手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

八景とはなに

 日本の芸能は、見立て(みたて、何かに見立てて表現する)を頻繁に行います。景色、情景を、一瞬切り取って、その世界を真似て見せる芸能は多々あります。日本舞踊などは言ってしまえば見立てのオンパレードです。落語にも、ストーリーを補助するために舟の船頭を演じて見せたり、駕籠かきを演じて見せたり、扇子一本で色々な世界を見立てています。

 手妻にも見立ては頻繁に出て来ます。金輪の曲などは全編見立てで構成されていますし、南京玉すだれなどもまさに見立ての世界です。すだれで釣竿を作って浦島太郎。後光を作って阿弥陀如来。など、それぞれ見立てが付きます。金輪で言うなら、兜をこしらえて、勇ましい侍を演じたり、金輪で笠をこしらえて頭からかぶって、花笠音頭を踊ったり、手提げ灯篭を作って娘が夜桜見物に出かけたり、それぞれ情景を、振りや表情で表現します。

 蝶も、表現する世界は多分に見立てです。扇を畳んで横にして、横笛を表現し、横笛にとまる蝶を見せたり。扇を広げて、左に持てば、遠い山並みを表現し、蝶の上からゆらゆらかざせば陽炎(かげろう)を表現します。

 こうした芸能に子供のころから接している日本人は見立てを普通に受け入れますが、欧米で見立てはあまり見かけません。欧米のリングにも造形はありますが、極く大雑把なもので、具体的な形はほとんどありません。従って、そこからイメージする世界はなく、造形で手順を作ると言う発想はありません。

 

 日本人が見立てや造形を愛した理由は、絵画の影響が大きいと思います。掛け軸の絵などで、風景描写があって、人物が働いている姿が描かれています。これがのちに様式化されて、型が生まれて定着します。掛け軸の中の型が人に理解されるようになって、それを真似る文化が発達してきます。更には、中国の宋代に瀟湘(しょうしょう=中国の中南部にある風光明媚な町)八景と言う絵が出ます。瀟湘の美しい風景を四季を通して褒めたものが八景です。この絵が有名になって、中国各地に、○○八景と言う景色を描いた絵が生まれます。それがやがて朝鮮や、ベトナム、日本にわたり、日本でも○○八景が全国に誕生します。

 近江八景厳島八景、博多八景、松島八景、金沢八景(神奈川県)、巽(たつみ)八景、今でも地名は数多く残っています。

 この八景と言うものが何を意味しているものなのでしょうか。中国で八景が生まれた時に、瀟湘と言う土地の、八つの景色を定めて、それをほめて絵にして、八景としたのです。その八つの景色とは、

 1、晴嵐せいらん)嵐と書きますが、雨風のことではなく、春や秋の霞が立つ風景を指します。

 2、晩鐘(ばんしょう)、夕暮れ時に山寺の鐘楼から聞こえる鐘の音。

 3、夜雨(よう)、夜中の雨の景色。

 4、夕照(せきしょう)夕日を映した赤い水面、

 5、帰帆(きはん)夕暮れに船が港に戻ってくる姿。

 6、秋月、夜の月、海に映る月。

 7、落雁(らくがん)夕暮れ時に雁の群れが空を飛ぶさま。

 8、暮雪(ぼせつ)夕暮れ時に遠くの山に積もった雪。

 

  つまり、中国的な美意識と言うのは、そこに山があって、湖があればそれでいいと言うのではなく、春、秋にはもうろうと霞が立たなければならず、夕暮れには赤い夕陽が湖を映さなければならず、時には雁が群れを成して飛んでいなければならず、夕方には船が港に帰って来なければならず、山には寺があって、そこから鐘の音がしなければならないわけです。それらがすべてなされて八景となるわけです。

 この八つの風景が美しいと決められると、人は型で景色を眺めるようになり、美の基準が固定されます。そして、その風景に似た地域を探し、型の美意識をその地に映して、○○八景と名付けることが流行します。すると○○八景は一躍観光地となり、多くの人が訪れるようになります。これがやがて江戸の末期に、浮世絵師が、盛んに地方の八景を浮世絵にして売り出します。八景と名付けたために、作品は同地域で複数の景色が売り出され、続き物として、雨の風景、雪の風景、晩鐘などとこぞって買い集める人が多く、八景物はよく売れたわけです。

 安藤広重などは随分八景物を書いています。「江戸近郊八景」と言うシリーズに羽田の落雁飛鳥山の暮雪とともに、池上本門寺の晩鐘が描かれています。私は池上の生まれですから、子供のころからこの絵はくずもちの箱の表紙に使われていたものをよく覚えています。

 但し、羽田の落雁にしろ、池上の晩鐘にしろ、現代の人が見たなら、単に田舎臭い風景画で、少しも面白みを感じない浮世絵ではないかと思います。なぜこれをあえて浮世絵にして売り出したのか、見当もつかないでしょう。それにしても池上の町並みは、藁ぶき屋根が瓦屋根に変わったほかは、全く何一つ変わっていません。200年間進歩をしていない街並みです。この広重が腰を掛けて、本門寺の絵をかいていた場所、ちょうどそこで私は生まれています。今は道路拡張で家はありませんが、あのアングルで私は生まれたのです。

 

 八景と言う形式が定着すると、例えば蝶のような、見立ての芸は八景をなぞるようになります。例えば、近江八景になぞらえて、蝶の飛ぶさまを語って行くならば、京では若い公家の奏でる横笛にしばしとどまり、笛の音を楽しみます。そこから山を越えて蝶が下って来るのは、石山寺の秋月、旅路を急ぐさ中に三井寺の晩鐘が聞こえ、琵琶湖を超える途中、羽を休めるために帆掛け船の、帆の天辺に停まって、しばし休む姿が矢橋の帰帆などと、様々な琵琶湖畔の景色を見せつつ、蝶は家路に急ぎます。こうした情景を一つ一つ想像してゆくと、見立てが単なる模写ではなく、一つの世界を作り上げていることがわかります。

