手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

地震は来るか

 昨晩は、私の夢のお告げを確かめるべく、深夜2時まで起きていました。然し、何も起こりません。もっとも、一日中、私の体が高揚したり、胸騒ぎをすることもありませんでしたので、「これは来ないな」。と思っておりました。「そうなら明日か」。と思い、昨日の今日、つまり9日は、変化が起こることを自身で注視したいと思います。

 もし今日、何も起こらなければ、私の夢はインチキだと思ってください。然し、もし小さな地震でもあれば、それは前触れの予震かも知れません。そうなら更に三日後までに大きな地震が来る可能性があるかも知れません。ご興味ある方は、そこまではご注意ください。

 但し、仮に11日に地震が起こったとしても、11日は、私以外に地震を予知している有名な先生方が何人もいらっしゃいますから。それはその先生方の予知能力が当たったのだと思います。私の予測は今日、9日深夜2時(10日の未明2時)で一度区切ります。11日に地震が来たからと言って、私の予測ではありません。まるで人の予言に便乗して勝ち馬に乗ったような当たり方は本意ではありません。

 いずれにしましても、当たれば当たったで決して目出度いことではなく、外れれば危険が遠のいたことなのだと思います。

 

 この一週間、私はいろいろ考えました。今まで地震を予測していた日に何か、事前に心の変化があったかと言うなら、東日本大地震の時には、三日前にあった小さな前触れで、近々何かあるのかと感じました。

 しかしその後は何も予感がなく、いきなり三日後の日中に地震がきました。あの時は東京も大きく揺れました。私が趣味で集めていた、陶器が棚から落ちてみんな割れてしまいました。マジックの道具も棚から落ちました。私の家は東西南北がきっちり取れていますので、東西に置いた棚は、みな扉が開いてしまい、中のものが散乱しました。事務所と自宅(ともにすぐ近くです)、の両方がやられて、復旧するのに一週間かかりました。

 当日の地震はかなり長い地震でしたし、大きなものでしたから、これはてっきり関東大震災が来たと思いました。その後片付けながら、私に何か予知能力があるのか、と思いました。この時、初めて、二週間前の夢に出てきた祖母のことを思い出しました。

 

 熊本地震の時には、全く東京は影響がなく、夢のことも地震のことも全く思いもしませんでした。地震はその晩のテレビのニュースで知りました。夢に原田さんが出て来てから地震までは恐らく七日くらいだったと思います。私の夢のお告げ、14日の予定よりはかなり早かったように思いました。この地震と原田さんの夢の話とはしばらくの間、つながりませんでしたが、熊本と聞いて、すぐに原田さんの会社に電話をして、安否を気遣い、御社の損害を知って、手紙を出しました。その後しばらくたって、徐々に夢とのつながりを思うようになりました。

 私が熊本に伺ったのは、その後数度原田さんと手紙のやり取りをした後です。原田さんが私に何か強く伝えたいことがあるのは手紙の文面からわかっていました。夢に関しては、地震のことは全く理解のほかで、原田さんの心の思いのほうが、私とのつながりが強かったように思います。そこになぜ、熊本地震がついて来たのかはわかりません。むしろ地震を機に、原田さんが私に熊本に来てほしいと願う思いが強まったのかもしれません。そうなら何としても地震のすぐ後に伺うべきでした。それでも一年後にお伺いできたことは幸いでした。そしてさらに一年後に原田さんは亡くなられました。

 飛行場から、病院へ行く途中、息子さんの車で、市内の中心部を走りました。お城はほぼ全壊でした。町中の大きなビルもところどころ破壊されて、修復中でした。あの光景は生涯忘れることはないでしょう。

 

 思いついたついでと言っては何ですが、私が人をお見舞いに行くときに、人の寿命に気づいてしまうことは、実はマイナスな結果を生みやすいのです。私には何となくその人の寿命が見えます。そのため、ついつい私の表情からその人を値踏みするような眼が見えるのでしょう。もちろんこれは決して悪意でそうしているのではありません。

 私が感がいいから、先読みができてしまうのです。健康そうにしていて、間もなく退院だと言われている人でも、私の目には、背後に青白い光が見えたりします。

 ある有力なアマチュアAさんが入院した時に、お見舞いに行きました。その人は日ごろは体格がよく、顔だちも目鼻がしっかりしていて、立派な人でした。然し、病院で見たA さんは全く別人でした。これでは私でなくても、もうそう長くはないなと思うでしょう。Aさんは、私に礼を言い、いくつか言葉を交わした後、少し目を閉じました。この時、私は小さくなったAさんの体全体をしみじみ眺めました。そして私の目がAさんの顔に戻ったときに、Aさんと目が合いました。Aさんはじっと私を見ていたのです。

 私は自分の心の内を読まれたかなと心配になり、咄嗟に、「早く元気になってください。また一緒に舞台に立ちましょう」。と、話をしましたが、Aさんは既に私の顔から、自分の死期を悟ったようです。全くあきらめの表情に変わっていました。本来は、もっと鷹揚に人を見る配慮が必要なのでしょう。こうしたときの私は、目端の利いた、多少知恵のある小者に過ぎません。結果としてAさんにすれば悪魔が病床を尋ねてきたように思えたのでしょう。Aさんはそれから一週間後に亡くなりました。

 こうしたことがいくつかあったため、前のブログでは、相手の健康状態がわかっても、体の不調のこと、指揮が近づいていることは決して言わない。と書いたのです。先が読めることは決して良いことばかりではないのです。

 但し、その話と先日のスピリット百瀬さんの死とは無関係です。私の夢に出てきた人は百瀬さんではありません。夢の登場人物の話は、数年後にお話しします。

 

続く