手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

クルスク攻略

クルスク攻略

 

 ウクライナ軍は、NATO軍からの武器が順調に集まってくるようになって、戦略的にもゆとりが出て来たのか、このところ、ロシア領であるクルスクに侵攻を始めました。ロシアがウクライナ侵攻を始めて900日。全く立場が入れ替わっています。

 クルスクと言うのは、ウクライナとロシアが国境を接している。ウクライナから見て東側の、北に位置する地域で、なぜウクライナがクルスクを攻撃したのかはわかりませんが、ロシアにとっては予想外の行動だったらしく、不意を突かれて、ウクライナ軍に攻め取られ、東京の23区の二倍ほどに地域を数日で占領されたそうです。

 これまでの戦いが、ロシアに占領されたウクライナの地域内での戦いだったのに対して、今回の戦いはロシア領であることが大きな違いで、ウクライナが一歩踏み込んで戦いを始めたことになります。

 実際のクルスクでの戦いは、全くロシアの不意を突いて侵攻した結果、ロシア兵は一方的に負け続けているそうです。

 とは言え、これまで占領された地域は、依然としてロシア軍が粘り強く守っていて、一進一退を繰り返しています。陣地を構えて守りに徹すると、ロシアは強いようです。一部の陣地に大被害を与えても、ロシア軍はすぐに兵を補充して、依然として陣地を守り続けています。全く退却する気配がないのです。

 

 話を戻して、クルスクと言う地域は、広い平原の続く地域で、かつて、第二次世界大戦のときには、ドイツとソ連の戦車軍団が、真っ向からぶつかり合い、歴史に残る戦車戦を繰り広げたところです。

 第二次世界大戦当初、ドイツ軍は、ソ連を侵攻する際に、どこを集中的に攻めるかで内部の意見が割れました。戦車など大きな武器を運ぶには船を使うことが一番効率の良い手段で、港のあるレニングラード(今のサンクト、ペテルブルグ)を攻めて、港から戦車を送り込み、一気にレニングラードを攻め取るのが最も手っ取り早い。という案が第一案。

 然し、ヒトラーは、ポーランドから大戦車軍団を送り込み、陸路を通って、内陸からモスクワの正面を攻めて、ソ連政府を屈服させて、早くにソ連との戦いに決着を付けたいと考えていました。これが第二案。

 これは初戦でフランスに対して行った戦法で、パリを陥落させて、占領したときの感激が忘れられず、モスクワでも同じ方法で成功を掴みたかったのでしょう。但しこれは長距離を戦車が移動するうえに、正面からソ連軍と対決するため、余りにリスクが大きすぎます。

 もう一つの案は、南部を攻めてスターリングラードを取れば、油田を占領して、併せて石炭や鉄の鉱山を抑え、工業の発達した地域と、資源の不足を補えて国策には有効だ。と言う考えです。どれももっともな考えです。ところがヒトラーの下した結論は、三地域をすべて戦車軍団で攻める。と言うものでした。

 これは全く無謀な作戦でした。ドイツ軍が如何に装備が整っていて、膨大な戦車を所有していたとしても、それを三つに分けて、しかも陸路で数千㎞を戦車を走らせて、3つの都市に運ぶというのは、力が分散してしまう上にリスクが大きすぎます。

 しかしドイツ軍はそれを実践します。結果は、武器で勝っているドイツ軍ではあっても、冬のソ連の寒さと、食糧不足などが重なり、レニングラードも、モスクワもスターリングラードも攻めあぐねます。そこでドイツ軍は方針を変えて、南部の石油基地に近い地域を攻めようと兵を集中させます。そして、ソ連軍とドイツ軍が真正面から衝突したのが、クルスクだったのです。

 もし初めからドイツ軍が、クルスクに全ての戦車を集中させて、攻め込んでいたなら、簡単にスターリングラードは占領されていたでしょう。そうなれば、石油や石炭を手に入れたドイツ軍は相当に安定した戦いが出来たはずです。

 散々敗北をした後にスターリングラードを攻めることになったドイツ軍は遅きに失したと言えます。しかしそれでも、ソ連軍と比べると、装備の点ではドイツ軍の方が優れていました。

 迎えるソ連の兵力は、130万人、戦車3000両。大砲2万門。ドイツ軍は戦車2700両。兵力100万人です。ドイツはここでテーィーガ(ドイツ語でタイガー)と言う最新式の戦車を導入します。巨大な戦車で、砲塔の威力がけた違いで、たちまちソ連の戦車を蹴散らしてしまいます。

 本来なら、この戦いはドイツの勝利のはずでした。ところがここに大きな失敗がありました。それは同盟国のイタリア軍でした。同時期にイタリアは、エジプトを攻めていました。然し、エジプトはイギリスに支援を求めて、イギリスから大量の武器を供与されていました。そのため、イタリア軍は大敗を喫します。慌てたムッソリーニはドイツに支援を求めます。ヒトラーは、ロシア戦で苦戦をしているにもかかわらず、戦車や兵士を割いてエジプトに送り、たちまちアフリカでの戦局を好転させます。

 しかし肝心のクルスクでは時遅し。ソ連軍との勝敗が決してしまい、ドイツ軍は敗北してしまいます。これ以降、ソ連の国内での戦いでドイツ軍が大きな作戦を立てることは不可能になり、ソ連軍に徐々に追い込まれて行くようになります。クルスクの戦いと言うのは、第二次世界大戦の大きな分岐点になったのです。

 ロシアにとっては記念すべき地域なわけですが、そこをウクライナ軍に簡単に攻め込まれたというのは、ロシアにとっては大ショックなのでしょう。プーチンさんはいきなりウクライナ軍の侵攻を聞いて、相当に狼狽したようです。それは実際の損失よりも大きな効果だったと思います。

 ロシア軍は目立った大きな作戦をプラン出来なくなって来ているようです。どうもロシア軍の疲弊が目立ちます。攻め取られたクルスクも、ロシアは奪還が容易ではないようです。今のところはウクライナは順調に戦っていますが、この先、トランプさんが大統領に就任すると、ウクライナに対する支援が打ち切られる可能性があります。

 そうなったときに、ウクライナの命脈は切れてしまいます。全くゼレンスキーさん綱渡りの状況で戦いを進めています。この先どうなるかは全く予想が出来ません。

 続く