手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

春の麗らの隅田川

 昨日は、朝から、免許証の再発行に行ってきました。多分置き引きにあったのだと思いますが、銀行からお金を降ろし、駅前のスーパーで買い物をし、その日は雑用に追われ、翌日バッグを探したのですがありません。銀行のカードや、免許証が入っていましたので困りました。銀行で降ろした現金はジャケットの胸ポケットに入れていたので無事でした。財布には1万円しか入っていませんでした。不幸中の幸いです。

 かつても同じようなことがありました。どうも、私が銀行から出て来るときから狙っている人がいたような気がします。とにかく、財布はあきらめて、まず免許証を再交付してもらわなければなりません。東陽町の運転免許試験場に行きました。

 せっかくここまで来たなら、マジックランドに顔を出してみようと、その後にランドに寄りました。ママさんと、聰さんが二人で店番をしています。東さんはもう店に来ることはほとんどないようです。とりとめのない話をして帰りましたが、この間一人もお客様がきません。コロナだからやむを得ないとは言いますが、これでは生きて行くことすら難しい」でしょう。

 マジックと言うコアな世界の、更にアマチュアを対象としたマジック用具の販売。と言う、コア中のコアな仕事がこの先も続けて行けるものかどうか。いやいや、マジックのアマチュアと言う存在もこの先どうなるか分かったものではありません。人のことは言えません、プロもどうなるか分かったものではないのです。アマチュアが全くいなくなると言うことはないにしても、それを対象として、アイディアを考える。道具を作る。などと言うことが仕事として成り立つかどうか。前途は多難だと思います。

 

 FISM(世界に支部を持つのマジック団体)が3年に一度、マジックの世界大会を開催していますが、来年がカナダです。70数年のFISMの歴史で初のアメリカ大陸での開催です。それがどうも中止になりそうな状況です。総勢2500人ものマジシャンが集まる大会が、仮に来春、ウイルスが終息したとしても、夏にすぐに開催できるかどうかとなると。実際には難しいだろうと思います。

 特に、アメリカが今の現状では、アメリカの参加者を当て込んで人集めしているカナダにとっては自国の判断だけで開催するわけにはいきません。FISMの本部は、この先、世界大会を開催することそのものに懸念を抱いている人もあるようです。これまでなら、大きな大会を開催することが、人をたくさん集める強力な力だったのですが、将来、大きな大会ゆえにリスクが一層大きくならないか。心配が募ります。

 そのことは、他の大会も同様で、マジック界の問題だけでなく、国際会議、国際見本市等々、多くの人を集める催しがこの先は開催しずらくなってきています。

 私は以前、このブログで書きましたが、「この先は、原子爆弾やミサイルが人類を滅ぼすのではなく、ウイルスを撒くことで、簡単に一国の経済を混乱させることができる。ウイルスの開発は、原子爆弾の開発よりはるかに安価にできる。持ち運びも簡単。陸続きの国なら、ドローン1万機にウイルスを乗せて、隣国に飛ばして、撒き散らせば簡単に他国を制圧できる。低空でドローンを飛ばされたなら、レーダーにはかかりにくく、見つかっても、1万機すべてを打ち落とせるミサイルなんてありえない。」

 今回のコロナウイルスも、その兵器開発の一環ではないかとアメリカが、中国に言いがかりをつけています。今回のことは言いがかりかもしれませんが、この3年のうちに、ウイルス兵器を開発する国が出て来る可能性は十分にあります。

 東京は、来年にオリンピックを開催しようとしていますが、来年に再び新型のウイルスが流行れば、たちまちオリンピックは開催不可能になります。そうならないことを祈るばかりです。

 私が子供の頃に、「大きいことはいいことだ」。と言うコマーシャルが流行りました。大きな板チョコのコマーシャルでした。

 その時代は、会社でも、スーパーでも、「会社が大きくなれば物が安く作れる、安く販売ができる、そうなれば、消費者にとってもメリットが大きい。」と、大きなことがいいことずくめに語られていました。然し、50年たって、大きなことは最も危険なことになってしまったようです。

 そうした流れの中で我々は生きて行かなければなりません。

 

 さて、免許を取りに行った帰りの地下鉄で、何件も電話がきました。裕里江さんから、石井裕さんから、辻井孝明さんから、共にスピリット百瀬さんのお弟子さんです。百瀬さんがが亡くなったと言う連絡でした。百瀬さんは若いころは大嶽さんといい、私は高校生の頃、名古屋の大須演芸場に出演していて、夜にマジックバーのエルムに遊びに行ったときに、24歳くらいの大嶽さんのマジックを見ています。とてもうまい人でした。しかしその後お会いする機会はありませんでした。

 私がSAMの日本局を作った時に、日本中のプロアマチュアに声をかけ、手紙を出し、700人の会員を集めました。余りに簡単に大きな組織が起こせたため、ある時期、多くの奇術関係者が注目しました。その流れの中で大嶽さん(その時は百瀬さん)がやってきて、SAMの入会を希望されました。私は百瀬さんがアルコール中毒患者になって、一時期寸借詐欺などをして、表に顔を出せない人だったことを聞いていました。然し施設に入って病気を完治させて一から出直すためにあいさつに来たのです。

 その時に、私は20年近く前の百瀬さんを思い出し、この人に賭けてみようと思いました。私はすぐに支部長の資格を用意し、武蔵野支部の会長をお願いしました。百瀬さんはこの時のことをずっと感謝し、私が後輩であるにもかかわらず、ずっと「社長、社長」(私は東京イリュージョンの代表取締役です)、と言って、立ててくれました。

 相変わらずマジックの巧い人でしたが、あがり症で、舞台では能力の半分も発揮できません。然し、人から愛されていました。特に、お弟子の能勢裕里江さんがずっと付き従い、晩年、癌に侵されても裕里江さんが献身的に助けたため、不幸な人生に陥ることなくマジシャン人生を全うしました。幸せな人だったと思います。石井さん、辻井さんはその弟子の一人です。合掌。

 

