手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

鶏が卵を産まない

鶏が卵を産まない

 

 日本が明治維新になってすぐ、政府が日本中に鉄道を敷き始めた時に、当時の農家は鉄道という西洋文明が理解出来ずに、農地や家の前を鉄道が走ることに大反対をしました。反対の理由は、「汽車が通ると、その騒音で鶏(にわとり)が卵を産まなくなる」。と言うものでした。

 今では考えられない話ですが、当時は、機関車の音や、あの石炭の煙に驚いて、鶏が卵を産まなくなるから鉄道を敷かないでくれ、と沿線の農家は反対したのです。当時の農家の養鶏は、ほんの数羽の鶏を庭で飼っていたレベルで、一日二個、三個と言う、わずかな卵の収入と、鉄道を敷くと言う国家事業を天秤にかけて反対をしたのです。

 何てレベルの低い国民だろう。と現代人ならば思うでしょう。そんなのは明治時代のことで、さすがに現代にそんな人はいないだろう。と思っていると、いました。静岡県知事の川勝平太さんです。

 リニア新幹線が、静岡県の北部山間地をわずかにかすめて通過します。ここにリニア新幹線のトンネルを通すと、大井川の水質が落ち、水が流れにくくなる。だから工事に反対する。と言うもので、実際工事の不許可を続けました。

 JRが建設するトンネルでどれだけの水量が失われるのかはわかりません。然し、大井川のような裾野の広い川が、一つの水脈でいきなり水量が激減するとは考えられません。どう考えても言いがかりでしょう。

 JRとしては、周辺の地質を調査して、「もし水が不足するようなことがあれば、周辺の水脈から水を運んで流す方策を取る」。と提案したのですが、川勝知事はその考えを聞かず、ひたすら反対を続けました。

 それがためにほぼ10年、リニアの工事は遅れ、今年になって、2027年の東京名古屋間の開通には間に合わないと言う結論になりました。庭で鶏を飼っている農家が国の発展を遅らせたのです。然し、この間に多くの人から知事に対する批判が集中し、更には知事の日ごろの失言なども祟って、川勝知事は辞任することになりました。

 その席上で知事が周囲に漏らした発言が衝撃的で、「リニア新幹線を10年近く工事を遅らせたことで知事の目的を達成した」。と言ったのです。川勝知事の本当の狙いは、鶏が卵を産まないことの無知から出た話ではなったったことが見えてきました。

 つまり静岡県にすれば、リニア新幹線が開通しても、新駅も出来ず、列車が通過するのみですから、メリットがないのです。そればかりか日本の東西を走る新幹線が二本出来たなら、きっと従来の東海道新幹線の列車本数は少なくなると予測したのです。そうなると、そもそものぞみの停車しない静岡県は、こだまの本数が減って不便になる。結果、静岡の経済は大きく停滞する。だからリニア新幹線は反対だ。と言う理由になるようです。

 驚きです、地元のエゴのために国のプロジェクトを邪魔しようとしたのです。仮に、こだまの本数が減ることが事実だとしても、それで10年リニア新幹線の開業を遅らせることに何の意味がありますか。どっちにしろリニア新幹線を作らなければならないことを、ひたすら邪魔をする意味がありますか。嫌がらせをしただけではないですか。

 このことは、川勝知事とそれを支持した静岡県民が世の中の大きな流れに逆行していることを意味します。明治初期。かつて東海道線を引くときに、大井川に鉄橋を作ろうとすると、「鉄橋なんて作られたら我々が生活できなくなる」。と大井川の両岸にいる、旅人を背負って川を渡る人足達が大反対をしました。

 大井川は大昔から交通の要所で、ここに橋を作ると、もし、江戸を攻めに来る軍勢がやって来た時に、易々と通行してしまうため、江戸幕府は二百数十年間、大井川に橋を作らせなかったのです。橋がないため、旅人は人足に渡し賃を支払って背負ってもらい、大井川を渡る。という信じられないような不便を強いられたのです。

 結果として、橋を作らないことで、人を背負って暮らしている数十人の人足の生活は守られましたが、日本の経済は数百年間停滞しました。これと同じことを静岡県はやってのけたのです。

 川勝知事は、早稲田の大学院を出て、更にオックスフォード大学で博士号を取っている秀才です。それほどの人でありながら、物事の大小、軽重が分からずにしばしば意味不明な、歴史に逆行するような行動をとりました。

 更には、自身のプライドが邪魔をするのか、度々他人を差別する発言をして、数々の舌禍を生みました。頭がいい人が必ずしも正しい行いをするとは限らないようです。

 数日前の、自民党のバックリベート問題も同様で。やってはいけないことと知りつつ平気でやって、さてばれてしまったら、反省も謝罪もどこかにすっ飛んでしまい。もう頭の中は次の選挙のために如何に罪を軽くしてもらって、まるで今回のことが人生に降りかかった災難のような態度を見せています。国民に対して果たす責任はどこへ行ったのか。そんなことをいくら言っても無駄なのでしょう。頭のいい人は、その頭脳を自分のために使うのです。世のため、人のために生かそうなどと言う奇特な人はめったにいないのです。

 川勝知事は、案外静岡県民思いなのかもしれません。県民の経済発展を願って、ひたすらリニア新幹線を邪魔したのですから、十分静岡県民の役に立ったのでしょう。それゆえ、静岡県民はこの知事を支持し続けた?のでしょうか。

 いつの時代でも人は庭で鶏を飼う農家の親父にもなりますし、大井川の人足にもなります。まさか今どきこんな人はいないだろう。などと高をくくってはいけません。自分に不利益なことが起これば、人はいつでもどんな人にもなります。人だけではなく、狼にもなれば犬にもなります。オックスフォードを出ていても、狼にも犬にも、やくざにもゆすりにもなるのです。知性だの、理性なんて天から当てにはならないものなのでしょうか。

続く