手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

弟子入り希望の電話

弟子入り希望の電話 

 昨日(19日)、午前に日本舞踊の稽古に行こうとしたときに、弟子入り希望の人から電話がかかってきました。初めはマジックを覚えたいと言っていたので、てっきりレッスンを受けたいのかと思い、指導料など伝えたのですが、どうも弟子希望のようです。

 地方で働いていて、その仕事をやめて、東京に出て来たそうです。今日泊まるホテルもまだ予約していないうちに着いてすぐ電話をしたと言うのです。

 「私を何で知ったのか」、と聞くと、「ネットで」、だそうです。「マジックの経験はあるのか」、と聞くと、「ない」と言います。「それでどうして、私からマジックを習いたいと思ったのか」。と聞くと、「ネットを見ていて、面白そうだと思ったから」。と言います。年は20歳くらいです。正直困りました。私は言いました。

 「まず、私を一度も見ていない人が、私からマジックを習おうと言うのは無理です。私のすることに興味を持ったのなら、一度私の生の舞台を見ることです。

 以前から私と面識があって、私に了解を取って尋ねて来るなら話もしますが、会ったこともなくて、いきなり、会社を辞めて、東京に出て来てしまうのは無謀です。

 あなたがすでにマジックをしていて、マジックが好きで好きでたまらないと言う人であるなら、相談にも乗りますが、まずは、アマチュアさんにレッスンをしている日がありますので、そこで指導を受けるべきです。ただしそれはレッスン料がかかります。弟子修行と言うのは人一人の人生を面倒見ることですので、まず私が相手のことがわからなければ軽くは引き受けられません。それは電話で話す話ではないのです」。

 と言いました。最近は、何でも簡単にネットで検索して、連絡してくる人が多いのですが、こんな話をするのでも10分以上時間がかかります。お陰で日本舞踊は遅刻です。でも考えようによっては、家まで来て、玄関に座ってねばられないだけでも良かったと思います。

 何事も人には善意で接したいとは思いますが、人とかかわると言うことは、少なからず私の人生をその人に使うことですので、簡単には引き受けられません。私はこれまで何十人と言う人を弟子に取りました。それは消えかかっていた手妻を何とか残したいと思ったからです。今から考えると30年前は手妻の認知度はないに等しかったのです。

 それが徐々に認められてくると、弟子希望者が出て来ます。弟子は始めは熱心に、入門を求めます。私の所は補償金を取って、両親の承諾書を取って、更にプロマジシャンを保証人に立てた上で弟子を取ります。

 そうまでしても3か月と持たずに辞めて行く人がいます。まじめに事務所に来たのは3日間だけで、翌日から遅刻、さらに翌日も遅刻、そこで一度きつく叱ると、しばらくは時間通りに来ますが、一週間もするとまた遅刻。それが肝心の仕事に時に1時間の遅刻。飛行機や新幹線に間に合わないと言う大失敗をします。時に、アパートまで私が出かけて行って、弟子を起こして仕事に連れて行くようなことまでします。

 そんなだらしない人間をなぜ見抜けないのかとお考えでしょう。それが、人は初めは巧く化けるのです。精一杯まともな人間を演じるのです。両親を見ても誠実な人で、立派な仕事をしています。よもや、そこのお子さんがどうしようもないプー太郎だとは思えません。

 然し、弟子は段々まともな人間を演じ続けられなくなります。それが早い弟子で3日目、3日目を過ぎると3か月目、次が半年、その次が1年目で大失敗をやらかします。

 そこで、私は因果を含めて、辞めてもらいます。自分の限界を知って、さっとやめて行く弟子はいい弟子です。中には散々私の悪口を周囲に吹聴して辞めて行く弟子もいます。いくら悪口を言いまくっても、まともに弟子修行が務まらない弟子の言うことなど誰も聞きません。言うだけ自分の世間を狭くします。

 そもそも、私の所では弟子に給料を支払っています。弟子は他に仕事をしていないわけですから、弟子は生きて行くすべがありません。そこで、生きるだけの金は渡します。金を貰って、食事を食べさせて貰い、マジックを教えてもらい、仕事先を紹介してもらい、顔をつないでもらえるのです。そこまでしてもらって、悪口で返すような人が何を言っても誰からも信用されません。

 弟子から見たなら師匠というものは、人生で初めてつかんだスポンサーなのです。そのスポンサーに対して、いかに自分にとって気に食わないことがあったとしても、スポンサーを大切にしなければいけません。さんざん世話になった師匠の悪口を言い廻っているようではその人の将来はないのです。仮にマジックをやめて別の道に進んでも、元の仕事先を悪く言うような人は、相手の経営者も気付きます。「この人に情けをかけても、結果は悪く言われるだけだ」。と、

 そこに気を付けなければいけません。人の情けを無にして、せっかくの縁を生かせない人は、どんなに才能があって、どんなに世渡りが巧くても、結果同じことを繰り返し、仕事が定着しません。

 私は去って行った弟子を追いかけません。松旭斎天一師はやめて行った弟子のことを、「いくら上手い奇術師だったから、いい弟子だったからと言っても、やめて行ったものはどうしようもない、死んだと思えばあきらめがつく」。これは至言です。

 

 幸い今は手妻も認知され、習いたいと言う人も数多くいます。弟子希望者もいます。然し、弟子は安易には取れません。特に私自身の年齢を考えると、前田が卒業した後は、次の弟子は取れないかもしれないと思います。70歳を過ぎてしまうと、仕事の数はがたっと減るでしょう。そうなっては人を育てることも、手妻を教えることもできないかもしれません。いろいろ考えるともうピークに来ているなと思います。

 蝶や、魚はつくづく偉いと思います。自分の体以上にたくさんの卵を抱えて、身を犠牲にして死んで行きます。なんでそこまでするのかと思いますが、限られた一生に、ひたすら子供を残そうと必死になって生き、死んで行きます。それを思えば私のしてきたことはささやかなものです。たった一人、一縷の思いでかけて来た電話の相手の夢すらも叶えてやれないのですから。蝶は偉大です。一本の電話からそう思いました。

続く