 マジックランドを出ると、ランドの裏側は隅田川の支流、新川が流れています。橋を超えて、東に川沿いに歩いてゆくと、隅田川です。日頃川を見ることなどめったにないのですが、ランドの路地のすぐ裏側ですからしばし川を眺めて目的もなく散歩していると、滝廉太郎の「春の麗の墨田川」の曲が浮かんできました。

 春の麗(うらら)の隅田川、上り下りの舟人が、櫂の雫(かいのしずく)も花と散る、眺めを何に例うべき。

 明治の時代なら、たくさんの船が行き交っていたのです。川上で荷を積んで川下の東京に運ぶだけでその日の日当になったのです。そこに西洋のボートが通り、ボートの櫂が水しぶきを散らして進む姿が美しいと語っています。実際明治の隅田川はこのような情景で、美しかったのでしょう。日本はまだまだ貧しかったと思いますが、その国は、詩人が詩を書き、作曲家が曲を作ろうとするほど美しい国だったのです。

 平年なら、隅田川には屋形船がたくさん出て、中でキスやメゴチの天ぷらで一杯やりながら、みんなの笑い声が岸にまで届いていたでしょう。今は、そんな光景もなく、船もなく、人もいない情景を眺めながら、明治を思い、淡く、寂寥感が通り過ぎて行きました。

また明日。

春の麗らの墨田川

 昨日は、朝から、免許証の再発行に行ってきました。多分置き引きにあったのだと思いますが、銀行からお金を降ろし、駅前のスーパーで買い物をし、その日は雑用に追われ、翌日バッグを探したのですがありません。銀行のカードや、免許証が入っていましたので困りました。銀行で降ろした現金はジャケットの胸ポケットに入れていたので無事でした。財布には1万円しか入っていませんでした。不幸中の幸いです。

 かつても同じようなことがありました。どうも、私が銀行から出て来るときから追いかけている人がいたような気がします。とにかく、財布はあきらめて、まず免許証を取らなければなりません。東陽町の運転免許試験場に行き手続きをしました。

 せっかくここまで来たなら、マジックランドに顔を出してみようと、その後にランドに出かけました。ママさんと、聰さんが二人で店番をしています。東さんはもう店に来ることはほとんどないようです。とりとめのない話をして帰りましたが、この間一人もお客様がきません。コロナだからやむを得ないとは言いますが、これでは生きて行くことすらできないでしょう。

 マジックと言うコアな世界の、更にアマチュアを対象としたマジック用具の販売。と言う、コア中のコアな仕事がこの先も続けて行けるものかどうか。嫌々、マジックのアマチュアと言う存在もこの先どうなるか分かったものではありません。人のことは言えません、プロもどうなるか分かったものではないのです。アマチュアが全くいなくなると言うことはないにしても、それを対象として、アイディアを考える。道具を作る。などと言うことが仕事として成り立つかどうか。前途は多難だと思います。

 

 FISM(世界に支部を持つのマジック団体)が3年に一度、マジックの世界大会を開催していますが、来年がカナダです。70数年のFISMの歴史で初のアメリカ大陸での開催です。それがどうも中止になりそうな状況です。総勢2500人ものマジシャンが集まる大会が、仮に来春、ウイルスが終息したとしても、すぐに開催できるかどうかとなると。実際には難しいだろうと思います。

 特に、アメリカが今の現状では、アメリカの参加者を当て込んで人集めしているカナダにとっては自国の判断だけで開催するわけにはいかないのでしょう。FISMの本部は、この先、世界大会を開催することそのものに懸念を抱いている人もあるようです。これまでなら、大きな大会を開催することが、人をたくさん集める強力な力だったのですが、人を集めることが将来、安定してできるかどうか、リスクが一層大きくならないか。大きな大会そのものがネックになりつつあるようです。

 そのことは、他の大会も同様で、マジック界の問題だけでなく、国際会議、国際見本市等々、多くの人を集める催しがこの先は開催しずらくなってきています。

 私は以前、このブログで書きましたが、「この先は、原子爆弾やミサイルが人類を滅ぼすのではなく、ウイルスを撒くことで、簡単に一国の経済を混乱させることができる。ウイルスの開発は、原子爆弾の開発よりはるかに安価にできる。持ち運びも簡単。陸続きの国なら、ドローン1万機のウイルスを乗せて、隣国に飛ばして、撒き散らせば簡単に他国を制圧できる。低空でドローンを飛ばされたなら、レーダーにはかかりにくく、見つかっても、1万機すべてを打ち落とせるミサイルなんてありえない。」

 今回のコロナウイルスも、その兵器開発の一環ではないかとアメリカが、中国に言いがかりをつけています。今回のことは言いがかりかもしれませんが、この3年のうちに、ウイルス兵器を開発する国が出て来る可能性は十分にあります。

 東京は、来年にオリンピックを開催しようとしていますが、来年に再び新型のウイルスが流行れば、たちまちオリンピックは開催不可能になります。そうならないことを祈るばかりです。私が子供の頃に、「大きいことはいいことだ」。と言うコマーシャルが流行りました。大きな板チョコのコマーシャルでした。

 その時代は、会社でも、スーパーでも、「会社が大きくなれば物が安く作れる、安く販売ができる、そうなれば、消費者にとってもメリットが大きい。」と、大きなことがいいことずくめに語られていました。然し、50年たって、大きなことは最も危険なことになってしまったようです。

 そうした流れの中で我々は生きて行かなければなりません。

 

 さて、免許を取りに行った帰りの地下鉄で、何件も電話がきました。裕里江さんから、磯尾豊さんから、辻井孝明さんから、共にスピリット百瀬さんが亡くなったと言う連絡でした。百瀬さんは若いころは大嶽さんといい、私は高校生の頃、名古屋の大須演芸場に出演していて、夜にマジックバーのエルムに遊びに行ったときに、24歳くらいの大嶽さんのマジックを見ています。とてもうまい人でした。しかしその後お会いする機会はありませんでした。

