けるための手段です。しかしそれらは何一つお客様が持ち帰って、家の家族に伝えるものにはならないのです。

 もしマジシャンは、伝えるべきものを提供していれば、そのマジシャンの舞台は、次から家族が見に来て、その家族は友達を紹介して、その次にはお客様がどんどん増えるはずなのです。しかし現実はどうですか、客席はマジックの好きなマニアばかりが集まって、演技中にメモを取って、イフェクトや演技のハンドリングを細かく書き込んでいるような人が結構います。どんな人がいてもお客様であることには変わりはありませんが、これでマジックの世界が爆発的に観客が増えるわけはないのです。

 本来マジシャンが伝えなければならなに自分の夢をお客様に伝えていないのです。マジシャン自身が夢を見失って、マジックの世界の些末な技にこだわっているのです。そうならそこに観客が集まらないのは当然のことなのです。

続く

 

ミスターマジシャン待望論 3 

ミスターマジシャン待望論3 絵コンテを描こう 

 本当は昨日ミスターマジシャンの3を書こうと思っていたのですが、弟子希望の電話が来て、弟子の話でインスピレーションがわき、間に差し込んでしまいました。それはいいとしても、ミスターマジシャン待望論2、のお終いに、絵コンテを描く話をしましたが、話の流れからすると突然重要な主題が出て来て、しかも話が中途半端に終わっています。つまり私が頭の中でまとめきれないうちに勝手に書いてしまったのです。

 この手の散漫な文章を書くとついつい食い足りない文章になってしまいます。済みません。もう一度、絵コンテについて書いてみます。

 

 絵コンテと言うのは、新しい手順を考えるときに、漠然と頭の中に思い描いているアイディアを客観的に見直すために、紙の上に表現して見るのです。これはとても重要なことです。然し、なかなか実践している人は少ないと思います。私の所に習いに来る人や、弟子には、絵コンテを描くことの重要性を勧めています。その理由は後でお話しします。

 私は、たとえ3分の手順を作る場合でも、必ず絵コンテを書いています。3分の演技なら、6枚を書きます。つまり自分の演技を時間経過で考えて、30秒に一回、その時、その時に自分が何をしているかを絵にするのです。

 

 私の手妻の手順でお話ししましょう。

初めは「出」です。どんな舞台設定で、どんな格好をして出て来るのか。手には何を持っているのか。お客様にはどんな世界を想像させるのか。全て絵にかき込んでみます。お客様にファーストインプレッションを印象付けるとても重要な場面です。テーブル一つでも、小道具でも、ありふれたもの、イメージからそれたものは舞台には出せません。緞帳が開いたときから藤山の和の世界が出来上がっていなければいけません。

 次に「発端の演技」です。あいさつ代わりに何か軽い演技が始まります。言葉では軽いと言いましたが、これこそ始めのマジックです。全体を象徴していて、しかも不思議でなければいけません。ここは創作する際に、とても苦しむところです。私の手妻で言うなら、赤い紙を手に丸めると、赤い帯になって空中に飛びます。更に帯がもう一本出ます。この一芸で、お客様を引き付けなければいけません。

 そして次の30秒で「小さな結末」に至ります。出た帯をまとめると、大きな赤い風呂敷になり、まとめるとそこから和傘が咲きます。ここで初めて、お客様は私が傘の演技をするのだと言うことを知ります。ここまでで約1分です。

 次に「バリエーション」の演技です。袖から長い赤い帯を出してその中ほどを蝋燭の炎で焼き切ります。「真田紐の焼き継ぎ」と言う手妻です。赤い帯を出した後に又、赤い帯を出すのですから、変化がありません。然し、蝋燭灯りで絹を焼くと言うのは印象が強く、この絵柄はしっかり記憶されます。30秒

 焼いた帯は無事につながり、まとめた帯の中から傘が出ます。30秒。ここまでで合計1分です。

 次に「ギヤマン蒸籠(せいろう)」の演技です。これは旧来の蒸籠の手順に似せてありますが、全く私の創作です。手妻は箱の中から物を取り出す作品が多いのですが、それを全くクリアな状態にして見せようと考えて作ってみました。ここまでくると、お客様はかなり見たいと言う気持ちが強まっていますので、少しテンポを落とし、ゆっくりガラス箱の中から絹の小切れが出てくる演技をします。小さな絹が3度出ます。30秒。

