手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

まる子ちゃんさようなら

まる子ちゃんさようなら

 

 先週鳥山明さんが亡くなったと思っていたら、3月4日にTARAKOさんが、亡くなっていたことを、9日のヤングマジシャンズセッションの楽屋で聞き、一気に寂しくなりました。

 ちびまる子ちゃんのテレビ放送が始まったのは、平成元年です。以来ちびまる子ちゃんの声は、ずっとTARAKOさんが続けてきました。視聴者にとっては、まる子ちゃんイコールTARAKOさんだったのです。

 そのまる子ちゃんの作者も、2018年に、53歳と言う若さで亡くなりました。そして今度は声優が亡くなったのです。63歳だそうです。自分自身が70歳近くになってしまうと、63歳は随分若く思えます。

 それでもこのところは車いすを使って移動をしながら、仕事をこなしていたそうです。死因ははっきりとはしませんが、ネットには、くも膜下出血とか、心筋症とか、書かれています。

 さくらももこさんと言い、TARAKOさんと言い、あっという間の人生を走り抜けて、いなくなってしまいます。ちびまるこちゃんは平成になってから生まれたアニメです。平成と言う時代の一端がいきなりなくなってしまうのは驚きであり、結局形あるものはいつかなくなってしまうんだと言うことを思い知らされます。

 

 ちびまる子ちゃんの世界は、昭和40年代の静岡県のごく普通の家庭を描いています。それはさくらももこさんの体験が基になっているのでしょう。昭和の時代なら日本中どこにでもあったようなありきたりの生活だったのです。

 それが平成になって、急に昭和を懐かしむ人が増え始めます。ありきたりの生活が実はありきたりではなく、願っても戻ってこない貴重な時代だったことに気付き始めたのです。それは古くはサザエさんのドラマがそうであり、おばけのQ太郎の世界でそれあり、ドラえもんの世界になって、ちびまる子ちゃんへと続いたのでしょう。

 これらの作品は、昭和のある時代を描き出してはいますが、それは決して昭和そのものではなく、今を通して眺めた昭和であり、多分に作者の憧れを絵にした世界だったと思います。それが証拠の、登場人物は、ある時代に固定されてはいますが、少しずつマイナーチェンジされて、微妙に現代を語るようになり、作者も登場人物も、一つの役を長く続けることで、少しずつ年齢を重ねて行きます。

 まる子ちゃんも、子供でありながら、決して小学生が言わないような言葉を使い、発想もかなり大人の発想をします。長い経緯を知らない人が見たなら、「それはおかしいだろう」。と突っ込みを入れたくなるようなストーリーの展開もあるのです。

 然し、視聴者も同様に年を取り、互いが、同じ世界を共有しつつ、年齢が過ぎて行くために違和感を感じないのです。お爺さんは自分にとってはいつまでもお爺さんであり、周りの家族は、永遠にお爺さんを超えて年は取らないのです。

 然し、30年もたつと、子供のまる子ちゃんも、お爺さんと同じくらいの年齢に達してしまいます。この時、初めて初回のお爺さんが実はお爺さんではなかったことを知って愕然とします。

 

 私は子供の頃、よくお婆さんと昼寝をしました。その時無意識にお婆さんのおっぱいを握って昼寝をしていました。お婆さんは、「この子ったら、あたしのしなびたおっぱいを握って昼寝をするのよ」。と周りに話し、喜んでいました。

 この時のお婆さんの年がいくつだったのだろう、と、後で考えてみると、まだ60にもなっていなかったのです。お婆さんの年を既に超えた自分が、その時のことを思うと、お婆さんは実はお婆さんではなかったことを知ります。

 お爺さんもお婆さんもまだ現役の人で、この先ひと花もふた花も咲かせようと言う人たちではあったのですが、それを隅の方の、年寄り席に追いやってしまったのは、子供たちであり、孫たちなのです。

 昭和の時代の年寄りは、自動車の運転も出来ませんでした。車に乗せると、目の前に並ぶ各種のメーターを見ただけで、恐れをなしていました。自動車がどうして動くのか見当もつかなかったのです。

 自動車ならまだしも、カセットデッキ(テープレコーダー)の操作もよくわからなかったし、ましてや、ビデオでテレビを録画するなどと言うことは何度聞いても出来ませんでした。無論、パソコンが出来た時も、全く仕組みが分からずにただ眺めているだけでした。

 そうした電気製品に囲まれて生きると言うことは、ただただ恐ろしく、自分の理解を超えた世界だったのです。そんな年寄りにとって、自分にもわかる世界は、サザエさんであり、ドラえもんであり、ちびまる子ちゃんだったのでしょう。

 孫と一緒になって見て、分かる世界。それがまる子ちゃんだったのです。実際昭和の時代が細かに描かれています。但し、私が今になってまる子ちゃんを見ると、まる子ちゃんよりも友蔵さんに興味がわきます。あの人は一体幾つだったんだろう。と考えると、せいぜい60になったくらいではないかと思います。

 「60にしては髪の毛はほとんどないし、老けているなぁ」、と勝手に友蔵さんを値踏みして、「60歳であんな隠居のような言葉遣いをして、納まっているのはおかしくないか」。と思います。「自分はあのような年寄とは違う。そもそも年寄ではない」と、自分が年寄りであることを否定しようとします。しかしそう思っているのは自分だけで世間はそう見ていないのかも知れません。

 私の家の前にある「山とき」と言うラーメン屋さんでアルバイトをしているかわいい女の子がいたので、路地に座って休憩している女の子に、缶ジュースを上げたら、とても喜んでくれました。そして、女の子はラーメン屋のオーナーに、「裏のお爺さんから缶ジュースをもらいました」。と報告をしたそうです。

 ショックです。女の子にすれば私は缶ジュースをくれる親切なお爺さんなのです。いわば私は友蔵です。徐々に私も世間の片隅に押し込められています。

続く