 私がSAMの日本曲を作った時に、日本中のプロアマチュアに声をかけ、手紙を出し、700人の会員を3か月で集めました。年会費1万円です。、余りに簡単に大きな組織が起こせたため、ある時期、多くのアマチュアが一斉にSAMに集まってきて、大きな流れが生まれました。その流れの中で大嶽さん(その時は百瀬さん)がやってきて、SAMの入会を希望されました。私は百瀬さんがアルコール中毒患者になって、一時期寸借詐欺などをして、表に出られない穂とだったことを聞いていました。然し施設に入ってしっかり病気を治し、一から出直したいとあいさつに来たのです。

 その時に、私は20年近く前の百瀬さんを思い出し、この人にかけてみようと思いました。私はすぐに支部長の資格を用意し、武蔵野支部の会長をお願いしました。百瀬さんはその時のことをずっと感謝し、私に対しては、個配であるにもかかわらず、ずっと「社長、社長」と言って、立ててくれました。

 相変わらずマジックの巧い人でしたが、あがり症で、舞台では能力の半分も発揮できません。然し人から愛されていました。特に、お弟子の能勢裕里江さんがずっと付き従い、晩年癌に侵されても献身的に助けたため、不幸な人生に陥ることなく全うしました。幸せな人だったと思います。石井さん、辻井さんはその弟子の一人です。合掌。

 

 マジックランドを出ると、ランドの裏側は墨田川の支流、新川が流れています。日頃川を見ることなどめったにないのですが、ランドの路地のすぐ裏側ですからしばし川を眺めていると、滝廉太郎の「春の麗の墨田川」の曲が浮かんできました。

 春の麗(うらら)の墨田川、上り下りの舟人が、櫂の雫(かいのしずく)も花と散る、眺めを何に例うべき。

 明治の時代なら、たくさんの船が行きかっていたのです。川上で荷を積んで川下の東京に運ぶだけでその日の日当になったのです。そこに西洋のボートが通り、ボートの櫂が水しぶきを散らして進む姿が美しいと語っています。実際明治の墨田川はこのような情景で、美しかったのでしょう。日本はまだまだ貧しかったと思いますが、その国は、詩人が詩を書き、作曲家が曲を作ろうとするほど美しい国だったのです。

 平年なら、屋形船がたくさん出て、中でキスの天ぷらで一杯やりながら、みんなの笑い声まで聞こえたでしょう。そんな光景もなく、船もなく、人もいない情景を眺めながら、明治を思い、寂寥感が残りました。

また明日。

伝えることの難しさ

 昨晩の東京は、雨が降り続き、雷のすさまじい音が深夜までずっと鳴り渡っていました。どうも妖しい雰囲気です。これは何かあるな、と思わせるような状況です。相変わらず朝から」私のブログは、大勢の人がひっきりなく覗きに来ています。私が何か書くことを期待してくださっているのでしょうか。

 

 今日は、なぜ私が大地震について、心の内を告白したのかについてお話ししましょう。既に今までの文章をお読みになれば、私が、予言者になりたいなどと望んでいないこと。予知能力があって、それを生かして生きて行きたいなどと考えてもいないこと。むしろそれをずっと秘して生きてきたことはお分かりいただいていると思います。

 こうして書いていても、地震のことを伝えてしまったことがいいことなのかどうか、計りかねています。なぜと問われるまでもありません。当たりはずれの世界に身を置くのが嫌だからです。外れたならインチキ扱いですし、当たったなら当たったで、地震の対策に追われる日々になり、今まで以上に舞台活動は遠のいて行きそうです。

 ただ、私はほかの生き方はしたくありません。手妻を皆さんに見ていただくことで生きて行ければ幸せなのです。予言者や呪い師の道などは少しも有難くはなのです。

 私は手妻師なのです。手妻と言う世界を多くの皆様に知らしめて、この良き芸能を後世に伝えて行くことが私の仕事です。そのことに関して、支持者も少なからずいます。コロナウイルスの問題さえなければ、私が残りの人生を手妻師として全うして行くくらいは何ら心配なかったのです。

 

 間違いの始まりはコロナウイルスです。非常事態宣言以降が舞台人の生活の全てを奪っています。私は結局、2月以降、今日まで全く無収入です。一本の舞台チャンスもありません。幸いにもこれまでの蓄えと、国立劇場正門前の水芸の公演のキャンセル料が入ったお陰で、何とか生命をつないではいます。他の中止した公演に関しては、一切のキャンセル料もいただいておりません。更には、この先今年いっぱいの舞台出演の依頼が全く途絶えています。

 これをお読みの公務員の方がいたなら、お尋ねします。あなたがもし、2月から12月まで無収入だったら、どうやって生きて行きますか。10か月以上も無収入の生活を強いられて、「コロナウイルスが収まるまでのあいだ、じっと自粛をすることだ。」と要求されて、納得できますか。国や都は、何の資格があって、舞台人をそこまで追い詰めるのですか。

 この問題は私個人だけの問題ではありません。私がこんな状態なら、他のマジシャンや、俳優、音楽家も全く同じ状態です。

 自粛とはそもそも、自分の意志で活動を休むことです。今の状況は、第三者が自粛と言う名のもとに、活動休止を強制しています。こんな世界で生きて行けるのは、公務員か、医者だけでしょう。コロナウイルスが、無事消滅したとして、日本列島に残っている日本人が、公務員と医者だけになれば、税金を払える市民は激減します。公務員はどこから公務員の給料を得るのでしょう。コロナウイルスと同時に、患者の職業を奪っておいて、医者は誰を診ることで生きて行くのでしょう。

 明らかに今の政策は誤謬の行き着く先なのです。医師団にすれば、日本人を外に出さず、働かせず、子供を学校に行かせず、酒も飲ませず、野外バーべキューもさせなければ、新規の患者数は減るでしょう。然しそれは机上理論です。人は働かなければ生きては行けないのです。