 小さな絹帯が出た後で、ガラスの蒸籠の中からたくさんの小切れがあふれ出ます。30秒。その後、赤い大きな風呂敷が出て来て、風呂敷の中から傘が出て、見得を切ります。30秒。ギヤマンは1分30秒の演技です。合計3分30秒の手順です。

 これが私の傘出し手順の前半になります。後半には二つ引出し(帰天斎派では夫婦引き出し)と言う古い手妻を演じて、お終いに傘が出ます。ここだけで3分30秒かかります。この引出しも、30秒ごとに、見たさまが変わるように手順に工夫を凝らしています。お終いの傘は、初めの一本目に出した見得と同じ見得を切ります。

 すなわち、初めの一本を出した後、何気に手で空をかざし、雨がやんでいることに気付き、もう傘は不要と思って傘を脇に置きます。いろいろ演技があって、引き出しで、お終いに煙管を加えて、見得を切ろうとしたときに、ポツリと雨が降り出したことを演技で表現します。そこで一本傘を出して、煙管を咥えたまま傘を持って見得を切り。話が元に戻ったことを示して、7分の傘の手順を終わります。

 つまりこの演技は、傘を持っていながら、わずかな晴れ間を見たときに、7分間の遊びをして、お終いに又時雨(しぐれ)が振ってきたために、傘をさして足早に帰ろうとする短かい間の出来事なのです。

 前半の傘出しと、後半の二つ引出しを合わせて7分の手順です。

 

 多くのマジシャンは、手順を作る際に、自分の演じたい道具を並べて、それをどうつなげるかと工夫します。然し、そうして作った手順はどうしても類型的な作品が出来てしまいます。初めにネタありきで、ネタとネタを如何につなげるかと言う作業だけで手順が出来てしまいます。特にスライハンド手順は、カード、鳩、四つ玉、ウォンド、どれも従来のハンドリングを並べて、途中に既製品のトリックを間にちりばめることで手順を作りがちです。

 然しそれでは誰が作っても似たり寄ったりの作品が出来てしまいます。明らかに人と違うものを作りたいと考えるなら、自分が原点に帰って、「自分は本当は何がしたいのか」、心の中を覗いてみないといけません。なまじそこにネタがあるから、ネタやハンドリングに義理立てして、本当にやりたいことを見失ってしまいます。

 先ず世間のしがらみから離れて、自分がしたいことをスケッチブックに描き出してみるのです。当然それは実現が難しい絵空事が描かれます。それでいいのです。その一枚がとても重要なのです。なぜなら、そこに描かれたものはあなたにとっての真実だからです。そこから現実の手順作りを始めるのです。

 

 自動車業界が、ベルトーネジウジアーロと言った工業デザイナーに高額な費用を支払って設計を頼みますが、彼らは、色々自動車会社の条件を聞いたうえで、スケッチブックに簡単な自動車の絵を描きます。それが最終的に一般道路に出るかどうかは未知数です。然し何気に書いた一枚の絵が数千億円の産業を決定づけます。

 ファーストインプレッションと言うものはそれほど大切なもので、自分が語りたいことをたった一枚の絵で表現できたなら、それは名車になり得るのです。と、またも重要な話がお終いに出て来てしまいました。然し紙面がありません。この続きは明日描きます。願わくば弟子入りの電話がかかってこないことを願いつつ。

続く

 

弟子入り希望の電話

弟子入り希望の電話 

 昨日(19日)、午前に日本舞踊の稽古に行こうとしたときに、弟子入り希望の人から電話がかかってきました。初めはマジックを覚えたいと言っていたので、てっきりレッスンを受けたいのかと思い、指導料など伝えたのですが、どうも弟子希望のようです。

 地方で働いていて、その仕事をやめて、東京に出て来たそうです。今日泊まるホテルもまだ予約していないうちに着いてすぐ電話をしたと言うのです。

 「私を何で知ったのか」、と聞くと、「ネットで」、だそうです。「マジックの経験はあるのか」、と聞くと、「ない」と言います。「それでどうして、私からマジックを習いたいと思ったのか」。と聞くと、「ネットを見ていて、面白そうだと思ったから」。と言います。年は20歳くらいです。正直困りました。私は言いました。

