手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナの果ての尻拭い

 この5か月間の、一連のコロナウイルス騒動を経験して、これが一体何だったのか、私の考えを申し上げましょう。毎度のことではありますが、これだけ日本中が大騒ぎをして、多くの日本人が苦痛を味わった事件であるにもかかわらず、この問題の最高責任者が、首相なのか、厚生労働大臣なのか、知事なのか、医師団のアドバイザーなのか、さっぱりわからないまま、それぞれが勝手に意見を言い合い、ほとんどは責任を全うしないまま、コロナウイルスは徐々に収束しつつあります。

 収束しつつあるとは、すなわち数値からの収束であって、具体的に、一体どうなったら収束なのかの指針も回答もないまま、誰が終息宣言を言うのかもわからないまま、私のような何も知識のないものが見ていても、全く曖昧なまま収束しようとしています。

  

今回全く納得できないいくつかのことについて書かせていただきます。

 

ロックダウンは必要なかった

 非常事態宣言、ロックダウンは必要ありませんでした。今になって見たなら、死者500人程度のウイルスです。アメリカの8万人、イギリスフランス、イタリアの2万5000人から3万人の死者数と比較したなら、日本の国の規模とか、人口を考えますと、5万人くらいの死者がいても不思議はなかったはずです。それが百分の一である500人です。仮に死者5000人だったとしてもロックダウンをする理由はなかったでしょう。日本とアメリカでは感染の規模が違いすぎます。国を挙げて外出禁止をしたり、子供たちが学校を休む理由などなかったのです。

 

 本来はスウェーデン方式であるべき

 ロックダウンは一時的に感染者を止めはしますが、それを解除した後、家に閉じこもっていた人が外に出て活動を始めますから、結局ウイルスを広めてしまいます。そうなると一層感染が長引くのです。

 方やスウェーデン方式ですと、日常の仕事や生活をつづけたまま、普通に感染者を増やし、感染した人が自力で完治した後、免疫力を持ち、免疫を持った人が数多くできることでコロナウイルスを囲んで繁殖を止めてしまおうとするものです。

 このやり方は特別新しい考え方ではなく、大昔から、満足に特効薬もない時代に、自然に感染者を減らしてゆく方法として行われていたのです。ところがスウェーデン方式だと、一時的には、いたずらに感染者を増やして、死者が増加するからいけないと言う医師がいます。いえいえ、結果は同じです。ロックダウン方式であろうと、スウェーデン方式であろうと、特効薬や、ワクチンが開発されない限り、死者の数は変わりません。方式がいいの悪いのと言う話ではないはずです。

 

日本人は既に免疫力を持っていた

 今の日本が、感染者が爆発的に広がらなかったのは、ロックダウンの成果ではありません。日本ではすでに昨年から免疫力を持った人が大勢いたからです。普通に考えても、昨年末までは飛んでもない数の中国人が日本の隅々までもを観光していたのです。多くの日本人は、この人たちに接していながら、昨年の内に日本人がコロナウイルスに罹った人がいなかったと考えるほうが不自然です。

 少なからぬ日本人が、昨年からコロナウイルスに罹り、人によっては全く症状らしいものが出ないまま感染し、完治し、免疫力を持っていたのです。お陰で、年が明けて、本格的にコロナウイルスが流行りだしても、日本では感染者が増えなかったのです。

この点が、アメリカやヨーロッパ諸国とは根本的に違っていたのです。

 それ故に、本来スウェーデン方式は、日本で試されたほうが、効果は大きかったはずです。何にしても、普通に生活したままでコロナを封じ込めようとする考え方ですから、既に免疫のできた国民が、普通に生活しつつウイルスを封じ込めたなら、国民の生活を脅かすことがなかったのです。子供たちも学校を休む必要もなかったのです。

 

 パンデミックは起こらなかった

 結局日本では、パンデミック(爆発的感染)は起こりませんでした。なぜかと言うなら、既に免疫力のある人が大勢いたからです。中にはそうではないと言う人もあるでしょう。そうならなぜ日本でパンデミックが起きなかったかを説明してください。