 マスコミに出ている医者は言います。「しばらくの我慢だ」と。さぁ、この人は一体しばらくをいつまでと考えて言っているのですか。年内仕事がない現実で、どうして生きて行けますか。「国や、地方公共団体から金を借りたらいい。」そうです。200万や300万程度なら貸してもくれるでしょう。然しそうして得た金は、結局休職中に売り食いして使ってしまう金です。返す当てのない借金をして、このあとどうやって返済して生きて行けますか。まるで国は、プータローの倅が、親にたかって小遣いをもらって生きていくような生活を奨励しているのと同じです。それも、来年になったら面白いように仕事の依頼がかかって来るなら返済もできるでしょう。そうなると誰が言えますか。今年がこんな状況なら、来年も再来年も大不況になるのは目に見えているではありませんか。それで借金して、今を生きて行こうと考えている人がいるなら。芸人以上に能天気な人です。私の親父でさえ、生きていたならそんな金は借りないでしょう。

 

 今の状況を考えたなら、仕事が2019年の活動にまで復元するのは10年はかかるでしょう。しかし、私ごとで失礼しますが、私はいま65歳です。これから借金をして10年不景気に耐えろと言われて、「はい、そうします」。とは言えません。10年たったら、私はもう引退の年です。舞台人の中には80,90まで舞台に立つ人もいますが、それはそれで立派なことですが、私の判断としたら、正直いってそれは抜け殻のような人生です。75を過ぎれば芸の力は急激に落ちて行きます。落ちた力で、大きな借金をして、どうやって生きて行けますか。多くの仲間の芸人のことを思うにつけ、このままでは間違いなく芸能は破局を迎えます。

 

 私は、以前から、スゥエーデンのように、ロックダウンもせず、感染者が免疫力を持つことでコロナウイルスに対抗してゆくことが一番の解決策だと考えています。実は、これをあえてスゥエーデン方式と呼ぶのはおかしなことで、昔から日本ではこのスタイルでウイルスに対抗してきたのです。ただしこのやり方ではリスクが大きく、患者を増やしてしまうため、ロックダウンのような極端の方法で感染をとめることの方を政治家は支持します。然し、結果として、スゥエーデンの方式以外、人々の生活と、ウイルス対策を両立させる方式は見当たらないと思います。

 コロナウイルスを止めると言う目的だけを見たなら、ロックダウンや非常事態宣言は有効でしょう。然しそれでは人の生活が成り立ちません。あくまで国は、人の生活を守りつつ、病気や災害の対策を立てなければならないはずです。今のやり方では国が衰亡してゆきます。それがベストの方法であるわけはないのです。みんながみんなウイルス対策に踊らされています。誤謬の果てに来るものは大不況であり、国の衰退なのです。

 

 私は、非常事態宣言が出されたときに、こんなことをしていてはいけないと思いました。本当に怖いのは、ウイルスではなくて、国の衰退です。しかも国民みんなが今の国のやり方を支持しています。全く一つの考え方にみんなが突き進んでいます。海に飛び込んでいく小動物の群れの行進を見るごとくです。危ないからよせ。と言っても誰も後戻りできません。私は、コロナが出始めた時から、もう一つ、背後に大きな災難が来ることを何となく感じていました。

「このまま連日、テレビがコロナの感染者の数を数えているうちはまだ幸せな世界で、この先、もっと大きな問題が来るのではないか」。と思っていました。それが何であるか初めは皆目わかりませんでした。然し、先月末に見た夢でわかりました。さて、それを皆さんに伝えるべきかどうか、悩みました。今も実は悩んでいます。但しもう語ってしまったことですからどうにもなりません。この先は、次に来る大きな問題を何とか小さな災害で治めることです。震源地が少しでも東京からそれて、太平洋のかなたで動き出したなら、不幸中の幸いです。後は個人がしっかり身を守ることです。

また明日お知らせします。

落ち着いて対処

 実は、昨晩から私のブログが、更新していないにもかかわらず、200人を超えていました。私が大地震が近いのではと書いたことから、結果として不安をあおってしまっているのでしょう。しかも私は、4日の地震が大地震の前触れなら、二日後にもう一回地震が来ると書きました。すると今日の深夜(6日の深夜一時過ぎ)に地震がきました。これが私の言ったことと同じだと理解されたのでしょう。

 ここまでの話はその通りです。そうなら、私が寝付かれなかった日から数えて14日後。つまり8日か9日に地震が来る可能性はあるでしょうか。あるのかどうか、私にははっきりとはわかりません。但し、東日本大震災の時と、熊本地震の時に同様な体験をしたことは事実なのです。ならば今回もそうなるかと言えば、それはわかりません。

 初めに書いた通り、私は自分は運の強い男だと思っています。そしてこれまでも何度か予知を感じ、当てています。然し今までそのことを人に話してはいません。当たらないときもあったからです。これまで私は、当たる当たらないと言う話は次元の低い話だと思っていましたから、今まで自慢もしたことはありません。そしてこの10日前のことです。夢に人が現れます。どうも関東に災害が起きそうな気配です。それを皆さんに伝えるべきか、否か、迷いました。そして意を決してブログに書きました。

 ここでひとまず落ち着いてお考え下さい。

 

 まず私の書いていることに根拠はありません。手妻師の夢見をそれほど本気で信じないでください。話は、「そんな考え方もあるのか」。と言う程度にお読みください。

 次に、地震の予知を日にちを限って当てることなど実際には不可能なのです。大地の下がどうなっているのか、私は知らないのですから。家の前を通るバスでさえ時間通りには来ないのですから、ましてやマグマの都合などわかりません。マグマが予定通り動くのか、全く動かないのか、わずかな自然の都合で、地震が一か月も二か月も遅れる可能性だってあるはずです。そうしたタイムラグがあることをお話しした上で、私の経験から申し上げますと、これまでは、おかしな夢を見てから二週間(14日)後に地震が起こりました。

 今回の場合は、5月、8日か9日です。8日9日は要注意ということになります。それが無事であっても、その後の3日から1か月くらいはタイムラグがあるでしょう。但し、私の場合はそんな先々まで話を引っ張るつもりはありません。5月12日を過ぎて何もなければ私の話はデマだと考えてください。

 