 「まず、私を一度も見ていない人が、私からマジックを習おうと言うのは無理です。私のすることに興味を持ったのなら、一度私の生の舞台を見ることです。

 以前から私と面識があって、私に了解を取って尋ねて来るなら話もしますが、会ったこともなくて、いきなり、会社を辞めて、東京に出て来てしまうのは無謀です。

 あなたがすでにマジックをしていて、マジックが好きで好きでたまらないと言う人であるなら、相談にも乗りますが、まずは、アマチュアさんにレッスンをしている日がありますので、そこで指導を受けるべきです。ただしそれはレッスン料がかかります。弟子修行と言うのは人一人の人生を面倒見ることですので、まず私が相手のことがわからなければ軽くは引き受けられません。それは電話で話す話ではないのです」。

 と言いました。最近は、何でも簡単にネットで検索して、連絡してくる人が多いのですが、こんな話をするのでも10分以上時間がかかります。お陰で日本舞踊は遅刻です。でも考えようによっては、家まで来て、玄関に座ってねばられないだけでも良かったと思います。

 何事も人には善意で接したいとは思いますが、人とかかわると言うことは、少なからず私の人生をその人に使うことですので、簡単には引き受けられません。私はこれまで何十人と言う人を弟子に取りました。それは消えかかっていた手妻を何とか残したいと思ったからです。今から考えると30年前は手妻の認知度はないに等しかったのです。

 それが徐々に認められてくると、弟子希望者が出て来ます。弟子は始めは熱心に、入門を求めます。私の所は補償金を取って、両親の承諾書を取って、更にプロマジシャンを保証人に立てた上で弟子を取ります。

 そうまでしても3か月と持たずに辞めて行く人がいます。まじめに事務所に来たのは3日間だけで、翌日から遅刻、さらに翌日も遅刻、そこで一度きつく叱ると、しばらくは時間通りに来ますが、一週間もするとまた遅刻。それが肝心の仕事に時に1時間の遅刻。飛行機や新幹線に間に合わないと言う大失敗をします。時に、アパートまで私が出かけて行って、弟子を起こして仕事に連れて行くようなことまでします。

 そんなだらしない人間をなぜ見抜けないのかとお考えでしょう。それが、人は初めは巧く化けるのです。精一杯まともな人間を演じるのです。両親を見ても誠実な人で、立派な仕事をしています。よもや、そこのお子さんがどうしようもないプー太郎だとは思えません。

 然し、弟子は段々まともな人間を演じ続けられなくなります。それが早い弟子で3日目、3日目を過ぎると3か月目、次が半年、その次が1年目で大失敗をやらかします。

 そこで、私は因果を含めて、辞めてもらいます。自分の限界を知って、さっとやめて行く弟子はいい弟子です。中には散々私の悪口を周囲に吹聴して辞めて行く弟子もいます。いくら悪口を言いまくっても、まともに弟子修行が務まらない弟子の言うことなど誰も聞きません。言うだけ自分の世間を狭くします。

 そもそも、私の所では弟子に給料を支払っています。弟子は他に仕事をしていないわけですから、弟子は生きて行くすべがありません。そこで、生きるだけの金は渡します。金を貰って、食事を食べさせて貰い、マジックを教えてもらい、仕事先を紹介してもらい、顔をつないでもらえるのです。そこまでしてもらって、悪口で返すような人が何を言っても誰からも信用されません。

 弟子から見たなら師匠というものは、人生で初めてつかんだスポンサーなのです。そのスポンサーに対して、いかに自分にとって気に食わないことがあったとしても、スポンサーを大切にしなければいけません。さんざん世話になった師匠の悪口を言い廻っているようではその人の将来はないのです。仮にマジックをやめて別の道に進んでも、元の仕事先を悪く言うような人は、相手の経営者も気付きます。「この人に情けをかけても、結果は悪く言われるだけだ」。と、

 そこに気を付けなければいけません。人の情けを無にして、せっかくの縁を生かせない人は、どんなに才能があって、どんなに世渡りが巧くても、結果同じことを繰り返し、仕事が定着しません。