 そのあたりがわかって来ると、芸能、芸術が何を語ろうとしているものであるかが見えてきます。例えば、南京玉すだれでも、蕎麦屋の看板だの、炭焼き小屋だの、ただそれだけを語っているのでは、単なる見立てであり、そこから先を感じさせる世界はありません。

 もう少し芝居心を働かせて、浦島太郎が釣り竿を水面に垂らし、座っている時に、三井寺の梵鐘が聞こえて来るしぐさが付けば、「あぁ、もうこんな時間か、さて、そろそろ家に帰ろうか」。と考え、糸を撒きつつ、家で待っている女房のことをしばし思う、などと言った思いを入れを表現したなら、浦島太郎の人生がほの見えてドラマが発生します。そうした情景を語ってこそすだれが一芸になってゆきます。残念ながら、玉すだれからドラマや人生を感じさせてくれるような芸を見せてくれる人はいまだ出会っていません。

 

 昨日前田将太が、金輪は自分の演じる演目の中で唯一芸能と感じさせるものだ。と言っていました。彼も、手妻をするまでは、マジックは不思議であればいい、種がわからなければそれでいいと思っていた一人なのですが、ここへ来て、本当にやらなければいけないことが種を隠すことではないと気づいたようです。それは大きな成長ではありますが、それをどのように本当の芸能に作ってゆくかはまだまだ先の話です。修行の道は遠いのです。

 

続く

 

世界同時不況が来る

 多くのマジシャンは、コロナウイルスでスケジュールはズタズタにされ、次なる舞台の仕事のチャンスも見つからず、こんな時代にどう生きたらいいかは大変に難しい問題を突きつけられています。これまで、ちゃんと勉強して、たくさん知識を身につけたマジシャンでも、現実に、この先どう生きたらいいかと言う問題に直面したなら、みんな悩みます。

 勿論それが人生ですから、頭がよかろうが、専門知識があろうが、次に起こる問題に関しては誰もが白紙状態で、一から考えなければいけません。ただ、不幸中の幸いは、今回のコロナウイルスは、世界中みんな平等に苦しんでいます。知識のある人もない人も、貧しい人も豊かな人も、地位の低い人も高い人も、同時スタートなのです。

 そこからどう抜け出すかは、個人個人の才能にかかっています。それなら、自分の才能や、運や、人脈を利用して、何とか活動してみる価値はあります。

 

 但し覚悟しなければなりません。これから来る不況は、単なる不況ではありません。世界同時不況です。いわば昭和3年世界恐慌と同じ規模の不況が来るでしょう。なぜならば、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと言う先進国が軒並みロックダウンをして、自国の経済を疲弊させてしまったからです。そうした先進国に引っ張られて、韓国、中国、ロシアと言った中進国は簡単に自力では経済復活できないでしょう。更には、まだコロナウイルスが広がっていないアフリカ地域で大きな感染が起きないとも限りません。

 言ってみれば世界の先進国中で日本だけがコロナウイルスの被害を大した受けなかったのです。それでも現状を見ればズタズタの経済です。ズタズタにしてしまったのはロックダウンを受け入れたからです。ロックダウンは決してやってはいけない悪手なのです。これをすると国の経済が破綻します。「それほどのことにはならないだろう」。と思っている人がありますが、とんでもない。

 前回書きましたように、網の目のように組まれた人々の生き方をひとたび切り取ってしまうと容易な事では繋がらなくなります。その危険に気づいていないのです。この先、ロックダウンをしたイギリスもアメリカも、国としての活力を失ってゆきます。

 コロナウイルスを広がらないようにするなら、具合の悪くなった人を病院に送ればいいだけの話です。全く健全に働く人すべてに、「仕事をするな」、「店を開くな」、「家で寝ていろ」、そんなことを要求する政府がありますか。

 それがために休養保証をする。と言って、せっかく集めた税金を再度ばらまき始めています。それも10万円。10万円が何の役に立ちますか。せっかく集めた税金をばらまくのは愚策です。何もするな、金は払う。と言うのは、国を上げて国民をニートに育て上げることにしかなりません。

 おまけにルールを守らない人をやり玉に挙げて、攻め立てます。外出するな、と言うのは自粛であって、法律ではないはずです。パチンコをしようが、河原でバーべキューをしようが、個人の勝手のはずです。人が自分の金でパチンコをして何がいけませんか。それを自警団のような連中がパチンコ屋にまで入り込んで、お楽しみの中のお客様をやめろと言う理由はどこにありますか。それをまたマスコミはニュースに流して悪者に仕立てる理由がどこにありますか。河原でのバーべキューがなぜいけないのですか。50人以下の集会なら問題ないでしょうし、しかも河原です。誰にも迷惑はかけていないでしょう。

 あんな姿を見ると、日本は村社会です。自分が正しい道を行くために自らを律して生きるのは美しいことです。然しそれを第三者に押し付けて、こう生きろと命令することは誤謬(ごびゅう)です。昔、昭和19年ごろ、私の親父が、楽器を持って慰問の興行に行こうとしたときに、国防婦人会に囲まれて、「この戦時の時に、楽器をもって歌を歌っているとは何事か」。と攻め立てられたのと同じことです。戦時であろうが、平和な時期であろうが、芸人は、面白いことを言って、歌を歌って人を慰めるものなのです。それを第三者からとやかく言われる筋合いなどないのです。「これが俺の仕事だ」、と、いくら言っても、「不謹慎だ」、と言って聞き入れようとしない戦時下の人に親父は悔しい思いをしたでしょう。然しそれと同じことをいま日本人はバーベキューをする人に罵声を浴びせています。コロナウイルスのニュースを見て、「あぁ、結局、日本人の頭の中は昭和19年以来全く成長していないのだなぁ」。と思いました。自粛自粛と言いながらも、人は人を強制しているのです。