 ここで言う注意とは何かをお話ししましょう。

 地震で怖いのは、地震そのものではありません。家屋の倒壊と火事です。家が倒れて、下敷きになり、そこから抜け出せないと言うことは以前の中国や、インドネシアなどの地震の様子から度々見た光景です。日本でも、地方都市の古い商店や、家屋でこうした倒壊をよく見ます。古い家屋で、耐震補強のない家にお住まいの方は要注意です。この場合は二階で寝るなど工夫が必要です。がけ崩れも要注意です。

 東京で一番怖いのは火事です。東京中で火事が起これば、まず私の家の近所に救急車や消防車が救助に来てくれる可能性はほぼないと考えなければいけません。そこで、最低限、水と、消火器はすぐ近くに置いておいてください。咄嗟のバケツの水は助かります。ご近所の火事にも、バケツの水と、消火器は役に立ちます。地震が来たなら、水道、ガス、電気は止まってしまいますから、あらかじめ備えておいた物だけが頼りになります。地震が来て、ぐらっと揺れて、ひとまず収まったなら、外に出て、周囲の家を見ることです。近所の窓ガラスの中から炎が上がっていたなら、とにかく周囲に声をかけて、火を消すことです。

 10年前に私の裏のアパートから火事がありました。女房が帰宅の時に、裏のアパートの窓から赤い炎が見えたので、慌てて私に伝えました。私はすぐに近くの消防署に走って様子を伝え、戻ってから消火器でアパートの中の火を消そうとしました。消火器を放出する場所がないため、郵便物を差し込む口から消火器のホースを入れ、郵便物の穴から中を見ながら見当を定め、火に向かって泡を吹き付けました。

 幸い、初手の活動で火は弱まりましたが、どうやら布団での寝煙草が原因のようで、火のついた煙草と布団を一緒に押し入れにしまったため、私が一度消火しても火はくすぶり続け、数分後に再度炎が上がりました。その時には消防車が到着し、消防士がドアをけ破って、室内に入り、押し入れあたりを十分にホースで水をかけ消火しました。アパート一部屋の火事でさえ、簡単に火を消すことは至難です。

 外出の際に、ビルの倒壊の被害にあう可能性もあります。高速道路の橋脚が倒れた被害が、阪神淡路地震で起こりました。東京にそれがないとは言えません。幸いコロナウイルスで外出する人はわずかですから、実際に災害が起こっても大きな被害にはならないかもしれません。阪神淡路以降に、橋脚の補強もかなりやったようですから、大丈夫とは思います。それでも要注意です。

 飲食店の雑居ビルのような、狭小なビルの上層階などに行くときは要注意です。非常階段などを調べておくとよいでしょう。同時に、狭小なビルで飲食店を経営している方は、速やかに非常階段をチェックしておいたほうが良いと思います。日ごろ使わない非常階段のドアがさびて、開かないこともありますし、非常階段が倉庫に使われていたりして、通行できないことなどありますので、要注意です。

 

 どんな場合でも落ち着いて対処してください。私は人を不安に陥れようとして情報をお伝えしているわけではありません。できることなら、これを機会に災害から自分や家族を守る意味で、この機会を役立てて下さったらよろしいのです。

 仲間や家族同士が助け合うための口コミなら結構ですが、いたずらに不安をあおるようなメールやら、デマを流さないでください。どうしたらみんながうまく生きて行けるか、それを柱として考えて行動してください。

 また災害の時には、家族や、近所の人と話をする時際に、なるべく丁寧な言葉を使って話してください。危険が迫っているときは相手も殺気立っています。言葉は相手の気持ちを和らげるのに役立ちます。言葉一つでその場が全く違った世界になります。互いが敬語を使って消火に当たるなんて、素晴らしい社会だと思いませんか。

 また何かあったらお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大災害か死亡予告か

 さて、私がこの10日間、なかなか寝付かれず、寝たとしても夢に出てくる話が何とも不可解なのです。こういう時は、大災害の前触れか、私に縁のある人の死亡予告か、どちらかの場合が多いのですが、それをを書くべきか、秘するべきか、ずっと悩んでいたました。その理由は、夢からまだ明確な知らせが来ていないからです。

 然し、10日前からなかなか寝付かれないと言うのは事実です。何やら大きな災害が来そうです。然し、夢に現れる人は、寝るたびに少なくとも3人が日替わりで出てきます。大災害が起こる可能性は十分にあります。然し、災害なのか、死亡予告なのか判然としません。死亡予告であるなら、誰が亡くなるのか。それが特定できません。

 こうして不確定なまま、何かを言うことは明らかに間違っています。

 

 ここでは死亡予告は語らないようにします。明日、明後日にもっと明確な夢を見たとしてもあえて伏せるようにします。

 地震の予知ですが、これは私の心の中ではかなりはっきりしています。但し、初めに申し上げておきますが、あまりむきにならないでください。そんな考え方もあるのか、と思う程度にとどめておいてください。この手の話は、拡散するととんでもない方向に進みます。コロナウイルスと同じです。

 多くの医者は、単なる風邪のウイルスだと言っているのに、テレビ局が煽って、会社は休む、飲食店は休業する、学校は休む、国が傾き、この先日本が再起できるかどうかまでも危ぶまれるほどに大騒ぎに発展しています。ばかばかしい話です。

 然し、ここで大震災が起きたらどうなるでしょう。そうなれば、コロナウイルスなど吹っ飛んでしまいます。ウイルスの接触だの、マスクだのと言っている場合ではありません。災害者の救済や、火事、津波の対策、食料支援、医療支援。みんなが必死になって、災害救助に当たらなければいけません。とんでもない激変の生活を強いられます。

 

 その災害がどの地域に来るかと言う話ですが、私は関東だと思います。いつ来るかと言うと、昨晩(5月4日)、小さな地震(震度4)が千葉で起こりましたが、もし、これが大地震の先触れだとしたなら、二日後か三日後に、昨晩よりももう少し大きな地震(震度5か6)が来ると思います。大震災は必ず先触れとしてかなり大きな地震が来る場合が多いようです。