 私は去って行った弟子を追いかけません。松旭斎天一師はやめて行った弟子のことを、「いくら上手い奇術師だったから、いい弟子だったからと言っても、やめて行ったものはどうしようもない、死んだと思えばあきらめがつく」。これは至言です。

 

 幸い今は手妻も認知され、習いたいと言う人も数多くいます。弟子希望者もいます。然し、弟子は安易には取れません。特に私自身の年齢を考えると、前田が卒業した後は、次の弟子は取れないかもしれないと思います。70歳を過ぎてしまうと、仕事の数はがたっと減るでしょう。そうなっては人を育てることも、手妻を教えることもできないかもしれません。いろいろ考えるともうピークに来ているなと思います。

 蝶や、魚はつくづく偉いと思います。自分の体以上にたくさんの卵を抱えて、身を犠牲にして死んで行きます。なんでそこまでするのかと思いますが、限られた一生に、ひたすら子供を残そうと必死になって生き、死んで行きます。それを思えば私のしてきたことはささやかなものです。たった一人、一縷の思いでかけて来た電話の相手の夢すらも叶えてやれないのですから。蝶は偉大です。一本の電話からそう思いました。

続く 

ミスターマジシャン待望論 2

 昨日(18日)は午後から3人の学生さんが習いに来ました。今彼らは手順を作り直しています。内容が良ければ、玉ひでか、来年2月のマジックマイスターに出してみたいと思います。まだ学生ですし、舞台回数も殆どありませんので、DVDなどを見る限り、まだまだの演技です。でも、熱心に私の所に通ってくると言うことは、相当に熱意のある証しですし、話を聞いているといろいろな人の演技をネットなどで見ています。この中から必ず将来のマジシャンが生まれます。気長に待つ以外ありません。

 

 30日のマジックセッションは、残り10席くらいです。観覧ご希望の方はお早めにお申し込みください。

 

 来月の玉ひでは、21日です。お食事付きで、座敷の距離でマジックと手妻を見る企画です。毎回お客様は満足して帰られます。ぜひ一度ご覧になってください。

 

 秋の集中合宿は、11月14日15日です。二日間で都合6時間の指導をします。指導料は二日で1万円。食事代は4食で3000円。交通費は、レンタカー代ガソリン代などで、一人3000円くらいです。自家用車でお越しの場合は交通費は自己負担です。新幹線でお越しの場合は、上越新幹線上毛高原駅下車です。時刻をお知らせくださればそこまでお迎えに上がります。みっちり2日間の指導ですので、手順物などを固めて習うには良い機会です。

 

ミスターマジシャン待望論 2

 結局。若いマジシャンが育つには、初めに、ちゃんと自分の演技で生活しているマジシャンが存在していない限り若い人は育ちません。当たり前の話です。生活して行けるとはいっても、部屋代を支払って、諸経費を引いたら何も残らないと言う生活では悲しすぎます。それなら勤め人の方がましです。勤め人は、会社から交通費も出ますし、ボーナスも出ます。それを貯金をすればわずかでも財産が残ります。

 マジシャンが、自分の創造を生かして1年仕事をして、何も残らないかったと言うのは、生きてきたことにはなりません。創造が創造と認められていないのです。認められる、イコール金ではありませんが、金のために仕事をするわけではなくても、人を育てたり、次の自分の夢を実現させるために必要な資金が貯まらなければ、何のために生きているのかがわからなくなります。

 先ず、ある程度生きて行くうえでゆとりのあるマジシャンがいなければ、若い人は目標を定められないはずです。このレベルから話をしなければならないと言うこと自体が、今のマジック界を如実に物語っています。

 

 実際、芸能で生きて行くことは並大抵のことではありません。特に今は、コロナウイルスのせいで、全ての芸能は危機的状況です。でも、ウイルスがなかったころですら、俳優でも、音楽家でも、落語家でも、ちゃんと生活して行けると言う人は数えるほどでした。ほとんどの人はサイドビジネスを持っている人か、奥さんに養ってもらっているか、親に養われているか、そうした人が大勢います。無事、自力で芸能で生きている人はほんの一握りなのです。

 然し、それでも、各分野には、確実に表芸だけで生きている人はいます。マジックの世界も、各カテゴリーに10人、20人は表芸で生きている人が欲しいのです。その中で、知識もあって、演技がしっかりしたマジシャンが出てこそ、それがミスターマジシャンです。