 

 ロックダウンのお陰で、子供はいまだいつ学校に行ったらいいのかもわかりません。デパートとも、ホテルも自警団のような連中が鵜の目鷹の目で見ています。人の批判を受けるといけないため、おっかなびっくりで再開もできません。人の生活を邪魔して何が楽しいのでしょう。

 それでも海外から比べたら日本の現状はまだましな方なのです。つまり海外はもっとひどい状況なのです。これまでマジシャンは、例えば、ヨーロッパが不況だったら、アメリカに行ったり、アジアで稼いだり、あの手この手で世界を回っているうちに何とかなりましたが、この先はどこも不況です。そんな中で多少経済の回復が早くなりそうなのは日本でしょう。でもその日本がいまだ混沌としています。

 

 私自身も責任を感じていますが、5月9日に地震が来ると以前に書きました。多くの人は11日が危ないと書きました。しかしどちらも地震は来ませんでした。良かったと思います。これで地震が来ていたなら、日本は壊滅的な打撃を受けたでしょう。

 しかし、だからと言って、もう地震は来ないのかと言うとそうではないでしょう。いつとは区切れないまでも、大きな地震が来る可能性は消えてはいません。但し、今を天から与えられたチャンスだと思うことです。今こそ地震の対策をしておくべきです。古い橋や、古いトンネルは点検しておいたほうがいいでしょうし、古い建造物も対処しなければならないでしょう。今、地震災害が起こらなかったことを幸いとして、補修や、整備に費用をかけたなら、めぐりめぐって経済もよくなってゆくでしょう。

 

続く

行く川の流れは

 仮にコロナウイルスがひとまず終息したとして、この先多くの職業が三か月、半年先に平常に戻るでしょうか。実はこれが大変難しいことだと思います。これまで営々と築いて来た人と人との関係を、今回のコロナウイルスが大きく破壊してしまいました。

 

 例えばレストランで、夕方から深夜までクロースアップマジックを見せていたマジシャンが、週三日間、月12日間見せていたとして、これが、6月から全く前の通り再開するか、となるとどうでしょうか。

 もし私がレストランのオーナーだったなら、このコロナウイルスの騒動で、相当に考え方が変わると思います。5か月間ほぼ無収入を経験したオーナーは、このロックダウンで目が覚めると思います。つまり、

 1、来年、また新型のウイルスが来たならどうするか。

 2、コロナの赤字が解決しないまま、レストランの経営がやって行けるかどうか。

 3、マジックと言うサービスを続けて、店に意味があるのかどうか。マジックにかける分、料理の値段を値下げしたほうが、店にはメリットではないか。

 オーナーの頭の中でこんな悩みが出ているとしたなら、マジシャンはそれに対して、一つ一つ論破して、マジックを見せることの優位性を語れるでしょうか。

 オーナーはロックダウンを支持する人々の脅威を見てしまいました。ひとたびコロナウイルスが流行れば、数十年かけて営々として築いた自分の仕事など簡単に否定してしまいます。味も、歴史も味方をしてくれないのです。オーナーはすっかり怯えています。それに対して、マジシャンが、「大丈夫ですよ。僕らが面白いものを見せて、またお客さんを呼びますよ」。と能天気なことを言って、それでオーナーを安心させられるでしょうか。

 

 コロナウイルスが、単に5か月間の休業だけの被害なら、大した問題ではないのです。問題は被害日数ではありません。ロックダウンをしたことによって、人の心が変わってしまったことが恐ろしいのです。私がたびたび言う、一度破壊された個所が、糸を紡ぐことすらできなくなるほど、ぽっかり大きな穴が開いてしまったのです。

 

 そのことは私の仕事の状況も同じです。コロナ以来、今年に受けていた仕事はすべてキャンセルになりました。そしてその後にスケジュールで新たに来た舞台はありません。と言うことは、私は年内一本の仕事もありません。全くないと言うと嘘になります。私が主宰している公演は(マジックセッションやマジックマイスター)などは、何とかしていたしますし、前々からやろうとしていた、自主の舞台は開催できるかも知れません。人形町玉ひでも月に一回開催します。毎月5,6本の舞台は再開できるでしょう。然し、それらは私のチームを維持するほどの収入には至りません。それでも私を求めて来てくださるお客様と舞台でお会いできることは幸せです。

 問題は、私のイベントや、パーティーを買ってくださっていた、企業や、ホテル、プロダクションの人たちが、いつまた私を使ってくださるか、それが読めないのです。企業も、イベント会社も、今回の件で相当に被害を被っています。すぐには再開しずらいと思います。「マジックショウでもやろう」。などと前向きに考えてくれる会社は少ないと思います。そんな中で、昨年までの舞台の本数が、復活するのはいつのことかと考えると、案外5年6年かかるのではないかと思います。

 つまり、ロックダウンは修復に6年かかると言うことです。とりあえずウイルスを押さえ込むために大騒ぎをして、多くの人々の生活を6年も乱すことがよい事だったか否かと言うなら、明らかに間違った選択だったはずです。

 

 自粛で舞台ができなくなったり、不況で仕事が減った経験は、これまで何度か私も体験しました。昭和の天皇陛下の病気の時もそうでしたし。阪神淡路大震災や、東日本大震災リーマンショック、古くはオイルショックもそうでした。ひどい不況が来て、その不況がひとしきり去ると、すぐにイベントが復活するかと言うとそうはなりません。仮に景気が戻ったとして、その不況の前と後とでは、はっきりイベントのマネージャー達はショウを見る目が厳しくなります。そして、いつまでも古いこと、センスのないことをしているマジシャンはその都度仕事を失ってゆきました。そうしたマジシャンが仕事を失ってゆくのはやむを得ないことです。

