手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

パルト小石さん逝く

パルト小石さん逝く

 

 パルト小石さんが亡くなりました。先週、25日は私のリサイタルでした。そこにボナ植木さんが出演していました。ボナさんはこの数年ずっと一人でマジックを演じていました。

 長らく小石さんが入退院を繰り返していことはボナさんから聞いていました。私が、「小石さんの病気はどうなの、また一緒にできるの」。と聞くと、ボナさんは、「うーん、難しいかも知れないなぁ」。と言いました。「何とか、良くなったらまた一緒にできるといいねぇ」。と言うと、「うん、そうだなぁ」。と、気のない返事が返って来ました。

 その翌日、26日に小石さんは亡くなったそうです。

 

 亡くなったそうと言うのは、人から聞いたのではなく、亡くなった報せをネットで30日に知りました。31日には新聞や、テレビなどで死亡が報じられていたようです。

 私の記憶ではパルト小石さんは、本名小石至誠。昭和27年生まれ、岐阜県出身、専修大学卒、専修大学マジッククラブでボナ植木さんと知り合い、コンビを組み、依頼マジックナポレオンズと言うコンビでマスコミで活躍。

 私とは、45年にわたる仲間でした。一緒に勉強会をして、新宿のアシベ会館で定期的に公演をしたり、イベントでも随分一緒に仕事をしましたし、私の主催したSAMの組織にも加入してくれて、世界大会にも出演してくれました。海外のコンベンションにも一緒に出かけました。

 会えばお茶を飲んだり食事をしたり、いろいろな話をしましたが、ボナさんと言い、小石さんと言い、会って話をする内容はいつもマジック以外の話で、ばかばかしい話ばかりしていました。ここに、マギー司郎さんが加わると、ばかばかしい話は一層加速します。もう昔からの仲間同士ですので、どうしようもない失敗話などが飛び交い、腹を抱えて笑いました。

 

 舞台の上では、小石さんは喋りの進行役をしていて、快活に話をしています。会うと同じようにいろいろな面白い話をします。陽気な面白い人に見えます。見えると言うのは意味深な言葉です。私は子供のころからお笑い芸人をたくさん見ているので、笑いの好きな人が、どこか暗い影があるのを知っています。

 面白いばかばかしい話を延々仲間に話している人の多くが、背中に常に寂寥感が漂うのです。心のうちにある悲しみを打ち消すかのように、表は明るく振舞おうとします。北野たけしさんしかり、私の親父しかり、マギー司郎さんしかりです。多くのお笑いに携わる人は皆そうでした。

 笑いは、心の奥底に深い闇を抱えていないと、本当の可笑しみは生まれないのかも知れません。小石さんの場合は、普段会うとばかばかしい話ばかりしていましたが、時折言葉の中に被虐的な、自分を卑下したものの言いようが出て来たり、逆に相手を軽蔑するような言葉が出るときがありました。

 「この人はなんでこんなことを言うのだろう」。と不思議に思うことがしばしばありました。すなわち彼の心の奥にある闇からのメッセージが時々出てくる人なのです。それを毒と言えばその通りです。ちらりちらりと周囲に毒を振りかけてくる人でした。

 但しこれは、悪い性格ではありません。特に芸能の世界では、こうしたマイナス要素こそ人の魅力なのです。心の奥に闇があり、ひだがあるからこそ人は魅力があり、面白いのです。明るく陽気で人が好いと言うキャラクターでは、実はすぐ飽きられてしまうのです。なぜならそれは嘘だからです。

 お笑いの世界では、相手に罵倒されるようなことを言われても、おいそれとは怒ったりしません。互いが心のひだを理解しているからです。それが笑いにつながるなら許されます。

 私は内心、小石さんのようなタイプの人は、60代くらいになってから、もっともっと話術が磨かれた先に、心の中を吐露して、闇からとび切りくだらない笑いを作ってくれるような話術を見せてくれるのではないかと期待をしていました。

 然し、60代以降、小石さんは少しずつ舞台に対する興味が離れて行ったように見えました。ナポレオンズのコンビからも離れて行き、マジックからも離れ、仲間からも離れて行ったように見えました。

 自ら飲食店をするようになり、そこにはマジック関係者などは集まらずに、全く別の世界に暮らすようになって行きます。ボナさんとも疎遠になり、私が時々電話をしても、そっけない話し方になって行きました。

 マギー司郎さんとボナさんと私が定期的に会って酒を飲むようなときにも、小石さんは参加しませんでした。元々酒をさほどに飲まない人でしたから、付き合いで会って、話をするのも億劫だったのかも知れません。そうした付き合いもしなくなって行ったのです。それは個人の考え方ですから、どう生きようと自由なのですが、昔を知るものとしては少々寂しく思います。

 2年前に、ビッグセッションと言うタイトルで、ナポレオンズマギー司郎、私の3人で座高円寺でショウをしました。

 ところが、その少し前に小石さんは入院をしました。楽屋でボナさんから白血病だと知らされました。小石さんは痩せてはいましたが、普段は健康そうで、病気とは無縁の人だと思っていたので驚きました。とにかく、ビッグセッションには出演できません。ナポレオンズの出演が、ボナ植木の独り舞台になってしまいました。

 それから2年たった一週間前、同じ高円寺の舞台での私の公演の翌日。小石さんは亡くなりました。一人仲間が去りました。去ってしまうと、いつも会って何気なく話をしていたことが懐かしく思います。

「あぁ、あの時間こそ貴重な時間だったのだなぁ」。としみじみ思います。日頃の舞台では、頭をぐるぐる回したり、腕立て伏せで浮揚をしたり、ばかばかしい芸を繰り返していましたが、それだからこそ思い出すと妙に悲しく感じます。

 心よりご冥福を祈ります。合掌。