 

 私が望むマジシャンと言うのは、コンテストなどで入賞したマジシャンではありません。それはそれで努力を認めますが、コンテストは、プロで生きて行く登竜門に過ぎません。コンテストには、プロを目指さないアマチュアでも参加しています。そんな人たちの中で入賞を勝ち得たとしても、それでその先マジックで安定して生きて行けるものではありません。自分を試す意味でコンテストに出るのはいいとしても、そこでどうにかなったら、いつまでも勝利に浸っていないで、さっさと生きる道を素早く切り替えなければだめです。

 プロになるなら、プロとして生きることがどういうことなのかを真剣に考えなければいけません。コンテストはどんなに苦しいと言っても一回こっきりの勝負です。生きると言うことは、その先数十年続く苦労なのです。

 

 第一、コンテスト手順などと言う奇怪な手順をこしらえて、横から見られたら出来ない、舞台を暗くしないとできない、一度緞帳を降ろさなければできない、などと言った手順を作り上げても、それをどこで仕事にして行くのですか。それをコンテスト手順だなどと言って、「日本のショウビジネスは、タレントに冷淡で、しかも舞台環境が悪い」。等と言っているマジシャンを見ると悲しくなります。

 世界中どこに行ってもきっちりとした舞台設備のあるところのほうが稀です。どこの国でもマジシャンに都合の良い舞台などそうそうあるわけがないのです。

 そうは言っても、確かにいい舞台はあります。然し、そうした舞台は、自分が自分の看板で1000人1500人集められる芸のある人でなければお呼びが来ないのです。1000人を集められる力のない人が、いかに日本のショウビジネスの不甲斐なさを語っても、語るそばから北風が吹きます。

 自分がまずどこへ出しても通用する演技を持たなければだめなのです。一部の理解者のためのマジックをしていても誰も注目してくれないのです。

 自身の原点を見直してください。あなたは本来どんなマジックがしたかったのかそれをもう一度考えてみることです。一度自分の理想の演技を絵にかいてみることです。

 10分の手順なら、30秒に一回、その都度、どんな演技をしているかを絵に描いてみることです。10分なら20枚の絵になります。それを何度も何度も眺めてみることです。

 それが出来たら、道具を作り、手順を作ってみます。

 何度も推敲したうえで手順が出来たなら、それで仕事になるかどうかを先輩のプロマジシャンに相談してみることです。行けそうなら、次に、その演技を買ってくれる人を探すのです。道は簡単ではありません。でもやるしかありません。

続く

ミスターマジシャン待望論

 昨日(17日)は、玉ひでの舞台でした。これで5回公演しました。お客様も定着して来ましたし、演者の方も、演技慣れして来て、ある種のスタイルが出来て来ました。早稲田さんはスライハンドを熱心に稽古しています。ザッキーさんはトークマジックを掘り下げて考えています。日向さんはシルクマジックをまとめ上げようと熱心に稽古しています。前田は手妻を一つ一つ演じています。

 今は不慣れでも食い足りなくてもいいのです。こうした場があって、毎月舞台が踏めると言うことが大切なのです。若いうちは思い通りに行かない舞台を繰り返して、そこで悩むことが大切です。簡単に出来上がった芸は、簡単に消えて行くものです。じっくり基礎から学んだものは一生の宝になります。今は基礎を作る時期なのです。

 もう少し彼らがいい手順を作ったなら、大阪のセッションに出演させてあげようと考えています。また逆に、大阪のメンバーを東京のマジックセッションに出演させようと考えています。互いが交流して出演の場所を増やせば、若い人の活動の場を増やすことが出来ます。それこそが彼らの技量を伸ばす近道だと思います。

 前田はまだ24歳ですが、大阪の国立文楽劇場や銀座博品館劇場にたびたび出演しています。始めは文楽劇場の800人の観客を前にして、がちがちに緊張していましたが、二度目に出た時にはもうリラックスして演じています。文楽劇場を経験すれば、次に博品館に出ても少しも臆することがありません。若い者の順応性はこんなことで簡単に人を強くします。若い者にはなるべく早く、大舞台、観客に求められている舞台を提供することが人を育てる近道なのです。