 今回も同様です。未熟なマジシャン、下手なマジシャン、センスのないマジシャンは、コロナの大きな流れで、一気に押し流されて、失業してゆく可能性があります。こう書くと多くのマジック愛好家は、「下手なマジシャンならやめて行ったっていいよ、そんな連中はいなくなったってどうと言うことはない」。と冷淡に言う人がありますが、そうではないのです。

 どんな芸能も初めから上手い人はいません。初めはみんなどうしようもないマジシャンばかりです。しかしそこから多くを学んでうまくなってゆくのです。そのうまくなる可能性のある人たちまでも押し流してしまって、そのあとどうやって人が育ちますか。

 全ての芸能に言えることですが、名人とか優秀な人材は、今いる人たちの中から育つのです。決してほかの世界から、まるで天から降りてくるように名人が現れるわけではないのです。長い事、下手だのセンスがないだのと言われていた人が、何年かすると、信じられないくらいうまくなります。本当のだめと、可能性のあるだめを見分けるのは難しいことですが、それでも、何とか一生懸命続けている人たちまで一掃してしまうと次の人材が枯渇してしまうのです。

 

 大学でマジックを趣味としている人はたくさんいます。そうなら毎年10人くらいはそこからプロマジシャンが生まれてもよさそうなものですが、現実にはそうはなりません。彼らがプロを宣言しても数年のうちに消えてしまう人がほとんどです。実際には生きにくい世界なのです。そんな世界でもなんとか残って活動していたマジシャンが、このウイルス騒ぎで一遍にいなくなる可能性があります。それを私は危惧します。

 このことはそっくり海外のマジシャンにも当てはまります。アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、或いは中国、韓国当たりの経済の落ち込みはこれから重くのしかかってきます。そうなればマジシャンの生活は維持できません。マジックショウも、コンベンションも、数年は復活しない可能性があります。その間に有能な人材が消えて行きます。

 いずれにしても、ロックダウンで修復不可能なほど途切れてしまった世界はこの先5年10年は混乱し、簡単には修復しないでしょう。

 

続く、

コロナの果ての人類の衰退

 昨晩はごちゃごちゃ書いていたら、3000字を超えてしまいました。どうしても学校閉鎖の無意味までは書きたかったので、長いブログになってしまいました。すみません。私のブログの欠点は話が長いことです。続きをお話しします。

 

 ロックダウンは外科手術

 ロックダウンとスウェーデン方式の違いは、今の、生活をストップすることでコロナの活動を止めるか、生活を維持しつつコロナの対策を考えるか、の違いです。

 単純にコロナの活動を止めるだけならロックダウンは効果的です。今回も見ていると、医師も、政治家も、学者もロックダウンを支持していました。

 でも、ロックダウンは人類を衰退に導きます。人が営々と築き続けてきた活動は、安易に壊してはいけないのです。日々何気に行われている日常の行動も、よくよく見たならどれも理由があって、細かな行動様式で作られています。

 

日常の中のルール

 毎日、駅の改札からたくさんの人が出て来ますが、それはどの人も決して思い付きで適当に改札を利用しているのではなく、きっちり理由を持って、規則的に改札から出て来ています。一回一回、出て来る人をチェックしてみれば、毎日毎日、きっちり同じ時間にほとんど同じ人が出て来るのです。無論例外もありますし、わずかな時間の違いはありますが、ほとんどの場合はルールができていて、ルールに沿って人が改札を出入りしています。

 私の家の前には、環七と言う東京の主要道路があります。車はひっきりなしに走っています。どの車も私には縁のない車が走っていますから私の目には、ただたくさん車が走っているとしか思えません。

 然し、この車の流れも実は、細かなルールで走っています。仮に、ここ車の流れを一時間、ビデオで撮って、翌日同じ時間をビデオで撮って、見比べてみれば、全く適当に別々の車が走っていると思っていたものが、その実、同じ人が、同じ車で、同じ時間に、ほとんど時間を変えずに走っていることに気付くはずです。

 高円寺の駅前は焼き鳥屋が多いのですが、彼らは毎日適当に思い付きで焼き鳥を焼いているわけではありません。彼らは、たくさんの改札から出て来る人の中から、誰が店に来てくれる人なのかを知っています。そして、来る人が、タレが好きなのか塩焼きが好きなのか、何曜日に来て、何本食べて行くかも知っています。毎日毎日、理由もなく焼き鳥を焼いているわけではなく、月曜日は何本くらい売れる。そのうちのタレの焼き鳥は誰と誰が買う、と言うことを知って焼いています。それ故に、焼き鳥は余らないのです。焼鳥屋は漠然とした人の流れから、ルールを悟り、その日の自分の仕事を作っています。これが人の生き方です。

 

 ルールの乱れが社会不安につながる

 私の話は回りくどく、長いのですが、私が、一年を通して、舞台に立つ活動をしていても、毎回、いつごろ私に舞台の仕事をくれる人があるか。と言うことを知っています。「そろそろあの人から仕事の依頼がきそうだ」。などと思って仕事を待っています。長くこの仕事をしていれば、その予測はほとんど外れません。そうした読みがあるから、毎年毎年全く白紙のカレンダーから仕事をスタートしていて、一年たってみたなら、前の年とそう違わない仕事の本数をこなしているのです。

 ところが、ロックダウンは、こうした人の営みを破壊してしまいます。ロックダウンはまるで外科手術です。不用と思われる部分は容赦なく切り取ってしまいます。切り取った結果、局部の治療は効果を生みますが、人の営みに狂いが生じてきます。

 

 焼鳥屋のおやじが、たれと塩焼きの本数を読み違えたと言うだけの話なら、大した話ではありません。それがロックダウンによって、いつも来る人が来なくなり、売り上げが大幅に下がるとなると、親父の生活に支障をきたすようになります。やがて親父に体の不調が出て来ます。レバーを焼いていた親父が自分レバーが機能しなくなり、やがて親父は店を閉店することになります。すると、店に出入りしていた肉屋や八百屋が売り上げを落とし、やって行けなくなります。それまで互いが支え合って生きてきた地域の社会が、ドミノ倒しのように崩れてきます。

