手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

人が助けてくれる

人が助けてくれる

 

 生きていると、何度もどうにもならない危機が訪れます。仕事がうまく行かなくて、借金が溜まって支払いが出来ないとか、夫婦関係がうまく行かなくて、離婚寸前であるとか、人それぞれいろいろな悩みを抱えて生きています。

 大体悩みと言うものは、いくら悩んでもどうにもならないことが多く、悩むこと自体あまり意味がない場合が多いものです。そして、その問題の帰結は、悩んだから解決したのではなくて、全く別の変化が起こることで、一気に解決して行く場合が殆どです。

 

 私が、アメリカのマジック団体SAMの日本組織を起こして、世界大会を開催したのが、1992年でした。板橋文化会館を使って4日間にわたって開催しました。参加者は750人。これまで日本で開催した世界大会では最大の催しでした。

 それから2年後、FISM大会を日本に誘致しようと言う話が持ち上がりました。私はFISMには一切関与をしていなかったのですが、無論、支援することはいとわなかったのです。

 その、FISMは船頭多くして船山に上るの例えで、主催者が交代したり、会場が中野サンプラザから横浜に移ったり、バブルが弾けてスポンサーが撤退したりと、 散々な船出で、開催そのもが危ぶまれていたのです。

 チケットの販売をスタートしたのですが、御存じのように、FISMの大会は6日間の開催のため、参加費用も8万円になりました。当時のサラリーマンは、先ず6日間会社を休むことすらままならず、しかも大会参加費8万円は簡単には払えませんでした。

 そのため、参加申し込みを始めても申し込みが少なく、主催者は頭を抱えていたのです。そこで、役員だった小野坂東さんは、団体割引と言う案を考えます。50人以上の申し込みがあれば、8万円を6万円に下げようと言う案です。

 参加費が6万円であれば、例えば、6日間参加を、前半3日、後半3日に分けて、個人個人がシェアして、3万円の参加費で3日間ずつ分け合って参加できれば、通常の日本のコンベンションと同価格で参加できます。これなら、一般参加者も参加しやすくなるのではないかと考えたわけです。そこで小野坂東さんは私の家に訪れて、そのアイディアを私に語りました。

 なぜ私のところに東さんが訪ねて来たのかと言えば、団体チケットを買える組織と言うものが、SAMを除いては存在しなかったからです。そもそもSAMは世界大会を年次開催すると言う目的を持っていましたし、そのために700人の国内会員を持っていました。機関紙も発行し、10代20代の若いマジック愛好家がみんな加入していました。

 当然、FISMは、SAMに食指を伸ばしてきます。然し、そうしたSAMからしても問題が山積していました。2年前の一回目のSAMの大会は大入りでしたが、二年目の大会は参加者が激減して、大赤字だったのです。

 二年目のSAMの大会がなぜ大赤字になったかは明らかで、東さんが翌年のFISMを盛り上げる意味で、前年にプレFISM大会を開催したのです。「いや。ちょっと待って欲しい」、FISM大会を開催するのだって大仕事なのに、その前にプレFISM大会をすると言うのは、FISMを二度開催することになり、せっかく盛り上がってきたFISM熱をガス抜きをしてしまう結果になり、FISM誘致に水を差す結果にしかなりません。

 しかも、ようやくSAMが日本国内でコンベンションの年次開催を始めようとした矢先の、同じ年の、同じ季節に、二つのコンベンションを開催しようと言うのですから無謀です。私は激しく東さんに抗議したのですが、東さんはFISMにのめり込んで広く日本の現状を見渡す余力がなかったのでしょう。結果はプレFISM は、そこそこの参加者。SAMの大会は惨敗。SAMの資本はそっくり無くなっていました。

 プレFISMは先ず先ず集まっても、翌年のFISM横浜には結果として悪影響になりました。人はそうそう毎年FISMに参加しては来ないのです。横浜大会の参加者を増やすどころか、FISM熱を冷ます結果にしかならなかったのです。FISMの人集め行き詰まり、結果、私に協力を求めて来たわけです。

 随分と図々しい申し出ではありますが、東さんの申し出であれば無碍には出来ません。何とか資金を集めて、FISMの参加者を集めてあげなければなりません。然し、現実に百人の団体チケットを買い求めるには、600万円が必要です。資金がありません。今はSAMを維持するだけでも四苦八苦の状態なのです。

 私は、「協力はしたいけども、お金がない」。と正直に言いました。東さんと話をすると常に資金不足の話になります。夢追い人の東さんは、資金の当てなど全く考えていません。金のない者同士が、どうしたらよいか、と悩んでも全く無駄な悩みなのです。

 ところが私と東さんが悩んでいるさ中に、天の恵みが降臨したのです。私の人生の中でもこんなめぐりあわせはそうそう起こるものではありません。SAMの会員の中で、昔から付き合いのあるAさんから突然電話がきて、「実は、親の遺産が貰えることになり、当面使う用事のない金が1000万円あります。藤山さんは、組織の運営資金に困っているようですので、しばらくお貸ししてもいいと思っています。返済できるようになったら、返してください」。

 驚きました、最悪の場合、私は家を担保に銀行から金を借りようと考えていましたが、無担保で1000万円が降って来たのです。その時、ビールを飲んで赤い顔をしていた東さんは、「なぁ、世の中なんてそんなもんだよ。困った時に、どこかから金が舞い込んでくるもんなんだ」。と無責任なことを言いました。

 たった5分前まで、金のめどが立たずに、しょげ返っていたくせに、電話口で1000万円、と聞いた瞬間。一辺に強気の顔になったのです。

 「ちょっと待って欲しい」、Aさんは、長年の私との付き合いから、金を貸してもいいと言ってきたので、その資金をFISMに回すか、SAMの立て直しに回すのかは、私の裁量です。それを東さんはもう自分が貰ったような顔をして、上機嫌になってビールを煽っています。

 それでもまぁ、悩んでいたことが呆気なく解決して、嬉しかったことは事実です。早速、6万円の割引価格を提示して、SAM会員にFISM参加権の申し込みを募りました。驚いたことに申し込みは147件に上りました。FISM横浜の実質申込者は600人程度でしたから、そのうちの4分の一がSAM会員だったことになります。とにかく、知人の善意によってFISM横浜が無事開催できたことは幸いでした。

 悩みとはいくら悩んでも解決しないものです。悩みの解決は全く新たな展開がない限り身動きできません。解決のために、自分自身がいろいろなアンテナを張って、外の社会を見たり、多くの友人の協力を得ることが、解決の突破口になります。

 私はこれまで何度も不可能な問題を解決してきました、いや、私が解決したのではなくて、私の友人が助けてくれたのです。そうした友人をどれだけ持っているのか。それが人生を大きく動かす鍵になるのです。

続く