手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

空を飛ぶ

空を飛ぶ

 

 私は子供のころから、空を飛ぶ夢を、何百回も、何千回も見ています。それも大体同じ場所で、同じやり方、同じ状況で突然始まります。全く、今に至っても、その夢は出て来ます。

 ほとんどストーリーなどはありません。小学生の頃の自分が、学校に通う通学路を歩いていて、突然「飛んで見よう」。と思い立って、何度も練習を始めます。また、時には、原っぱで仲間と遊んでいるときに、自分だけ思い立って、飛ぶ稽古を始めます。

 ところが、飛ぶと言う行為はなかなか夢の中でも達成できないのです。先ず十分な助走をつけて、三段跳びの如くに右足、左足を大きくまたいで、三歩目で両手を伸ばし、体を水平にして、水泳の如くに身を任せて、全身で飛びます。

 ところが、どう考えてもそんなことで飛べるわけはありませんから、体が水平にはならず、思いとは逆に、ついつい、足が地面についてしまいます。そして、前のめりになった状態で、足でバタバタと走って転んでしまいます。

 夢の中ではこれを何度も繰り返します。周りで友達が遊んでいても関係ありません。一旦飛ぼうと決心したら、私は飛ぶことに没頭します。そもそも、飛ぶと言う表現が少し違っていて、初めこそジャンプしますが、その後は、空中を泳ぐ形なのです。体を水平にして、両手、両足をまっすぐに伸ばして、浮遊する状態になります。

 夢の中の自分自身も、こんなことで飛べるわけはないと思っているのですが、何十回、何百回と助走をつけて走っているうちに、飛ぶコツを身に着けて行きます。それはある種哲学にも似ていて、「自分自身が飛ぼうと思わないから飛べないんだ。まず自らが飛ぼうと本気で思わなければ飛べない」。という結論に至ります。

 三段跳をして、走り出したときは、何も考えず、足取りも軽く飛んでいるのに、三歩目になって、いざ飛ぼうとすると、体が躊躇してしまいます。「落ちて怪我でもしたらどうしよう」。と急に弱気になります。飛ぶ瞬間、自分を捨てて「五体投地」をしなければ飛べなんだと自分に言い聞かせます。

 五体投地とは、全てを捨てて、身を天に任せることです。飛ぶとか、飛ばないとかは自分が決めることではなく、身を任せた先にある行為だと言うことなのです。結局、そこに踏ん切りがつかないために、小学生の私は飛べないのです。

 夢に出てくる私は小学校4,5年生でしょうか。真剣に空を飛ぼうと思いつつも、肝心なところで自分自身を守ってしまいます。手も足も伸ばして、完全に身を天に任せて、自分自身を捨てると言うことができないのです。

 然し、「そんなことをしたら体ごと道に落ちて、服は泥だらけになり。顏を擦りむいてしまう」。その通りです。でも全て捨ててかからなければ、飛ぶことはできない。その一瞬の踏ん切りが出来ないのです。

 こんな心の葛藤を延々繰り返し、夢の中で私は徐々に疲労して行きます。すると、体に力が抜け、脱力感とともに、精神的な安らぎを覚えます。「あれ、今なら飛べるかも」。そう思って、助走もなしに、両足を蛙飛びのようにようにしゃがみこんで、軽く飛んでみます。すると、体は実に軽く、空中に浮きあがり、ゆっくり浮遊が始まります。

 「何だこんな簡単なことだったのか」。嬉しさと、これまでの無駄な努力を繰り返してきたことの虚しさを感じます。さて、飛ぶには飛べましたが、これで落ちないと言う保証はありません。「もう少し、いい姿勢で、泳いでみよう」。そう思って、平泳ぎの形で空中をさまよいます。すると、面白いように体はゆっくりと空中を漂い始めます。

 うまく上昇気流に乗ると、数十メートル上空までふわりと浮き上がるのです。眼下には私が生まれ育った池上の町が小さく見えます。池上小学校も、呑川も、本門寺も、五重塔も、遠く第2京浜国道も見えます。実にいい眺めです。さっきまで、一緒に遊んでいた仲間のことなどすっかり忘れています。

 ひとしきり空を飛んだ後、別段どこかに着地するわけでもなく、目が覚めます。と、まぁ、こんな夢を年に数回みます。夢も馴染みになると、夢を見ているのに夢であることを自分自身で認識しています。「あぁ、また同じ夢を見ている」。と頭のどこかで諒解しています。

 飛べない理由は、助走の巧い拙いではなくて、五体投地にある。と言うことも既に私は知っています。知っていながら、夢の中では小学生の私が、同じ間違いを繰り返します。それを大人になった私が、小学生の私に耳元でささやきます。でも小学生の私は気付きません。毎回同じ失敗を繰り返し、修行をします。

 

 なぜ私がこんな夢を見るのだろうか。と、長い間疑問に持っていました。それが、どうも空を飛ぶと言うことは、芸能を習得して舞台に出る気持ちと同じなのだと気付きました。マジックを演じると言うことは、ただ演じていればお客様が喜んで見ていると言うものではありません。

 そもそも、マジックとは手技で不思議なことを見せるものではないのです。トランプが当たることも、ボールが出たり消えたりすることも、それらはすべて些末なことで、実は、お客様は何一つそうした芸を求めてはいないのです。

 ではお客様はマジシャンに何を求めているのかと言えば、自分を無にして、様々なしがらみから逃れて、ふわっと空を飛んで見せることなのです。空を飛ぶような体験に似た、世界を見せてくれる芸能人にこそ人は憧れるのです。

 無論、マジシャンであるなら、マジ良くはしなければなりません。然し、それは飽くまでお客さんとマジシャンをつなげるきっかけのようなものであって、それだけをいくら見せられても、お客様には何の役にも立たないのです。

 それほど世間の人は、社会のしがらみから解放されたいのです。本10分でも20分でも社会から解放されたいのです。そのために芸能に引き寄せられて舞台を見に来るのです。

 ところが、演じるマジシャンも、これがまた、世間のしがらみに縛られていて、何の悩みもなく空を飛ぶことができないのです。ただ飛ぶだけなのに、それしきのことがマジシャンにはできないのです。好きで始めたマジックなのに、なぜ遠慮がいるのでしょうか。結局お客様は満たされない思いを抱いたまま、どうでもいいマジックに付き合わされるのです。

 さて、かく言う私も、ふわっと空中を浮遊するようなふわふわとした雲のような芸能を作り上げたのかと言うと、長い間その境地に至らなかったのです。ただ、最近ようやくふわふわした世界を作り出せるようになったように思います。

 10歳から同じ夢を見続けて、ずっと何のことか、分からなかったのですが、ようやく60代の末に至って、夢の意味が理解できたように思います。

 理解は出来ても、いつ空から落ちてしまうかわかりません。夢の結末を見ることなく、いつも途中で目が覚めますのでどう終わっていいいかが分かりません。ここから先は私が作らなければならないのでしょう。

続く