 

 手妻師の廃業が、文化の損失になる

 単にマジシャンや、手妻師が仕事がなくなると言うだけの話なら、人はほとんど注目をしないでしょう。然し、一人の手妻師がいなくなることで、年間の漆職人の支払いや、指物師の道具代等が数百万円。衣装代が数百万円などと支払っていた金額がなくなってしまうと、指物師も、蒔絵氏も、塗師屋さんも、衣装やさんも仕事が成り立たなくなってゆきます。そうなればぽっかり文化芸術が途絶えてしまいます。

 

 数式に出ない損失

 恐らく一年後、コロナウイルスの影響で、何の業種がいくら売り上げを落としたなどと言うグラフが出て、業界の損失が語られるでしょう。然し、本当の損失と言うものはそうしたところには出ません。ロックダウンで、人と人のつながりが壊されてしまったのです。何人かは廃業し、何人かは規模を縮小し、人と人が細かく結びついていたものが、縦糸も横糸も修復できないほどにつながりが戻せなくなって行ったのです。

 コロナの前なら何でもなく出来たことが、どうしてもできなくなるのです。「あの人が死んでしまった」。「あの人が辞めてしまった」。気づいてみると紡いでいた糸が方々で切り離されてしまったのです。これは大きな戦争をした後と同じ状況です。アジアもヨーロッパも、アメリカも、必死になってロックダウンをした結果、細かく結びついていた人と人とのつながりが絶えてしまったのです。

 それがどれほど大きな損失か気づいていないのです。机の上だけでものを考えている人は、土足で人の仕事場に入り込んできます。そして、半世紀をかけて作り上げた人と人とのつながりを壊してゆきます。「またコロナが去ったらつくればいい」。いやいや、不可能です。一度消えた人とのつながりは二度と作れないのです。私は学者を、医者を恨みます。無謀なロックダウンを、決めた学者、政治会社を恨みます。わずかばかりの見舞金ですべてを解決させようとしている、人達を恨みます。

 環七通りの車の流れを見て、毎日ある種の法則で車が通って行く、と言いました。同じことを1000年前に、鴨長明(かものちょうめい)が鴨川を見て語ったのです。

「行く川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまることなし 世の中にある人と すみかもまたかくの如し」

 続く

コロナの果ての尻拭い

 この5か月間の、一連のコロナウイルス騒動を経験して、これが一体何だったのか、私の考えを申し上げましょう。毎度のことではありますが、これだけ日本中が大騒ぎをして、多くの日本人が苦痛を味わった事件であるにもかかわらず、この問題の最高責任者が、首相なのか、厚生労働大臣なのか、知事なのか、医師団のアドバイザーなのか、さっぱりわからないまま、それぞれが勝手に意見を言い合い、ほとんどは責任を全うしないまま、コロナウイルスは徐々に収束しつつあります。

 収束しつつあるとは、すなわち数値からの収束であって、具体的に、一体どうなったら収束なのかの指針も回答もないまま、誰が終息宣言を言うのかもわからないまま、私のような何も知識のないものが見ていても、全く曖昧なまま収束しようとしています。

  

今回全く納得できないいくつかのことについて書かせていただきます。

 

ロックダウンは必要なかった

 非常事態宣言、ロックダウンは必要ありませんでした。今になって見たなら、死者500人程度のウイルスです。アメリカの8万人、イギリスフランス、イタリアの2万5000人から3万人の死者数と比較したなら、日本の国の規模とか、人口を考えますと、5万人くらいの死者がいても不思議はなかったはずです。それが百分の一である500人です。仮に死者5000人だったとしてもロックダウンをする理由はなかったでしょう。日本とアメリカでは感染の規模が違いすぎます。国を挙げて外出禁止をしたり、子供たちが学校を休む理由などなかったのです。

 

 本来はスウェーデン方式であるべき

 ロックダウンは一時的に感染者を止めはしますが、それを解除した後、家に閉じこもっていた人が外に出て活動を始めますから、結局ウイルスを広めてしまいます。そうなると一層感染が長引くのです。

 方やスウェーデン方式ですと、日常の仕事や生活をつづけたまま、普通に感染者を増やし、感染した人が自力で完治した後、免疫力を持ち、免疫を持った人が数多くできることでコロナウイルスを囲んで繁殖を止めてしまおうとするものです。

 このやり方は特別新しい考え方ではなく、大昔から、満足に特効薬もない時代に、自然に感染者を減らしてゆく方法として行われていたのです。ところがスウェーデン方式だと、一時的には、いたずらに感染者を増やして、死者が増加するからいけないと言う医師がいます。いえいえ、結果は同じです。ロックダウン方式であろうと、スウェーデン方式であろうと、特効薬や、ワクチンが開発されない限り、死者の数は変わりません。方式がいいの悪いのと言う話ではないはずです。

 

日本人は既に免疫力を持っていた

 今の日本が、感染者が爆発的に広がらなかったのは、ロックダウンの成果ではありません。日本ではすでに昨年から免疫力を持った人が大勢いたからです。普通に考えても、昨年末までは飛んでもない数の中国人が日本の隅々までもを観光していたのです。多くの日本人は、この人たちに接していながら、昨年の内に日本人がコロナウイルスに罹った人がいなかったと考えるほうが不自然です。

 少なからぬ日本人が、昨年からコロナウイルスに罹り、人によっては全く症状らしいものが出ないまま感染し、完治し、免疫力を持っていたのです。お陰で、年が明けて、本格的にコロナウイルスが流行りだしても、日本では感染者が増えなかったのです。