 仮に二日後に、中程度の地震が来たなら、それは決して安心できません。さらに二日後、大地震が来る可能性があります。かつての熊本地震が、震度7以上の地震が二日置いて二度来ました。あれと同じようなことが起こる可能性があります。但し、昨晩の地震が先触れの地震であったならです。いずれにしろ、この数日に何か起きる可能性があります。勿論、何も起こらなければそれに越したことはありません。ここに書いたことはあくまで私が夢で感じたことですので、根拠などはないのです。あまり本気になさらないで、むしろ防災の対応に役立ててください。

 東海地震や、南海トラフが来ないかと言うと、それも何とも言えません。少なくとも私の夢に現れた人は東京の人です。中部、四国の人ではありません。もっともっと私の霊感が鋭ければ、はっきりしたことが言えるのですが、私の才能は非力です。

 

 そうした事態になった時にどうしたらいいか。まず言えることは、かつての大正12年関東大震災と今とでは建物の作りが違います。個々の家で火事になることはあっても、大火につながることは少ないと思います。それでも、このブログをお読みの関東在住の皆さんは、火事にお気をつけてください。常に身の回りに消火器をご用意ください。それと咄嗟のこととして、バケツに水を張って、家の前に置いておくようにしてください。バケツは小さなもののほうが、水をかけやすいので、出来れば小さなバケツを複数。水を張って、用意してください。これは自分の家の火事の心配もありますが、隣近所から失火した時の備えになります。

 家の中には、ポリタンクなどで飲み水を確保しておいてください。私は25リッターのポリタンクを2つ用意しました。他にミネラルウォータも用意しました。ミニボンベのコンロも重要です。食料も当座一週間分は必要です。医薬品も必要です。

 火事などがあった時に持ち出せるように、通帳や、現金、印鑑、各種カードもまとめておいてください。

 

  私はこのブログで、コロナウイルスなんて大したウイルスじゃぁないと散々書きました。こんなことで国の体力を消耗するのはばかげています。本当に気を付けなければならないのは大地震です。テレビは連日、学者や、医者を集めて、コロナウイルスの感染者の数と死者の数を語るだけの番組を流しています。それも、どの局も同じことを繰り返しています。意味のないことです。

 今テレビ局がしなければならないことは、大地震が来た時に何をどうするかを伝えることなのです。大地震が関東を直撃すれば、死者の数はコロナウイルスの比ではありません。この先、日本は復興に10年はかかるでしょう。無論オリンピックなど不可能です。今は、世界中がコロナウイルスで疲弊している時です。日本が震災被害にあったとしても、海外支援は満足に得られないと考えなければいけません。厳しい状況です。

 今、大震災が来れば、日本は計り知れないダメージを受けます。それは日本一国のことに限りません。日本がダメになれば、世界の経済が傾くかもしれません。もう2019年までの世界の繁栄は、永久に戻らないかもしれません。然し、世界の経済が小さくなっても、どんな災害が来ても、自分と自分の家族、そして周辺の住人が団結して生きて行けば何とか急場はしのげると思います。まぁ、そうする以外に解決の道はないのです。

 国や地方自治体があまり信用できないことは、今回のコロナウイルスでよくわかったと思います。都市を無人にすると言いながら、依然として、山手線、中央線。京浜東北線は走らせています。それで感染は防げません。非常事態宣言を引き延ばしても同じ結果です。どんどん人が生活して行けなくなるだけのことです。家から出るな、仕事をするな、遊びに行くなと言うのは、机上理論であって、月給をしっかり貰っている人の寝言です。一つ百円の焼き鳥を焼いて生活している人に取っては、焼き鳥を焼かなければ生きては行けないのです。国も、都も、決して助けてはくれないのです。

 悪い条件は山ほどありますが、落ち込んでいてもどうにもなりません。しっかり前を向いて生きて行きましょう。しばらくは連日、私のブログをチェックしてください。新しい情報が入ったらお知らせします。

 

続く

第六感

 昨日は、私がくじを当てるのがうまいだの、景品を良く貰うだの、どうでもいいような話を書きました。確かに、商店街の福引で、味噌を貰った、しょうゆを貰ったなどと言う話は、大した話ではありません。別段人に言うことではないのです。

 人の将来が何となく読める。と言う話も、私自身、これまで誰にも公表しませんので、大した結果に至っていません。

 私に予知能力はあるかどうか、これは微妙だと思います。当たる当たらなにばらつきがあります。でも、私自身は思い当たる節が多々あるのです。大きな地震や事件が来るときに、その半月前くらいから必ず睡眠不足の日が続きます。

 私は不眠症と言うほどのことはありませんので、眠れないと言う日があれば、それ自体おかしなことだと感じます。不眠が続いた後、結局寝るのですが、その夢の中に、地震の地域に関連した人のことが良く出て来ます。熊本地震の時には、九奇連の初代会長の原田栄次(故人)さんが、度々夢に出て来ました。当時90に近くなり、ずっと病院で暮らしていました。私は随分お世話になった人でした。然し、当人が病院に入ってしまったこともあり、縁遠くなり、その後の音信はなかったのです。

 それがなぜか地震の10日前くらいから原田さんが夢に出て来て、昔話をしたがります。縁の深い人でしたから、そんなこともあって当然かと思っていました。

 然し、少し心配になり、手紙を書きました。原田氏との文通は40年に及んでいます。

 舞台のこと、SAMのこと、家族のこと、弟子のこと。私にとっては抱えきれないような問題の話を全て原田さんに手紙で相談していました。実は原田さんには私と同じ年の長男さんがいらっしゃいます。今は、息子さんが原田さんの会社(紙問屋)を継いでいらっしゃいます。原田さんはまるで私を、息子を見るような気持ちで接してくださいます。然し、病気のこともあり、原田さんから返事が来るとは考えてはいませんでした。そして数日後、地震が起こりました。私はご子息に電話をしました。会社の倉庫の紙は散乱し、かたづけるだけでも半月はかかると言っていました。そこで、すぐに手紙を書きました。そこに、原田さんの会社へのお見舞い金と、原田さん個人へのお見舞い金を添えて送りました。

