手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

福井の三日間 4 

福井の三日間 4

 

 私は群馬県の猿ヶ京に元、芸者の置き屋(稽古場)を借りていて、時々出かけてはそこで稽古をしています。猿ヶ京は温泉場で、いくつかホテルがあります。但し温泉街はもう寂れています。町並みを見ると、大きな民家が並んでいます。かつては、8人10人とたくさんの家族が一軒に暮らしていたのでしょうが、今ではどこもお婆さんが一人で暮らしています。

 その昔は、商店をしていた家も、今では店は閉じて、物置になっていて、いくつもある部屋は掃除をせずに物置部屋で、お婆さん一人が住む部屋だけが何とか片付いている、と言う生活をしている所が殆どです。無論、人がどんな生活をしようと自由ですが、そうした家を若い人が見ると、とても一緒に暮らしたいととは思はないでしょう。若い人たちはどんどん東京に出て行ってしまいます。

 でも、よく見るとその家は、実に凝った造りをしています、古いことは勿論なのですが、部屋を仕切っている戸を見ても、ふすまではなく板戸になっていて、板は漆塗りになっています。大黒柱は5寸も6寸もあります。

 家具も黒柿の茶箪笥などがあって、相当に高価です。磨き上げて並べたら、部屋が一変するでしょう。整理して住めばとても豊かな生活なのですが、如何せんお婆さん一人では掃除も出来ません。宝物も埋もれて行きます。

 本来伝統的な家に住むことは、素晴らしく豊かな生活が送れるはずですが、現実には、生かしようが分からないのか、誰も寄り付かないような汚れた生活になってしまっています。日本の文化を考えたときに、家も生活も、年寄りに任せっきりにしたために、若い人は古いものに興味を示さない人達が増えてしまい、結果として、若い人が日本の伝統文化を卑下して、古い家に寄り付かなくなってしまいました。

 

 同様に手妻です。手妻は明治半ば以降、ずっと逆境にありました。西洋のマジックに押され、日本人でもマジックを覚えようとする人はみんな普通に西洋奇術を練習するようになったのです。その後昭和20年に戦争に負けて、それ以降、日本文化が否定されると、一層、手妻は仕事が激減し、昭和40年代になると、手妻をしていたマジシャンは、東京でももう5人くらいになっていたのです。

 私がマジックを始めたのがちょうどその頃で、数少なくなった師匠たちを訪ねて手妻を習いに行くと、師匠は仕事も減り、生活して行くのが難しいためか、狭いアパートに住んで、つましい暮らしをしていました。手妻の指導でも、狭い部屋の片隅で、ちゃぶ台を片付けて、遠慮しながら稽古をつけてもらいました。

 そこにはかつての手妻の栄光の因(よすが)などは見えませんでした。すなわち、やっても金にならなそうな芸、汚れて古臭い年寄りの芸、レベルの低い芸。そんな風に若い人達には見られていました。

 ところが、私にはそれが面白いと思えたのです。師匠である清子の、連理の曲(半紙が語弊の形につながる)や、蒸籠(筒状の木箱から、絹帯や毬、だるまなどがたくさん出て来る)、そうした芸を演じる中に、独特の仕草があったこと、それがある種の型があって、その決まりが美しかったこと。等々、従来の西洋奇術とは違った世界が垣間見えたこと。そうしたものを無性にやって見たくなったのです。

 始めのうちは何をやっても大して受けなかったのですが、やがて、私の演技を見ているお客様が、手妻の味方が分かってきたらしく、不思議なだけがマジックではないんだ。と言うことを理解し始めて行ったのです。

 それまで「タネが分かるか、分からないか」。それだけがマジックのようにとらえていたお客様が、演技の背景を感じ取って、芸能として観賞しようとする人が増えて行ったのです。要するに手妻と言うものの見方が分かって、西洋にない価値観が見えたときに新たなお客様が生まれて行ったのです。

 昭和63年の文化庁芸術祭賞受賞は、私に取っても手妻に取っても大きな転機となりました。時代も、海外のお客様がたくさんやって来る時代になって行ったのです。それゆえに仕事は忙しくなりました。

 古民家や、町並みの復活も、古臭い、とか、魅力がないと思っていたものが、そこに価値が見えてくると一気に評価が変わってくるものだと思います。

 

 問題は、今三国に住んでいる人たちに、余りに多くのことを求めても、それは不可能です。むしろ、町の住人を、三つくらいに分けて考える必要があります。

 1つは、昔のままそのまま今の家に暮らしたい人達。

 2つ目は、古民家を生かして民宿、ホテル、レストランや、料亭、喫茶店など商売をして見たいと言う人達。

 3つ目は、その家を借りて、工芸作家とか、芸術活動をしたいと思う人達。あるいは、単純に、セカンドハウスとして古民家を借りて見たいと言う人達。

 

 いずれにしても、2、と3、は、家賃を支払って古民家を借りたいとする人達ですので、家主さんには収入が発生します。これは町の維持にはとてもよいことです。そして借りている人たちによって、家も補修されるでしょうから、町並みは活性化するでしょう。綺麗なレストランや、話題のお菓子屋さんなどが来れば、ネットでも話題になるでしょうし、観光客も増えるでしょう。

 何にしても、今の三国をそのまま美しく街を維持すれば、必ず人は集まって来ますし、いい流れが出来て来るでしょう。私は今回、三国を歩いて見て、ここは必ず発展すると確信しました。確信の理由は、

 1,町が整っていること、

 2,家の作りが贅沢で、残す価値があること。

 3、町のサイズが散策するにはちょうどいいサイズであること。

 4、九頭竜川があり、日本海があり、大きなセールスポイントがたくさんあること。

 (この話は明日お話しします)。

 5、町の人々に町を残したいと言う意欲があること。

 (以前から、観光雑誌に三国の写真が載っていました。良いところであろうことは私でも知っていました)。

 これだけ条件が揃っていれば町は残ります。明日又詳しくお話しします。

続く