この点が、アメリカやヨーロッパ諸国とは根本的に違っていたのです。

 それ故に、本来スウェーデン方式は、日本で試されたほうが、効果は大きかったはずです。何にしても、普通に生活したままでコロナを封じ込めようとする考え方ですから、既に免疫のできた国民が、普通に生活しつつウイルスを封じ込めたなら、国民の生活を脅かすことがなかったのです。子供たちも学校を休む必要もなかったのです。

 

 パンデミックは起こらなかった

 結局日本では、パンデミック(爆発的感染)は起こりませんでした。なぜかと言うなら、既に免疫力のある人が大勢いたからです。中にはそうではないと言う人もあるでしょう。そうならなぜ日本でパンデミックが起きなかったかを説明してください。

 

 医師の努力の成果だった

 中には、パンデミックが起きなかったのは医師の献身的な働きの成果だったと言う人があります。確かに日本の医師は優秀で、誠実にコロナウイルスに立ち向かいました。素晴らしい成果です。然し、実際には、非常事態宣言の後、マスコミが話題を煽り、身の危険を感じた人々が病院に押し掛けたことで医療機関がパニックに陥り、その過程で院内感染が広がりました。ロックダウンも、非常事態宣言も、結果は院内感染を広げる結果になってしまったではありませんか。

 私が常に言う、誤謬(ごびゅう)の帰結です。どんなに良きことでも、国の規模で行動すると、とんでもない弊害が生まれるのです。院内感染はまさに誤謬です。

 

 山手線を見ればわかります

 日本でなぜパンデミック(爆発的な感染)が起こらなかったかと言うなら、その答えは山手線が示しています。私のブログをお読みの方は、私が度々山手線を例に挙げて話をしていることでお分かりと思いますが、世界中で最も密集した環境に置かれているのが、山手線、中央線、京浜東北線の朝のラッシュアワーなのです。もしあの状況下で、感染力の強いウイルスがまぎれ込んだなら、日本は初手でたちまち百万人の死者が出たでしょう。然し、実際は百万人の死者は出ません。半年騒いで500人です。なぜですか。

 つまり、コロナウイルスは繁殖力が弱いウイルスなのです。繁殖力が弱いと言ったら嘘になりますが、日本のように、免疫力が備わった国では繁殖しにくいウイルスなのです。私は、どうして、マスコミも、医師も、国も、山手線に注目しないのか不思議に思います。あの山手線の車内の状況で、勤め人が毎日通勤していて、コロナウイルスに罹らないなら、パンデミックはあり得ないではないですか。

 それを「この先日本人は40万人の死者が出る。」などと言った医師が出ました。その根拠はどこにありますか。嘘八百ではありませんか。

 

 山手線は危険

 今回は、満員電車に乗っても、コロナウイルスは繁殖しませんでした。ただし、この先、新しいウイルスが出たら、今の通勤電車をそのままにしておけば、とんでもない数の死者を出すことになるでしょう。日本ほど発展した国で、優秀な国民が勤勉に生活していながら、その実。日本人の個々の人々の扱いは、まるで捕虜収容所のような粗末な扱いです。基本的人権が守られていないのです。ここは日本人は我慢していてはいけません。日本人に憧れてやってきた外国人が、今の満員電車を見たなら、日本人の置かれている現実が見えて失望します。普段の生活がとても先進国の国民には見えないのです。鉄道を改善して、二階建ての電車を走らせるとか、時差通勤を徹底させるなどして、混雑緩和を本気で考えなければいけません。

 

 学校閉鎖は必要なかった。

 そもそも、コロナウイルスは子供はかかりにくいと初めから言われていたのに対して、なぜ学校閉鎖をしたのかわかりません。学校閉鎖が日本人から多くの人の仕事を奪ったことは事実です。(多くのパートをしている家庭の主婦が、子供の対応で仕事ができなくなりました)。多くの人に犠牲を強いていながら、閉鎖の効果があったのかと言えば、ほとんど効果はなかったと思います。(なぜなら初めから子供はウイルスに罹りにくいからです)。政治が主導して行った行為に中で最も愚策です。

 こう書くと必ず、「もし子供がウイルスに罹ったらどうする」。と言う人があります。愚問です。世界中に蔓延しているウイルスの対策に、一人二人の例外を上げて学校を閉鎖する人がありますか。どれだけ多くの人が生活を乱されているかを考えたなら、本末転倒のものの考え方なのです。わずかな数の子供の感染者を針小棒大に捉えて、学校閉鎖をする理由はないのです。言ってみれば、蚤のたかった猫を見つけた時に、蚤を取らずに猫を殺処分してしまうようなものです。蚤を取るために猫を殺す理由などないのです。極端から極端に考えが進むから多くの人が迷惑するのです。

 

話はまだ続きますが、ひとまずここで止めます。続く。

オオカミ少年シン

  「オオカミが来たぞ」、と言って、いつも嘘をついていた少年が、本当にオオカミが来た時に、村人は誰も相手にせず、食われてゆく少年を助けてくれなかった。「だから日ごろの行いが大切」。と言う有難いお話し。

 今回の「大震災が来るぞ」も、適当なことを言いながら、連日ブログに載せていた私は、さしずめオオカミ少年シンです。昨晩も、2時まで、地震が来るかと起きていましたが、地面はピクリとも動きません。動かないのは良い知らせではありますが、そうなら、私の予感はどこへ行ってしまったのか。全く人騒がせで、すみません。良かれと思ってしたことですが、結果、お騒がせしただけに終わってしまいました。

 以後、地震の予測などと言う、大それたことは慎み、おとなしく、地味な手妻師として生きて行くようにいたします。

 

 ここで、予言や予知が本当に信じられるかどうか、今回の経験から、少し考えてみようと思います。

 

 経験は役に立たない

予知や予言をする人は、全くあてずっぽうで言っているわけではないと思います。彼らは彼らなりに、過去にいくつか当たった経験を持ち、それが一体なぜ当たったのか、自分なりに法則を見出して、次なる予知に活かしているのでしょう。

