手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

骨董鑑定

骨董鑑定

 

 私の骨董趣味は、その昔、鎌倉マジシャンズクラブの会長を長くされていた牧田高明(故人)さんの影響を受けて始めました。今でも時々買い集めています。牧田さんは鎌倉井上蒲鉾の経営をされていて、私の結婚式の際には仲人を引き受けて下さいました。

 牧田さんの趣味は、漆器の家具や、印籠と言った蒔絵を扱ったものが多く、実際に、応接間に通されると、蒔絵の棚や、文机などがずらりと並んでいて、実用として生かされていました。

 但し、その仕上がりが桁違いのもので、違い棚などは棚の裏までびっしり蒔絵が施されていて、扉も表裏ともに精緻で、一つの景色が違い棚の横から後ろから反対の横、そして裏まで、一つのストーリーが連なって描かれていました。これらを買うとなるとマンション一軒分くらいの費用がかかると想像されます。

 その牧田さんが初めて買った骨董がシンプルな印籠で、お宅にお伺いした折にそれを見せてくれました。蒔絵そのものも地味で、これなら私も少し努力をすれば買えそうなものでした。牧田さんは今も気に入って、大切にしています。

 「藤山さん、骨董と言うものは、集めれば集めるほど目が利いて来ますから、初めに買ったものなんかだんだん飽きが来て、見向きもしなくなるんです。でもね、よく考えてみると、自分が初めて骨董を買ってみようと思ったきっかけになったものですから、きっとどこかに惚れ込むだけの良さがあったはずなのです。

 その良さが何だったのか、時々出して眺めているうちに、自分が骨董の何に興味を持って買い始めたかを思い出すのです。初めのうちは間違って高いものを買ったり、あまり好きでもないものを、安いからと言って値段で買ってしまったり、随分間違いを経験するのです。でも、それもいい経験なのです。

 自分が本当に欲しかった物が何なのか、始めのうちはなかなか気づかないものなのです。初めに買った骨董は未熟であっても、安っぽいものであっても、間違いではないのです。やはりどこかに魅力があったから買ったものなのです。骨董は自分の気持ちを映しているんです」。

 と、まことに意味深い考えを教えてくださいました。また、

 「初めのころは、価値がない骨董をうっかり買ってしまうこともあります。それでもいいんです。私はお金を儲けるために骨董を買ったのではないのです。自分がそれを気に入って、その骨董に価値を見出して買ったのですから、人が低い値段を付けたとしても、自分自身がそれを気に入って買ったなら、それでいいはずなのです。縁があって自分のものになったなら、なるべく一生可愛がってやることが大切なのです」。

 これもいい言葉でした。そうなんですよね、別段利殖で骨董をしているわけではないのですから、価値が上がろうが下がろうが関係ないのです。「なんでも鑑定団」と言うテレビ番組で、所有者が100万円と予想した骨董が1000円と言う価格を付けられて、落ち込む人がいますが、別段落ち込む理由はないのです。好きで買ったなら、自分にとっては100万円なのです。

 毎日眺めて、一日100円の拝観料を支払ったと思えば、年間3万6千5百円の価値が付きます。30年飾り続ければ百万円は元が取れるのです。茶碗であれ、置物であれ、本物であろうとなかろうと、せいぜい飾って眺めていればいいのです。

 

 そうは言っても、広い部屋に金蒔絵の違い棚や、文机、硯箱などいい趣味のものが、ずらりと飾られている姿は壮観です。まるでその昔の大坂城や、安土城の御殿を髣髴とさせるような雰囲気になります。こうした贅沢は他に変え得るものがありません。私も若いころから、ある程度の歳になったなら、そうした生活ができたらいいなぁ、と思っていましたが、めでたくいい歳にはなりましたが、なかなか大坂城の御殿は達成できません。

 家の中は、ちまちまと買い集めた古物で、少しそれらしくは飾っていますが、とてもとても国立博物館が引っ越してきたような、超優れものをずらり並べられるほど豊かな世界は作り出せません。

 

 まぁ、お金持ちの生活と私の生活を比べることがそもそもの間違いです。人と比べずに自分の楽しみを作り上げなければ意味がないのです。私の手妻の道具を入れているスーツケースの中には、蝶の半紙とか、鋏、セロテープなどの文房具入れに、骨董の文箱(ふばこ)を使っています。

 これは昭和初期に作られた漆塗りの製品で、三越謹製と書いた証書が入っていました。表は蒔絵ではなく、銀の板を叩き出した富士山が彫り込まれ、漆塗りの文箱に立体的に埋め込まれています。なかなか重厚な文箱です。文箱の蓋には錫の小枠がはめられています。箱と蓋の間には、中仕切りの棚が付いていて、棚は錫製で中は鶯色のビロードが敷いてあります。

 この錫製の中仕切りが、蝶の半紙と海老茶のビロードの小さなマットを収めるのにぴったりのサイズです。更にその下に、ルーペや懐中電灯、矢立や、扇子が収まっています。その脇に細い玉手箱も入れています。

 これは文箱とは別に買い求めたもので、裏表全てに蒔絵が施されていて、元々は筆か、小さな文を入れるために使っていたと思われます。私はこれに鋏やピンセットなどの少し長い文具を入れています。上蓋と、下の箱を赤い紐で結ぶようになっていて、箱の上に赤い房が並ぶとまさに玉手箱で奇麗です。これら全てを三越の文箱に収めると蝶の小物が一つにまとまります。

 蝶を演じる時には、楽屋の化粧前の左に三越の文箱を置き、中の錫の盆を右手に置き、そこから小さな海老茶のビロードのマットを取り出し、広げて中央に置きます。そして、小さな筆箱から鋏や、ピンセットを取り出して、蝶の仕掛けを作ります。

 こうして、楽屋の机の上を蒔絵や漆塗りの骨董で奇麗に並べると、牧田さんのお宅の御殿のようにはいきませんが、殺風景な楽屋に一つの世界が出現します。その中で無心になって、蝶の支度をすると徐々に私の語りたい世界が出来て行きます。

 これがいいのです。明治大正時代の人は何を夢と感じていたのか、あるいは江戸時代の人は手妻のどこに夢を求めていたのか。そこに思いを馳せつつ、支度をして、衣装を着けて、そして舞台に上がる。この一連の時間が最高に幸せなのです。

 蒔絵の付いた文箱はかなり重く、そんな入れ物を使うよりも、プラスチックケースを使ったほうがよっぽど持ち運びは軽くて済むのですが、ここは譲れません。無駄と分かっていても贅沢をしたいのです。それが私の世界なのです。

続く