手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

トランプの本二冊 東国原さんの誤算

ランプの本二冊 東国原さんの誤算

 

 トランプの本二冊

 カードの販売会社プレイフェアを経営している和泉圭佑さんが、今年、立て続けにトランプに関する本を二冊出しました。一冊目は阿部徳蔵著、「とらんぷ」昭和13年著作の復刻版。もう一冊はご自身がお書きになった「マジック・トランプ史」

 阿部徳蔵氏は戦前の東京アマチュアマジシャンズクラブの会員で、後に会長になった人です。超が付くほどのマニアで、戦前に裕福な家(生糸問屋と聞きました)に生まれ、マジックにのめり込む余り家業に身が入らず、晩年には家業が傾き、困窮したと聞きました。道楽が高じて、道に嵌った典型の人と言えます。

 マジックなら何でも大好きな人でしたが、特にカードマジックに興味を持ち、当時としては極めて限られた情報の中でカードマジックの研究をしました。その阿部氏が、出した著述が「とらんぷ」で、内容は、トランプそのものの歴史から始まり、タロットカード、うんすん歌留多を調べ、そして今(当時)のカードに至ります。ゲーム、占いから、カードマジックまで解説しています。基本的な技法から、丁寧に書いています。

 全体が生真面目で、ひたむきな探求心で書かれていて、読んでゆくうちに阿部氏の人柄がほの見えて来ます。但し、昭和13年と言う時代を考えると、こうした本を出して一般に売れたのかどうか、少し心配になります。

 ただ、今となっては知ることのできない古い資料や挿絵が出て来て貴重な本です。それにしても、和泉さんがこれを復刻しようと思ったことに感心します。巻末に、和泉さんの阿部氏に対する考え方が書かれていて、冷静に阿部氏を歴史の中で評価する姿勢に好感が持てます。

 コロナ禍の中、和泉さんが地味な著述を丹念に調べていたことに敬意を表します。こうした著述が、昭和13年に出たことも、またこれを復刻して再評価ようとする姿勢も、日本の奇術界が成熟した証と言えるでしょう。単価2200円。

 

 もう一冊「マジック・トランプ」は、阿部氏の著述をより具体的に、ビジュアルに、カラーで古い資料を並べたもので、昔のカードを原寸大で紹介したりと、野心的な本です。

 中には小野坂東氏との対談、マーカーテンドー氏の功績などが出て来ます。中には松旭斎天二の写真も出て来ます。天二は日本で初めて本格的なスライハンドを伝えた人で、果たした役割は大きなものでしたが、晩年が不幸だったため、今となっては天二を評価する人のがいません。歴史の彼方に消えています。天二がいなければその後の天海は存在しなかったのです。

 更に、小野正さんの写真が出て来て驚かされます。私が子供のころ、ステージマジシャンでカードの名人だった人で、余りに地味な人だったので、その後名前が残っていません。夫婦で舞台に立ち、品のいい演技でした。

 そして石田天海師、師はアメリカで活躍し、戦前に何度も帰国をして、東京アマチュアマジシャンズなどとの交流もありました。もし、天海師がいなければ日本の奇術界の発展などありえなかった時代でした。たくさんの逸話が語られ、その都度、カラーの写真が紹介されています。阿部氏の著述は読みずらいと思われている方があるなら、ビジュアルな「マジック。トランプ」は、気軽に手に取って眺めているだけで面白い本です。

B5判で上品な装丁です。5800円。 書斎のラックに飾って時々眺めるにはいい本です。ともにプレイフェアで販売しています。

 

東国原さんの誤算

 どうして東国原さんが今回の宮崎県知事選に出たのか、疑問です。人の心を掴むことのうまい人で、頭のいい人ですから、テレビでは常に、複雑な話をうまくかいつまんで話す才能があって、橋下徹さんと並んで、説得力のある話をする人です。

 元々は北野たけしさんの弟子に入って、漫才をしていた人です。私とのかかわりは、ごく浅く、たけしさんが浅草松竹演芸場に出演していた時に、たけしさんがテレながら、「俺んとこに弟子に入って来たんだよ。弱ったよ」、と恥ずかしそうに紹介してくれました。昭和55年くらいでしょうか。

 ツービートはこのころ、ようやく売れ出して人気が出て来ましたが、まだ演芸場に出演していたくらいですから、とても弟子を食べさせられる状態ではなかったのです。その時の痩せた弟子がのちの東国原さんでした。つまりたけしさんの一番弟子です。

 この人は先を見る目があり、まだ海のものとも山のものとも評価の定まらないたけしさんにいち早く弟子入りして、その後、たけしさんの紹介でテレビ番組に出まくるようになります。然し、漫才で生きて行くことは難しく、また、様々な事件を起こし、一時芸能活動をやめ、早稲田大学に入学して勉強し直して、政治家を目指します。そして宮崎県知事選に出ると宣言したときはみんなびっくりです。

 それが「宮崎県をどげんかせんといかん」。「宮崎県に骨を埋めます」。と言って、その必死な姿勢が県民の共感を呼び当選。実際、役人ではできないような改革を次々に断行して喝采を受けます。

 そこまでは良かったのですが、余りに知事人気が過熱して、テレビ出演続出。そしてその人気に目を付けた野党と自民党の両方から熱い視線を投げかけられます。国会議員への出馬の誘惑が当人を惑わせます。ところが、その出馬の際に、自民党の幹部にいろいろ条件を付けて自分の待遇を要求します。元々、出世欲の強い人なのですが、その姿勢が自身の出世のために政治を利用しているように見えてしまい、悪感情を持たれました。しかも任期途中の宮崎県をどうするつもりなのか、全く方向が変わってしまったように見えました。

 国会議員になり、その後すぐに都知事選に出ます。なぜ宮崎県のために骨をうずめると言った人が都知事選に出るのか全くわかりません。都民も宮崎県民も困惑します。結局都知事選は落選。そこから政界からも有権者からも醒めた目で見られるようになります。それでも喋りがうまく、政治を巧く語れるためにテレビでは貴重な存在になりました。ここまではご当人の出世街道驀進物語は成功だったのです。

 それがなぜか今年になって、宮崎県知事選に返り咲こうとしました。それ迄、前に進むことにばかり考えていた人が、ふと我に返って、一歩引いて宮崎に戻ろうとしたのです。これがご当人の誤算だったのではないかと思います。

 宮崎に骨を埋めると言っておきながら、あっさり国政に出て行ったことは、宮崎県民を失望させました。その後周囲におだてられて都知事選に出たことは宮崎県民にどう説明するのでしょうか。宮崎県知事ではだめで、都知事ならいいと言う根拠は何なのか。説明がないまま、もう一度返り咲きを狙うと言うことを県民が許すと思ったのか。もう宮崎には戻る場所がなかったように思います。

 この先、またテレビに戻ることも難しいでしょうが、やはり自分の得意を見つめて、テレビで生きたほうが正解なのではないかと思います。

続く