 私の話を例にとるなら、まず夢に誰かが出て来ます。私の場合祖母です。祖母は福島生まれで、その後塩釜に働きに出て、そこで祖父に出会い、祖父と結ばれます。祖父は職人ですが、祖父の母はかまぼこ屋の娘です。祖父は塩釜で関東大震災を知ります。この関東大震災大正12年)と言うのがまず私の耳に残り、印象付けられます。

 祖父は東京に行き、翌年、祖母も東京に出ます。つまり二人がなぜ東京に出てきたのかと言う理由が関東大震災と言うキーワードなのです。

 私が20代の頃、寝たきりの祖母を見舞いに行くと、祖母は、繰り返し、大正12年の話をしました。そしてその数日後に亡くなったのです。ただそれだけの話が、30年後に、私の夢の中に突然現れます。そして二週間後、東日本大震災が起こります。

 ここで私は、東北と言う地域から、祖父母の生まれ育った土地を連想します。しかも私が見た夢は祖母から聞いた震災の話です。これにより、関東大震災と、東日本大震災が、私の頭の中でつながります。更にそれが二週間と言う時間を経て起こった話で、夢に、身内が出てきたことで何かメッセージがあるかのような錯覚を起こさせたのです。

 ここで私は、自分に予知能力があるのではないか、と妄想します。「そうそう、そういえば、自分は子供のころから運がよく、よく母親にくっついて行って、商店街の福引をすると、二等や三等を当てて、味噌や、醤油を貰い、母親に、『この子は運がいい』と褒められた」。などと、どうでもいいような話が運の裏打ちとなり、奇妙な自信につながって行きます。脈絡もなく法則が生まれます。夢、身内、地震、二週間、己の運。

 

 根拠のない裏付けから法則を見出す

 夢に祖母が出て来て、それがたまたま東日本大震災につながったと言うことから、今度はこれまでに自分がいかに運がよかったか、あるいは感がよかったか、を裏付けるため、様々なことをつなげて考えるようになります。ここから発想が少し自分寄りになってゆきます。単に運がいいと言うことから、自分は人にない才能があるなどと思い込むようになります。少し危ない道に入ってきます。

 考え方の根拠がしっかりしていればいいのですが、元々、夢のお告げですから、根拠はありません。根拠のない所に、いかにももっともと思われる話を塗りたくるわけです。つまり言ってしまえば、基礎杭を打たずにビルディングを立てて、その外側を、豪華に見せるために石やタイルを貼って行く作業をしているのです。出来上がったビルディングは外観は立派なものですが、中身は耐震構造も何もできていません。基礎杭すら打ってはいないのです。何かがあればすぐに倒れてしまいます。

 そんなビルを建てたところで何の役に立つのか、と第三者は思いますが、これがどうしてどうして、自己のプライドを満たすのです。仮に、法則が毎回外れ続けたなら、いい加減自身の運を諦めもしますが、勝手に作った予知の法則が、なぜかその後、当たり続けるのです。私で言うなら、熊本地震です。熊本地震を予知し、なおかつ支援金まで貰ったとなると、心は有頂天です。インチキビルの隣にもう一つ新社屋を建てようかと考えます。こんな時は、小さな予知もよく当たります。もういっぱしの予言者です。

 そして、今回の関東大震災です。少し調子に乗りました。今、しみじみ自分は才能がないと反省しています。然し、そんなことを言っているうちに、昼とか、夕方に地震が起きたなら、またもむくむくと根拠のない才能がもたげて来ます。そして新社屋建設の夢が膨らみます。朝反省して、二度と予言などしないと思っていたのに、午後にはタイルを貼り始めます。懲りないのです。どうしようもありません。

 

 私が文化庁の仕事で学校公演をしていた時に、地方都市に行き、地元の小中学生に手妻を演じて見せていたのですが、生の演奏家まで連れて、総勢25人の一座で回っていました。費用はすべて国が支払い、地元の学校の体育館で公演します。学校での公演ですから、午後3時には終わってしまい、ホテルに戻ると、まだ5時です。それ以降はスタッフ、出演者は自由時間です。

 照明のA君と、音響のB君はパチンコが好きで、行く先々の町で、パチンコ屋を探して、熱心に玉を弾いていました。特にA君は熱烈に好きで、ある時、「どうしてパチンコにはまったの」。と聞くと、「学生の頃、友達に誘われて、パチンコ屋に行き、その日一日だけで30万円稼いだんです。パチンコってこんなに稼げるんだって思って、毎日通ったら、三日後に70万円稼いだんです。」「本当に、パチンコで70万円も稼げるの」。「その時はバブルのさ中ですから、パチンコ屋も出す台は目いっぱい出したんです。それで次の日、中古の自動車を買いました。それからしばらくは、行くたびに3万円5万円と金になったんです。もうそうなると、バイトで日当5千円くらい稼ぐのがばかばかしくなって、しばらくパチプロ気取りで、パチンコ屋に出入りしていたんです。」「でも、そんなの長く続かないでしょう。」「えぇ、バブルがはじけたら出なくなりました。でもやっているうちに何となく、パチンコと言うものがどういう風に出て、どうすれば稼げるかがわかってきたんです。」「それで勝率が上がったわけね。」ええ、でも、長くやっていると、だんだん勝率も下がってきます。今はなかなか取れません。でも面白いからやめられないんです。」

 そう言いながら、連日熱心に地方の町のパチンコ屋に通うA君を、ある日時間をずらして密かに店に行ってみました。いました。その店は、人がほとんど入っていません。一見して、「これじゃぁ出ないだろうなぁ。」と思います。その一角でA君は黙々とパチンコを打っています。出ていません。然し楽しそうです。そのとき彼を見て、第三者である私は、絶対成功しない道をひたすら信じているA君を気の毒に思いました。今の地震の予知の話で言うなら、「あぁ、A君は根拠のない法則を信じて、黙々とタイルを貼っていたんだなぁ。」と思います。