 すると原田さんから返事が来たのです。文字は、昔の達筆なものではなく、よれよれな年寄りの文字でした。内容は、いたって心配することではなく、病院にいて無事だと言うことでした。ただ、その手紙の中に、私が、九奇連を起こした功労者であるとか、SAMを起こした功績のねぎらいの言葉等がびっしり書かれていました。

 文末に、「あなたは奇術界からもっともっと表彰されていい人だ。いや、奇術界だけでなく、国からも表彰されるべき人だ。私も及ばずながらあなたを支援したい。ついては300万円でも、500万円でも、差し上げたい。その金で、大きな肖像画を書いてもらい、家の壁に飾ってほしい。これが私の願いです。」

と書かれていました。私は感謝の手紙を書きました。話はそれで終わったのですが、翌年になって、息子さんから電話がきました。「父があなたに300万円渡すと言う約束をしましたか」と、言います。私は驚きつつも、「えぇ、手紙にはそんなことが書かれていましたが、原田さんもお歳でしょうから、私も本気にはしていません。」と答えると、「ベッドの上で、毎日私にその話をしますので、私の方で300万円用意しました。熊本まで取りに来てくれますか」。と言うのです。無論依存はありません。原田さんと会えることも幸いですし、息子さんに合えることも久しぶりです。

 と言うわけで、すぐさま飛行機に乗って熊本に行きました。息子さんが飛行場で待ってくださっていました。会社を休んで、半日私に付き合ってくれました。食事の後、水前寺公園に近い、病院に行きました。原田さんはもっとやつれているかと思いましたが。意外なほど元気でした。もう90を過ぎています。

 そこで一時間、昔の話をしました。日当たりのいい病室で、のどかなひと時でした。そのまま飛行場に行き、息子さんから300万円を頂きました。今まで奇術の世界でこんな形で私の活動を評価して貰ったのは初めてです。支援金はずいぶん助かりました。

 

 初めに、夢に原田さんが現れて、その後に地震があった時は、地震の予知かと思いました。しかしそうではなく、原田さんと最後の再開をすることだったのです。しかも原田さんから支援金を頂きました。この支援金を、くじだの、ギャンブルに当たった話と一緒にすることはできませんが、確実に熊本からメッセージがあったことは事実です。

そうなら、私に予知能力があるのかもしれません。

 

 話は前後しますが、東日本大震災の時も、10日くらい前からなかなか寝付かれず、寝ると、祖母が現れました。夢に出て来る祖母は亡くなる少し前の姿で、布団に寝ながら、大正12年関東大震災の時の話をします。当時祖母は祖父と結婚してすぐで、宮城県の塩釜にいました。親戚が阿部の笹かまぼこだと言う話は前から聞いていました。

 祖父は地元でブリキ職人をしていました。関東大震災の後、東京が復興景気だと言うので、祖父は東京に出稼ぎに出ます。その間に長男(私の親父)が生まれます。

それから待てど暮らせど、祖父からは手紙も来なければ、帰っても来ません。仕方なく祖母は、阿部の笹かまぼこの家に相談に行きます。そして、阿部から10円の金を貰い、汽車に乗って、生まれたばかりの長男を抱いて東京に行きます。祖父が借りていた世田谷の下宿に行くと、祖父は、連日面白いように金が入りますので、仲間と博打をして、酒を飲んでひっくり返っていました。

 それから祖父母の東京の生活が始まるのですが、話はここまでです。祖母は、塩釜から仙台に出て、阿部の家に寄って10円貰い、東京に出る話を、亡くなる前に何度も何度も私に話しました。祖母にすれば一生忘れられない話だったのでしょう。

 そしてその話をすると決まって、針箱の小引出しの中から、10円玉を5,6枚取り出して、真顔で、「取っておきな、お金はいくらあっても困るもんじゃぁないからね。」と言って、10円五枚を私に渡して呉れます。大正時代の10円金貨なら、一枚何十万円もしますから有難いのですが、呉れる10円はいつもの茶色い10円です。私は50円貰って、どういう表情をしていいか、困ってしまいました。祖母は貨幣の価値だけは大正13年のままなようです。

 

 然し、なぜ、この時、眠れない日が続き、しかもそこに祖母が出て来て、10円を握りしめて東京に出てきた話が繰り返し夢に出て来るのかがわかりません。私と阿部の笹かまぼことはその後全く縁がなく、従って、仙台駅前の店も、塩釜の家も行ったことはありません。全く無縁の話なのです。「おかしなこともあるものだなぁ」と思っていました。それから10日後、東日本大震災がありました。塩釜の町に津波が押し寄せてくるのもテレビで見ました。私が行ったことのない、祖父母の住んでいた家も、全く確かめることないまま波が呑み込んで行きました。

 この災害を祖母は伝えたかったのだろうか。だとしたら、なぜ私に伝えたのか、私はこんな時に何をしたらいいのか。自問自答しました。その後、月並みな義援金と、支援活動はしました。然しそれ以上自分のなすべきことが見当たりません。

 こんな時に、私は、熊本や、東北の人に、「災害がやって来る」と、伝えるべきでしょうか。仮に伝えたとして、何かの役に立つでしょうか。もし役に立つとするなら、実は、今、私は寝付かれない日々を送っています。そのことをいうべきかどうか、ずっと半月も前から悩んでいました。そのことを書いてみようかと思います。

その話はまた明日。

私は運が強い

 以前、ブログで、「私は運が強い」と書いたのですが、読者から、「本当か」。「どの程度運が強いのか」。と、尋ねられました。私はこれまでも自分は運が強いほうだと実感していますが、決してそれを自慢したりはしません。なぜかと言えば、当たる当たると言っても、成功率は三割あるかないかですから。外れるときのほうが多いのです。但し、世間で三割の成功率は相当に高いようです。そうであるなら私は、結構運が強いのか、と得心しているわけです。これまでも、大小様々に当たりを経験しています。

 何気に引いたくじが、二等、三等、二等、三等と当たりまくったり、(ちなみにそのくじに二等も三等も二枚づつしか入っていなかったらしいのです。)

 レストランで食事した帰りに引いたくじで一等の高級ワインの詰め合わせ二本が当たったり、当たったのはいいのですが、その後に仲間と飲みに行くときに、重いワインを抱えて、あっちの店、こっちの店に行き、くたびれました。

