手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

年内最後の三人会

年内最後の三人会

 

 昨日(11月29日)、マギー司郎ボナ植木、そして私の三人での呑み会がありました。時々会って、とりとめのない話をする。何のことはない集まりなのですが、ずっと続いています。年齢は、私が68歳(12月1日に69歳)。ボナ植木が71歳。マギー司郎が77歳です。

 流行の激しい芸能の世界で三人は、よく半世紀も生きてきたものだと思います。18時に中野に集まって、今回は座敷の個室を取りました。じっくり食事をしながら、他の人と顔を合わさないで、ゆっくり話をしようと言うわけです。

 ボナ植木は一人で活動をするようになって3年。ようやく一人が定着したようです。もうパルト小石がいなくなったことを話題にする人も減ったようです。もともとパルト小石は三人会には入っていませんでした。そのためそうそうは密な付き合い方はしていませんでした。それでも亡くなって見れば寂しく思います。そうしたパルト小石の印象も、今のボナ植木からはすっかり消えています。

 来月早々には、大阪セッションや、天一祭で会うことになります。このところ大阪でレクチュアーをやって好評だったりと、活動が、マジックのアマチュアを対象とした公演にシフトしているように見えます。元々がマジックの好きな人ですから、いいことだと思います。

 マギー司郎は自身でも、「巧く人の間を縫って、生き抜いて来たんだよ」。と言っていました。今年の夏には、富士のマジックの発表会のゲストに出てもらい。お客様に大変に喜ばれました。内容はずっと昔から変わりません。それでもお客様は楽しみにしています。何を演じるのかではなくて、マギー司郎を見た。と言うことがお客様の満足なのです。本当に巧く生きて来たと思います。マギー司郎自身も楽屋で満足していた様子でした。

 今の時代は不思議と、お笑いのマジシャンもコメディのマジシャンも出て来ません。何となく面白い人はいますが、マギー司郎のように度はずれたマジシャンがいません。そうした意味ではこの人は日本最後のお笑いマジシャンなのかもしれません。

 それはボナ植木も同様で、面白いことを言うマジシャンはいても、独自の笑いを追求しているマジシャンは皆無です。ボナ植木のようなマジシャンが他に何人かいてもおかしくはないはずですが、居そうでいないところがもうすでに天然記念物になりつつあります。そうした天然記念物二人と一緒に酒を呑む楽しみは格別です。

 と他人事のように言っていますが、私も手妻と言う、珍しい芸能で活動を続けています。これままた天然記念物なのでしょう。と言うわけで、天然記念物の三人が和気あいあいと飲んで喋って楽しみました。

 話は古い人の事がたくさん出て来ますので、若い人が聞いたら何のことだかさっぱりわからないでしょう。それでいいのです。いちいち注釈をつけて昔の話をしても面白くないのです。時には分り合ったもの同士が気兼ねなく古い人の話をしたいのです。

 

 そんな中で突然マギー司郎が「藤山大成っていいよね」。と言い出しました。「えっ、何、大成?。大樹じゃなくて?」「うん、大成、大成さんって巧いしさ、顔もよくて育ちが良さそうで、あの人はいいマネージャー付けたら売れるよ」。「えぇ、本当にそう思うの?」「勿論。但し親身になって動いてくれるマネージャーをね、それを探さないとだめだ」。「いや、それは大成に話したら喜ぶよ。今大成はいろいろと苦しんでいるから」。「でも舞台姿がいいし。この先きっと良くなるよ。マジックの世界も若い人が必要だしね。何なら僕が心当たりのあるマネージャーに聞いてあげようか?」。「いや、そこまで入れ込んでくれるとは思わなかった。ぜひお願いしますよ」。

 思わぬところで話題が藤山大成になって行きました。全く人がどんなところで見ているか、分かりません。自身が意図していなかったところで評価されることはいくらもあります。それだけに一つ一つの舞台は大切です。誰がどんな風に見ているのかもわからないからです。マギー司郎の話がどこまで本気なのかはわかりませんが、良い方向につながればいいと思います。店を出て、中野のアーケードを歩いている時でもマギー司郎は大成の話をしていました。一体マギー司郎が大成の演技の何を見てよいと思ったのかは知りません。今まで全く語ることもありませんでした。これから何かが起こるのでしょうか。楽しみです。

続く