 それには日ごろしっかりと基礎を学び、その基礎を土台として手順作りをしておかなければ大舞台は踏めません。売り物の道具で手順をつなげたり、自分勝手な、変なオリジナル手順を作って、得意になっていては永久にチャンスは来ないのです。

 

 

ミスターマジシャン待望論

 私が、東京大阪でマジシャンズセッションの舞台を続けている理由はただ一つ、誰もが認めるプロマジシャンが欲しいからです。一般の客様が見ても、マジック関係者が見ても、「この人はプロだ。日本を代表するマジシャンだ」。と、みんなが認めるマジシャンが欲しいのです。

 今の日本の奇術界を見ると、上手い人はたくさんいますし、いいアイディアを持った人もたくさんいます。然しその演技と内容を総合的に見て、この人が日本を代表するマジシャンだと言う人が見当たらないのです。

 

 イリュ―ジョンのカテゴリーには、メイガスさんや、原大樹さん、田中大貴さんなど何人か優れたマジシャンが活躍しています。彼らはアマチュアだけを相手にしているわけではありませんし、実際に多くの仕事を持っていて、一般客を相手に活躍しています。マジックのジャンルの中では、唯一と言っていいくらい、一般観客とつながった活動をしている人たちです。

 そうならこの人たちが日本のミスターマジシャンであると、申し上げたいところですが、私は少し躊躇します。皆さん優れた人です。いい人です。稼いでいます。然し、カリスマ性はと見ると、どうでしょうか。仲間のことですのでこれ以上は書きません。

 

 スライハンドはどうですか、今の時代にスライハンドマジックで一般の観客に認知されることは難しいと思います。然し、だからと言って、マジック愛好家の中に埋没して、コンベンションの中にばかり入り浸っていても仕事の数は増えないはずです。そこから抜け出て、一般客が本気になって追いかけたくなるスライハンドマジシャンの姿を、演じて見せない限り、大きな成功はないはずです。さて、そうなら誰かミスターマジシャンと、讃えられるスライハンドマジシャンがいますか?。

 

 トークマジシャンはどうですか?。かつてのアダチ龍光、ゼンジ―北京、ダーク大和、マギー司郎と続いた、日本のトークマジシャンの世界で、それを超えた、独自の世界を作り上げている人が今いますか。なんとなく喋りが達者で、器用にこなして、小ネタのマジックを演じている人はたくさんいても、そこに話術を感じて、他のジャンルの人、例えば漫才さんや、噺家さんが押し掛けて来て、マジシャンのトークを勉強したがるような独自の世界を作り上げている人をなかなか見ません。どなたかご存知の方がいらしたら、教えていただけませんか。

 

 クロースアップマジシャンは如何です?。巧い人はたくさんいますが、どうもアマチュア臭さが抜けない人が多いように思えます。あまりに近所の仲間の目を気にしすぎていて、狭い世界に埋没しているように思います。周りの人がいいの悪いのと言っても、この道で生きて行くには何にも関係ないはずです。なぜなら、近所の仲間が仕事をくれるわけではないからです。

 中には自分の世界に埋没して、観客の存在を無視している人もいます。観客が見えなければ仕事は来ません。プロと言うのは、観客を楽しませるから仕事が来るのであって、自分の楽しみでマジックをしている限りそれは素人です。そうした人たちが、コンベンションの評価だけを当てにして、その世界でしかマジックを考えていないのではプロは育ちません。

 

 なぜ日本のマジック界はこんなことになってしまったのでしょうか。それは各ジャンルに基準となるプロマジシャンが少ないからです。「マジックとはこう演じるべき」、「マジシャンとはこう生きるべき」、と、言う手本を示せるマジシャンが少ないのです。そして、自分の演技でちゃんと生活して見せられるマジシャンが少ないのです。それ故に、多くの若手が自分が生きるために何をしてよいかがわからず、右に左にうろうろしなければならないのです。

 プロマジシャンとして生きて行きたいなら、物を売ったり、レクチュアーをしていてはいけません。生きるためにはディラーもやむを得ないかもしれませんが、そうしつつも自分が毎月何日か、お客様の前に立って、マジックを見せる場を作らなければいけません。どんなに苦しくても、お客様からもらうギャラで生活して見せなければプロではないのです。そうした生き方に切り替えることからプロの道は始まります。

続く