 

 医師の努力の成果だった

 中には、パンデミックが起きなかったのは医師の献身的な働きの成果だったと言う人があります。確かに日本の医師は優秀で、誠実にコロナウイルスに立ち向かいました。素晴らしい成果です。然し、実際には、非常事態宣言の後、マスコミが話題を煽り、身の危険を感じた人々が病院に押し掛けたことで医療機関がパニックに陥り、その過程で院内感染が広がりました。ロックダウンも、非常事態宣言も、結果は院内感染を広げる結果になってしまったではありませんか。

 私が常に言う、誤謬(ごびゅう)の帰結です。どんなに良きことでも、国の規模で行動すると、とんでもない弊害が生まれるのです。院内感染はまさに誤謬です。

 

 山手線を見ればわかります

 日本でなぜパンデミック(爆発的な感染)が起こらなかったかと言うなら、その答えは山手線が示しています。私のブログをお読みの方は、私が度々山手線を例に挙げて話をしていることでお分かりと思いますが、世界中で最も密集した環境に置かれているのが、山手線、中央線、京浜東北線の朝のラッシュアワーなのです。もしあの状況下で、感染力の強いウイルスがまぎれ込んだなら、日本は初手でたちまち百万人の死者が出たでしょう。然し、実際は百万人の死者は出ません。半年騒いで500人です。なぜですか。

 つまり、コロナウイルスは繁殖力が弱いウイルスなのです。繁殖力が弱いと言ったら嘘になりますが、日本のように、免疫力が備わった国では繁殖しにくいウイルスなのです。私は、どうして、マスコミも、医師も、国も、山手線に注目しないのか不思議に思います。あの山手線の車内の状況で、勤め人が毎日通勤していて、コロナウイルスに罹らないなら、パンデミックはあり得ないではないですか。

 それを「この先日本人は40万人の死者が出る。」などと言った医師が出ました。その根拠はどこにありますか。嘘八百ではありませんか。

 

 山手線は危険

 今回は、満員電車に乗っても、コロナウイルスは繁殖しませんでした。ただし、この先、新しいウイルスが出たら、今の通勤電車をそのままにしておけば、とんでもない数の死者を出すことになるでしょう。日本ほど発展した国で、優秀な国民が勤勉に生活していながら、その実。日本人の個々の人々の扱いは、まるで捕虜収容所のような粗末な扱いです。基本的人権が守られていないのです。ここは日本人は我慢していてはいけません。日本人に憧れてやってきた外国人が、今の満員電車を見たなら、日本人の置かれている現実が見えて失望します。普段の生活がとても先進国の国民には見えないのです。鉄道を改善して、二階建ての電車を走らせるとか、時差通勤を徹底させるなどして、混雑緩和を本気で考えなければいけません。

 

 学校閉鎖は必要なかった。

 そもそも、コロナウイルスは子供はかかりにくいと初めから言われていたのに対して、なぜ学校閉鎖をしたのかわかりません。学校閉鎖が日本人から多くの人の仕事を奪ったことは事実です。(多くのパートをしている家庭の主婦が、子供の対応で仕事ができなくなりました)。多くの人に犠牲を強いていながら、閉鎖の効果があったのかと言えば、ほとんど効果はなかったと思います。(なぜなら初めから子供はウイルスに罹りにくいからです)。政治が主導して行った行為に中で最も愚策です。

 こう書くと必ず、「もし子供がウイルスに罹ったらどうする」。と言う人があります。愚問です。世界中に蔓延しているウイルスの対策に、一人二人の例外を上げて学校を閉鎖する人がありますか。どれだけ多くの人が生活を乱されているかを考えたなら、本末転倒のものの考え方なのです。わずかな数の子供の感染者を針小棒大に捉えて、学校閉鎖をする理由はないのです。言ってみれば、蚤のたかった猫を見つけた時に、蚤を取らずに猫を殺処分してしまうようなものです。蚤を取るために猫を殺す理由などないのです。極端から極端に考えが進むから多くの人が迷惑するのです。

 

話はまだ続きますが、ひとまずここで止めます。続く。