 ラスベガスでスロットをやって、1000ドル当てました。ロシアの飛行場でも小銭でスロットをしているうちに大当たりして、500ドル近くを当てました。ロシア人が大勢集まって大盛り上がりでした。

 新幹線で盛岡駅に着いたときに、金を鳴らしながら駅長がやってきて、「はいあなたが新幹線盛岡駅利用者10万人目です」。と言われて、持ちきれないほど、盛岡の銘菓を貰い、「いえ、いいんです。荷物がありますから、こんなにお菓子はいりません」。と断っても、「いえ、貰ってもらわないと困ります」。と無理無理押し付けられて、煎餅やら、クッキーやら、漬物やら、背負いきれないほど記念品を貰って、両手には、マジックの道具の入ったスーツケースを持って、身動きできないほどの荷物を抱えてショウの楽屋に入ったり、

 自分自身が望むと望まないとにかかわらず、やたらとくじを引き当てます。無論、当たらないときもあります。自分なりに、どうしたときに運が強くて、どんな時に運が弱いのかを考えたことがあります。そして自分で出した答えを以下に記します。ご参考になれば幸いです。

 

 一つは、無意識にくじを引く。あまり当て込んでくじを引こうとすると、周囲の気持ちなど、余計なことを考えてしまって、うまく行きません。雑念を払いのけてくじを引くと確率は少し上がるようです。しかしこれではあたるも八卦、当たらぬも八卦です。もう少し確立を上げる方法があります。

 

 二つ目、当てようと強く思うことです。但し、当てて儲けてやろうとか、儲かったなら何かを買おう。などと先に欲を張らないことです。純粋に、当ててやろうと強く念じてくじを引きます。この時当たらなかったらどうしようとか、今日の自分は付いているだろうかとか、自分を疑ったり、迷ったりしないことです。純粋に当ててやろうと念じてくじを引きます。これで一つ目よりもかなり確率が上がります。

 

 三つめは、輝きを見つけることです。箱の中にたくさんくじが入っていたりして、同じくじに見えても、その中から何か感じるもの、何か輝いているもの、そこを選んで引いてみます。光輝いて見えると言うことは何かメッセージを自分に送ってきていることですから、まずはそれを信じてみることです。これが案外当たります。

 例えば三角くじのように、あらかじめ数あるくじの中に当たりが隠されているものなら、箱の中を真剣に眺めて、光り輝くものを探して取れば、かなりの確率で当たります。同様に、例えばパチンコの台とか。ラスベガスのスロットマシーンなどは、出る台はお客様が店に入る前から決まっていますから、出る台の情報を知っていれば当たります。(但し、これは光でも、輝きでもなく、店の癖とか、全体の台の流れなどの情報を調べるわけですから、毎日パチンコ屋さんに出入りしている人から情報を聞いたほうが運よりもずっと確かです)。

 宝くじは、並んでいる宝くじを、いくら眺めていても無駄です。宝くじと言うのは、我々がくじを買った後で抽選をするわけですから、店頭に並んでいる時点では当たりはずれの予測はできません。我々は全く当たってもいない紙切れを買っているのです。いくら第六感を働かせたところで当たりは見えません。こんな時は、その日の体調がいいとか、人生が何となくいい流れに来ている。などと言う時に、自分を信じて買ってみるのがいいようです。

 

 四つ目は、神に祈らないことです。こんなことで手を合わせて神様に祈ってはいけません。全く自分の欲のために神様を使うのは間違っています。神様と言うのは、純粋に崇めるもので、自分の欲のためにこき使うものではないのです。だから、私は、神社に行っても、お寺に行っても、手は合わせますが、願い事はしません。神仏に個人的な願い事は失礼です。ギャンブルなどと言うのは全く自分事です。あくまで自分の目で判断して引かなければだめです。運の良し悪しは自分自身にあるのです。神に頼るのではなく、自分を信じるのです。

 

 五つ目は、純粋に楽しむことです。くじだの、宝くじだの、或いは競馬にしろ、パチンコにしろ、それそのものを楽しみと考えなければやっても面白いものではありません。本当に儲けたければ、ちゃんと仕事をすることです。自分の仕事で稼いだときはとても充実します。運に任せてギャンブルをするなら、自分自身が楽しむ余裕が必要です。くじを引く場合は、引くときから、めくるときまで、その過程を楽しむことです。自分の心を高揚させて、遊びに乗ることです。この遊びに乗ると言う気持ちが重要です。運の強い人は、信じて乗ることががうまい人だと思います。外れようと何だろうと、乗って楽しむ。これが大事です。当たりはずれは楽しみの更に先の話です。

 

 と、そんなことを考えて、くじを引いたり宝くじを買ったりしています。そうすると、不思議なことに人よりも当たりの回数は多くなります。これは私に限ったことではないのかもしれません。もし、私が上に書いたことと同じことをあなたも実践してみたなら、自然に当たりの確率は高まるかもしれません。但し、過信は禁物です。私は人より当たる確率は高いほうだとは思っていますが、それを才能とは信じてはいません。たまたま今日までがよかっただけなのかもしれません。ゆえに当たりを自慢しません。運の良し悪しには根拠がないからです。

 

 それと、人の将来が見えると言うことも付け加えて書いておきます。たまたま会った人が、生彩がなかったり、寿命がなさそうだったりと感じることがあります。然し、私はそのことを決して相手には言いません。言ったところでどうしようもないからです。何か病気を持っていそうだ、などと思っても、私がアドバイスをしたところで、その人が日常生活を改めたりはしないものです。だから何も言いません。

 もし私が、もっともっと感が鋭く、偉大な人物の寿命を言い当てたりできるなら、私はそれを仕事にできるでしょうが、私に与えられた才能は小さく、狭い世界の当てものに過ぎません。根拠もあいまいです。そうなら、私の第六感は大した才能ではないのです。それ故に人には自慢しません。ただ感じるままに理解して、自分の心にしまっておくだけです。但しよく当たることは事実です。