手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪 7

 こうしてほぼ毎日、原稿用紙4枚に及ぶブログを書いていると、「どうしてそんなスピードで、文章が書けるんですか」。と聞かれます。実は、私は、もし本にするときなどを想定して、折々に原稿を書き溜めていたものが随分あるのです。

 今、解説しているリングは、3本、4本、5本、6本、9本、12本と言った、様々なリングの手順を全て、歴史から、作者から、手順まで一挙に百科事典のごとくに解説しようと考えて、20年も前に書いてあった原稿をもとに放出しているわけです。

 東京堂出版さんは、初めはリングの百科事典のアイディアに、好感触だったのですが、この20年の間に、本でマジックを勉強しようとする人は減って、仮にリングの百科事典のようなものを作ってもどれだけ売れるか、妖しい状況になってしまい、そのまま企画はお蔵入りになってしまったのです。

 無論、DVDにして出す考えもありましたが、DVDは結局、マジッククラブや、アマチュアの間でダビングが氾濫し、本来知る必要のない人にまで只で情報が流れてしまいます。しかも、その使われ方が、文化としてのマジックを伝えることにはつながらず、単なるネタ取りとして、タネの部分ばかりが流れ出て行きますので、芸術としてのマジックを語るには不向きです。

 私は指導ビデオに関して、かつてはアイビデオさんから50本くらいDVDを出しました。しかし、今となってはほとんどがコピーされて、無料で取引をされています。それ故に、私は、新たなDVDは、ショップなどに販売していません。直接習いに来る人以外にはDVDはお渡ししないようにしています。人の顔がわかるようでないと、安心して秘密を伝えることはできませんから。

 

 私が育てたい人は指導家ではありません。ちゃんとマジックのできるマジシャンなのです。DVDを買った人が、ちゃんと稽古をして、作品を自分のものにして、自分自身の演技があちこちから評価を得るようになってもらいたいのです。しかし、ろくすっぽ稽古もしないで、いつの間にか指導家になってしまって、どんどんクラブの生徒さんに教えてしまう現状では、百害あって一利もありません。いいマジックを見せられない指導家なんて要りません。DVDと言うものがマジック界のレベルを引き上げることにはなっていません。今のマジック界の現状では、普及がマジックを無価値にしています。一作一作の作品が、まるでストーブに薪をくべるかのごとく消費されています。

 世の中にはどんな人がいてもいいし、何をしようと勝手ですが、そうした人とはかかわりあいを持たないように注意しなければいけません。そして、妖しい指導家には、いい情報は流さないように注意しなければいけません。秘密は理解者の中で守られなければいけません。目には見えなくても、仲間の良識によるバリアは必要です。名古屋の峯村氏と飲むと、このことで氏はいつも悩んでいます。氏の場合は販売と指導が背中合わせですから、一層切実な問題です。

 さて、どうしたら優れたマジックを愛好家に提供できるかと悩みつつ、リングの続きをお話ししましょう。

 

 金輪と称する、日本のリングの手順があって、それが江戸時代から明治、大正、昭和初期に至るまで残っていたことは明らかです。その手順が、ひょっとすると、古い中国のリングの手順である可能性も否定できません。

 ここに12本リングと言う手順が出て来ます。この手順がいつ作られたのかはわかりませんが、トリプルリングが入ること、キーリングを途中からロードすることなど、相当に斬新なアイディアが入っていることなどから考えて、ヨーロッパでショウが発展して行く過程の時代に作られたのではないかと思われます。そうなら1800年代の半ばであろうと考えられます。日本で言うならちょうど明治維新時期です。

 この12本リングを扱うマジシャンが日本に来ています。名前はわかりません。12本リングの作者か、弟子か、コピーした人か、それも分かりません。とにかく日本に入ってきました。そして日本の奇術師に指導をします。習った人はわかります。

 天長斎ミカドと言う人です。不思議な名前です。名前にカタカナを入れるのはこの時代の流行です。西洋の匂いをさせるためにそうしたようです。この名前からすると、ミカドさんの活躍した時代は、明治5年くらいから明治の末年までの人でしょう。マジックの資料には全く出てこない名前です。どこで、どんなマジックをしていたのかもわかりません。この人のことはマジック研究家だった平岩白風故人が調べていて、私に教えてくれました。どこで調べたのか謎です。

 とにかくミカドさんは西洋人から12本の演技を習い、得意芸にしてあちこちの舞台で演じました。舞台上でリングを演じた草分けの人と言えます。12本の演技は芸の輪郭も大きいですし、派手ですから、大舞台に生かせます。恐らくミカドさんは、小なりと言えども、一座を持ち、全国の芝居小屋などで興行を打っていたのでしょう。

 ミカドさんの晩年に、12本は高松紅天さんに引き継がれます。この人は女流奇術師で、踊り子や、曲芸、軽業師などを引き連れ、一座40人で大きな興行をして全国を回っていた人です。恐らく紅天さんは、大舞台で生かせる12本の手順に惚れ込み、ミカドさんに懇願して、譲り受けたのでしょう。

 

 そこから先は、12本リングの項で解説していますので簡単にお話しします。紅天さんは、弟子の紅菊に12本を伝えます。紅菊さんは後に松旭斎良子と名を変え、一座を持ちます。以来12本は良子さんの得意芸として知られます。良子さんに至って、はじめて私の年齢と重なってきますが、残念ながら私は良子さんの演技を見てはいません。私が幼くて、見る機会がなかったのです。

 良子さんのお弟子に松旭斎千恵という方がいて、私は、千恵師匠に12本を習います。

時代は昭和40年代末で、当時は、本数の少ないリングに多くのマジシャンの興味が集中していて、12本は奇術家の間では不人気でしたが、一般観客には強烈な手順だったようで、どこに行っても12本は必ず注文がありました。実際私が20代の頃、私の生活を支えていたのは12本リングとサムタイでした、この2作のお陰で仕事は山ほどありました。

 

 私に12本リングが伝わるまでに、天長斎ミカド、高松紅天、松旭斎良子、松旭斎千恵、そして新太郎と、五代150年を経て継承されてきたことになります。

 いま、私の弟子、大樹、前田将太、など、一年以上私の所で習ったものには12本を伝えています。彼らは六代目になります。直接の指導を通じて伝わった正真正銘の芸の継承です。彼らは、これ一作で必ず食えるマジシャンになれますから、即戦力として有難い作品であるはずです。

 次回はマリニーの9本リングについて書きましょう。