手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

蕎麦打ち

蕎麦打ち

 

 昨日(27日)、かねてから約束していた、マジシャン4人がやって来て、つまみを持ち寄り、日本酒を飲む会を致しました。集まってきたのは、高橋司さん。中島弘幸さん。古川令さん。あさ子さん。なぜ私のところに集まってきたのかはわかりませんが、いろいろな食材を持ってきてくれて、しかも中島さんが手打ち蕎麦を作ってきてくれて。私の家でそばをゆがいて、出してくれると言う、豪華な企画です。

 夕方4時30分頃に皆さんやって来て、一階のアトリエで先ずビールで乾杯。パーティー開始。初めに、古川令さんが、新しく考えたカードマニュピレーションを披露。古川さんは、あちこちのコンテストに熱心に参加する人で、私も以前から古川さんの演技は随分拝見しています。

 この度は、ワンデックで17回連続ファン出しが出来ると言うハンドリングを考案されて、横向き、正面、と体の向きを変えて、カードが出て来ます。手に残った1枚のカードを投げて、キャッチした瞬間に10枚くらいのカードになる所が優れ物です。1枚のカードと思わせたものが、何度も数十枚のカードの変化します。ギミックは使わず、指先の技術だけで演技を作っています。

 今度の10月20日のマジックファンデーションのコンテストで披露するそうです。マジックに対する熱心さは敬服します。わざわざ私に見せてくれると言うのは恐縮です。

 

 あさ子さんは、ときどきマジックの会合でお見掛けしますが、私の家に尋ねて来るのは初めてです。マジックの好きな育ちの良さそうな女性です。一度じっくりお話をしたいと思っていました。前回のスピリット百瀬さんのしのぶ会でもお会いしています。ただしこの晩は、他のパーティーにも出なければならず、小一時間で帰ってしまいました。残念でした。

 この後、パーティー会場を二階に移し、応接室で日本酒を開けました。高橋司さんが持ってきた、埼玉の酒、文楽を初めて頂きました。辛口で、呑むと小さな刺激があります。でもとても呑みやすい酒です。

 途中、中島さんが3階のキッチンに行き、蕎麦を茹で始めます。蕎麦は既に打ってありますから、茹でるだけでざる蕎麦が出来ます。中島さんは近年、そば打ちに凝っているそうで、人に振舞うことが趣味だそうです。いい趣味です。

 出来上がった蕎麦は、大きな漆塗りの盆に盛られて出て来ました。思いっきり細く、きれいに太さが揃っています。いやいや、知らずに見たら、東京の一流そば店の蕎麦に見えます。これはわざわざ持って来るだけのことはあります。

 私は中島さんをずいぶん昔から知っていますが、こうまで食にこだわる人だとは思いませんでした。大体マジックを趣味とする人の多くは、食に鈍感な人が多いように思います。何を食べさせてもウンでければスウでもない人がたくさんいます。

 然し、この蕎麦は別格です。先ずゆで時間がジャストタイミングです。蕎麦の腰が残っていて、しっかりしています。蕎麦は噛むとほのかな生な香りがします。このわずかな香りが蕎麦の値打ちです。いや、驚きました。これだけの仕事をするとは、びっくりです。

 これほどのそばを食べさせてくれるなら、年に数回私のところでパーティーをしてほしいと思います。更に、古川令さんが、鰊の甘露煮を買って来てくれました。関西の老舗のものだそうです。

 京都は鰊蕎麦が有名ですが、あの細長い身を甘く煮た鰊です。通常は温かい蕎麦に鰊の身を乗せ、少し蕎麦でくるんで出してきます。見た目は黒い鰊が乗っているだけの蕎麦ですが、食べてみると絶品の旨さです。東京で鰊蕎麦を食べることはまずないのですが、鰊の身を眺めているうちに、京都の鰊蕎麦を思い出しました。

 その鰊がここにあります。身をいくつかにほぐして、ざる蕎麦と絡めて汁に付けて食べてみました。そうそう、この味です。ほぐれやすい鰊の身にじっくり染みた甘みと、鰊が持っているほのかな脂身が混ざっていい味わいです。あぁ、この晩に鰊蕎麦が食べられるとは思いもしませんでした。有難い。

 蕎麦で空腹を満たした後は、酒を呑みながら、マジックの話に花が咲きました。今まで個別に話をすることはあっても、このメンバーで話をすることはありませんでした。ここにもう一人、カズカタヤマさんが加わって、いつもは5人で食事をしているそうです。カタヤマさんはこの晩は仕事で来れませんでした。

 年齢的には、みんな60代になったばかりでしょうか。私より10歳くらい若い人たちです。みんなマジックをやって夢を追いつつ、もう60になったのですね。私の仲間、マギー司郎ボナ植木と言った人達よりも、10年世代が下った人たちです。

 それでも仲間がいて、定期的に集まって話が出来ることは幸せです。司さんと言い、中島さんと言い、このところ、頻繁に会います、長岡のコンベンションの時も、百瀬さんの追善の会も、これも何かの縁なのでしょうか。

 聞くところによると、司さんと中島さんは、秋葉原でレクチュアーや、ショウの公演をしているそうです。いいですね。やはり自分たちで積極的に公演をして行かないと、活動はどんどん後ろ向きになってしまいます。何とか、少しでも外に向かって発信して行かないといけません。

 そうした会があちこちで開催され、マジシャンの活動が増えて行くことが、マジック界を活性化させてゆくことになります。3年に渡るコロナ禍によって、芸能は大きな打撃を受けました。ここでめげることなく、公演を続けることこそ、生き残りのカギとなります。せっかくの縁を生かして、精一杯支援したいと思います。

続く