手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

春の麗らの隅田川

 昨日は、朝から、免許証の再発行に行ってきました。多分置き引きにあったのだと思いますが、銀行からお金を降ろし、駅前のスーパーで買い物をし、その日は雑用に追われ、翌日バッグを探したのですがありません。銀行のカードや、免許証が入っていましたので困りました。銀行で降ろした現金はジャケットの胸ポケットに入れていたので無事でした。財布には1万円しか入っていませんでした。不幸中の幸いです。

 かつても同じようなことがありました。どうも、私が銀行から出て来るときから狙っている人がいたような気がします。とにかく、財布はあきらめて、まず免許証を再交付してもらわなければなりません。東陽町の運転免許試験場に行きました。

 せっかくここまで来たなら、マジックランドに顔を出してみようと、その後にランドに寄りました。ママさんと、聰さんが二人で店番をしています。東さんはもう店に来ることはほとんどないようです。とりとめのない話をして帰りましたが、この間一人もお客様がきません。コロナだからやむを得ないとは言いますが、これでは生きて行くことすら難しい」でしょう。

 マジックと言うコアな世界の、更にアマチュアを対象としたマジック用具の販売。と言う、コア中のコアな仕事がこの先も続けて行けるものかどうか。いやいや、マジックのアマチュアと言う存在もこの先どうなるか分かったものではありません。人のことは言えません、プロもどうなるか分かったものではないのです。アマチュアが全くいなくなると言うことはないにしても、それを対象として、アイディアを考える。道具を作る。などと言うことが仕事として成り立つかどうか。前途は多難だと思います。

 

 FISM(世界に支部を持つのマジック団体)が3年に一度、マジックの世界大会を開催していますが、来年がカナダです。70数年のFISMの歴史で初のアメリカ大陸での開催です。それがどうも中止になりそうな状況です。総勢2500人ものマジシャンが集まる大会が、仮に来春、ウイルスが終息したとしても、夏にすぐに開催できるかどうかとなると。実際には難しいだろうと思います。

 特に、アメリカが今の現状では、アメリカの参加者を当て込んで人集めしているカナダにとっては自国の判断だけで開催するわけにはいきません。FISMの本部は、この先、世界大会を開催することそのものに懸念を抱いている人もあるようです。これまでなら、大きな大会を開催することが、人をたくさん集める強力な力だったのですが、将来、大きな大会ゆえにリスクが一層大きくならないか。心配が募ります。

 そのことは、他の大会も同様で、マジック界の問題だけでなく、国際会議、国際見本市等々、多くの人を集める催しがこの先は開催しずらくなってきています。

 私は以前、このブログで書きましたが、「この先は、原子爆弾やミサイルが人類を滅ぼすのではなく、ウイルスを撒くことで、簡単に一国の経済を混乱させることができる。ウイルスの開発は、原子爆弾の開発よりはるかに安価にできる。持ち運びも簡単。陸続きの国なら、ドローン1万機にウイルスを乗せて、隣国に飛ばして、撒き散らせば簡単に他国を制圧できる。低空でドローンを飛ばされたなら、レーダーにはかかりにくく、見つかっても、1万機すべてを打ち落とせるミサイルなんてありえない。」

 今回のコロナウイルスも、その兵器開発の一環ではないかとアメリカが、中国に言いがかりをつけています。今回のことは言いがかりかもしれませんが、この3年のうちに、ウイルス兵器を開発する国が出て来る可能性は十分にあります。

 東京は、来年にオリンピックを開催しようとしていますが、来年に再び新型のウイルスが流行れば、たちまちオリンピックは開催不可能になります。そうならないことを祈るばかりです。

 私が子供の頃に、「大きいことはいいことだ」。と言うコマーシャルが流行りました。大きな板チョコのコマーシャルでした。

 その時代は、会社でも、スーパーでも、「会社が大きくなれば物が安く作れる、安く販売ができる、そうなれば、消費者にとってもメリットが大きい。」と、大きなことがいいことずくめに語られていました。然し、50年たって、大きなことは最も危険なことになってしまったようです。

 そうした流れの中で我々は生きて行かなければなりません。

 

 さて、免許を取りに行った帰りの地下鉄で、何件も電話がきました。裕里江さんから、石井裕さんから、辻井孝明さんから、共にスピリット百瀬さんのお弟子さんです。百瀬さんがが亡くなったと言う連絡でした。百瀬さんは若いころは大嶽さんといい、私は高校生の頃、名古屋の大須演芸場に出演していて、夜にマジックバーのエルムに遊びに行ったときに、24歳くらいの大嶽さんのマジックを見ています。とてもうまい人でした。しかしその後お会いする機会はありませんでした。

 私がSAMの日本局を作った時に、日本中のプロアマチュアに声をかけ、手紙を出し、700人の会員を集めました。余りに簡単に大きな組織が起こせたため、ある時期、多くの奇術関係者が注目しました。その流れの中で大嶽さん(その時は百瀬さん)がやってきて、SAMの入会を希望されました。私は百瀬さんがアルコール中毒患者になって、一時期寸借詐欺などをして、表に顔を出せない人だったことを聞いていました。然し施設に入って病気を完治させて一から出直すためにあいさつに来たのです。

 その時に、私は20年近く前の百瀬さんを思い出し、この人に賭けてみようと思いました。私はすぐに支部長の資格を用意し、武蔵野支部の会長をお願いしました。百瀬さんはこの時のことをずっと感謝し、私が後輩であるにもかかわらず、ずっと「社長、社長」(私は東京イリュージョンの代表取締役です)、と言って、立ててくれました。

 相変わらずマジックの巧い人でしたが、あがり症で、舞台では能力の半分も発揮できません。然し、人から愛されていました。特に、お弟子の能勢裕里江さんがずっと付き従い、晩年、癌に侵されても裕里江さんが献身的に助けたため、不幸な人生に陥ることなくマジシャン人生を全うしました。幸せな人だったと思います。石井さん、辻井さんはその弟子の一人です。合掌。

 

 マジックランドを出ると、ランドの裏側は隅田川の支流、新川が流れています。橋を超えて、東に川沿いに歩いてゆくと、隅田川です。日頃川を見ることなどめったにないのですが、ランドの路地のすぐ裏側ですからしばし川を眺めて目的もなく散歩していると、滝廉太郎の「春の麗の墨田川」の曲が浮かんできました。

 春の麗(うらら)の隅田川、上り下りの舟人が、櫂の雫(かいのしずく)も花と散る、眺めを何に例うべき。

 明治の時代なら、たくさんの船が行き交っていたのです。川上で荷を積んで川下の東京に運ぶだけでその日の日当になったのです。そこに西洋のボートが通り、ボートの櫂が水しぶきを散らして進む姿が美しいと語っています。実際明治の隅田川はこのような情景で、美しかったのでしょう。日本はまだまだ貧しかったと思いますが、その国は、詩人が詩を書き、作曲家が曲を作ろうとするほど美しい国だったのです。

 平年なら、隅田川には屋形船がたくさん出て、中でキスやメゴチの天ぷらで一杯やりながら、みんなの笑い声が岸にまで届いていたでしょう。今は、そんな光景もなく、船もなく、人もいない情景を眺めながら、明治を思い、淡く、寂寥感が通り過ぎて行きました。

また明日。