 人のことは言えません。人は必ず間違えます。でも、無根拠の法則に男は憧れます。根拠なんかなくったって、のめり込める世界を持っていることが楽しいのです。

 

続く

地震は来るか

 昨晩は、私の夢のお告げを確かめるべく、深夜2時まで起きていました。然し、何も起こりません。もっとも、一日中、私の体が高揚したり、胸騒ぎをすることもありませんでしたので、「これは来ないな」。と思っておりました。「そうなら明日か」。と思い、昨日の今日、つまり9日は、変化が起こることを自身で注視したいと思います。

 もし今日、何も起こらなければ、私の夢はインチキだと思ってください。然し、もし小さな地震でもあれば、それは前触れの予震かも知れません。そうなら更に三日後までに大きな地震が来る可能性があるかも知れません。ご興味ある方は、そこまではご注意ください。

 但し、仮に11日に地震が起こったとしても、11日は、私以外に地震を予知している有名な先生方が何人もいらっしゃいますから。それはその先生方の予知能力が当たったのだと思います。私の予測は今日、9日深夜2時(10日の未明2時)で一度区切ります。11日に地震が来たからと言って、私の予測ではありません。まるで人の予言に便乗して勝ち馬に乗ったような当たり方は本意ではありません。

 いずれにしましても、当たれば当たったで決して目出度いことではなく、外れれば危険が遠のいたことなのだと思います。

 

 この一週間、私はいろいろ考えました。今まで地震を予測していた日に何か、事前に心の変化があったかと言うなら、東日本大地震の時には、三日前にあった小さな前触れで、近々何かあるのかと感じました。

 しかしその後は何も予感がなく、いきなり三日後の日中に地震がきました。あの時は東京も大きく揺れました。私が趣味で集めていた、陶器が棚から落ちてみんな割れてしまいました。マジックの道具も棚から落ちました。私の家は東西南北がきっちり取れていますので、東西に置いた棚は、みな扉が開いてしまい、中のものが散乱しました。事務所と自宅(ともにすぐ近くです)、の両方がやられて、復旧するのに一週間かかりました。

 当日の地震はかなり長い地震でしたし、大きなものでしたから、これはてっきり関東大震災が来たと思いました。その後片付けながら、私に何か予知能力があるのか、と思いました。この時、初めて、二週間前の夢に出てきた祖母のことを思い出しました。

 

 熊本地震の時には、全く東京は影響がなく、夢のことも地震のことも全く思いもしませんでした。地震はその晩のテレビのニュースで知りました。夢に原田さんが出て来てから地震までは恐らく七日くらいだったと思います。私の夢のお告げ、14日の予定よりはかなり早かったように思いました。この地震と原田さんの夢の話とはしばらくの間、つながりませんでしたが、熊本と聞いて、すぐに原田さんの会社に電話をして、安否を気遣い、御社の損害を知って、手紙を出しました。その後しばらくたって、徐々に夢とのつながりを思うようになりました。

 私が熊本に伺ったのは、その後数度原田さんと手紙のやり取りをした後です。原田さんが私に何か強く伝えたいことがあるのは手紙の文面からわかっていました。夢に関しては、地震のことは全く理解のほかで、原田さんの心の思いのほうが、私とのつながりが強かったように思います。そこになぜ、熊本地震がついて来たのかはわかりません。むしろ地震を機に、原田さんが私に熊本に来てほしいと願う思いが強まったのかもしれません。そうなら何としても地震のすぐ後に伺うべきでした。それでも一年後にお伺いできたことは幸いでした。そしてさらに一年後に原田さんは亡くなられました。

 飛行場から、病院へ行く途中、息子さんの車で、市内の中心部を走りました。お城はほぼ全壊でした。町中の大きなビルもところどころ破壊されて、修復中でした。あの光景は生涯忘れることはないでしょう。

 

 思いついたついでと言っては何ですが、私が人をお見舞いに行くときに、人の寿命に気づいてしまうことは、実はマイナスな結果を生みやすいのです。私には何となくその人の寿命が見えます。そのため、ついつい私の表情からその人を値踏みするような眼が見えるのでしょう。もちろんこれは決して悪意でそうしているのではありません。

 私が感がいいから、先読みができてしまうのです。健康そうにしていて、間もなく退院だと言われている人でも、私の目には、背後に青白い光が見えたりします。

 ある有力なアマチュアAさんが入院した時に、お見舞いに行きました。その人は日ごろは体格がよく、顔だちも目鼻がしっかりしていて、立派な人でした。然し、病院で見たA さんは全く別人でした。これでは私でなくても、もうそう長くはないなと思うでしょう。Aさんは、私に礼を言い、いくつか言葉を交わした後、少し目を閉じました。この時、私は小さくなったAさんの体全体をしみじみ眺めました。そして私の目がAさんの顔に戻ったときに、Aさんと目が合いました。Aさんはじっと私を見ていたのです。

 私は自分の心の内を読まれたかなと心配になり、咄嗟に、「早く元気になってください。また一緒に舞台に立ちましょう」。と、話をしましたが、Aさんは既に私の顔から、自分の死期を悟ったようです。全くあきらめの表情に変わっていました。本来は、もっと鷹揚に人を見る配慮が必要なのでしょう。こうしたときの私は、目端の利いた、多少知恵のある小者に過ぎません。結果としてAさんにすれば悪魔が病床を尋ねてきたように思えたのでしょう。Aさんはそれから一週間後に亡くなりました。

 こうしたことがいくつかあったため、前のブログでは、相手の健康状態がわかっても、体の不調のこと、指揮が近づいていることは決して言わない。と書いたのです。先が読めることは決して良いことばかりではないのです。

 但し、その話と先日のスピリット百瀬さんの死とは無関係です。私の夢に出てきた人は百瀬さんではありません。夢の登場人物の話は、数年後にお話しします。

 

続く