手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

片倉雄一のこと

片倉雄一のこと

 

 昨日(29日)にMHさんのことを書いていて、書いている間中、片倉雄一さんのことを思い出していました。片倉雄一さんは、マジックのクリエーターであり、マジックメーカーのトリックス社に勤務していて、実際、八重洲口のトリックスマジックショップで実演して見せていた人で、人当たりのいい、穏やかな性格で、クロースアップのずば抜けて上手い人でした。今に残るWショックは彼の作品です。

 残念なことに、鬱(うつ)病質なところがあり、いったん鬱の状態に入ると一か月も二か月も部屋に閉じこもって人と会うこともせず、仕事もできない。当然、マジックも出来ません。この病気がどうして罹るのか、また、どうしたら直るのか、私にはわかりません。ただ、闘病中は自身の中で相当な葛藤があるのでしょう。売り場に復帰すると、げっそりと痩せていました。

 気の毒なことは鬱のさ中に自殺したことでした。30代だったと思います。私とは年一つ違いで、私が二十歳くらいからトリックスに出入りしていた頃に知り合い、会うとよく一緒に酒を飲んでいました。

 彼は日頃はおとなしい性格で、落語や漫才が好きで、私とは、お笑いの話をしょっちゅうしていました。マジック仲間でお笑いの話が出来る人は少なかったらしく、彼は私を見ると、進んで飲みに行きたがりました。私がくだらない話をすると、腹を抱えて笑い、呑んでいる間中思い出しては笑っていました。

 大概のマニアは、片倉雄一さんと会って喫茶店などに行くと、すぐにカードやコインを出して、技法を習おうとします。私はそれを一切しません。そのことが彼に無理な緊張感を強いることがなかったと見え、いつでもとてもリラックスして私と話すことを楽しんでいました。

 普段は売り場に立って、マジックを見せているか、あいている時間は、机の前で、紙を切ったり張ったりして、マジックの小道具を考案していました。私がMHさんを見て、何となく片倉雄一さんに似ているな、と思ったのは、机の上で作品を切り張りしているであろう姿を想像してでした。

 彼もよくカードを切り刻んで色々なマジックを作っていたのです。しかもその作品の仕上がり具合がMHさんの作品とよく似ていました。彼の作ったカードトリックを、私が舞台でやってみたいと言うと、彼は惜しげもなくくれました。しかも、「私が演じる時は、ステージだから、大きいものでないと見えないよ」。と言うと、半月位して、ジャンボカードで作っておいてくれました。作る日数を思うとなにがしかの謝礼を払わなければいけないと思い、「幾らお支払いしたらいい?」。と尋ねると、「お金はいらない」。と言います。「いつも笑わせてくれるから、そのお礼」。と言いました。全く欲のない、素直で穏やかな性格の人でした。

 

 彼のマジックにはファンが多く、売り場はいつも何人かのファンがいました。彼がマジックを見せるのは売り場に立った時だけで、クロースアップのショウをしたり、コンベンションに出ることはほとんどありませんでした。「僕はショウとしてマジックを見せることは上手くない、目の前にいる人にちょっと見せるだけでいいんだ」。と言っていました。

 私にすれば、マジックと言うのは、舞台衣装を着て、化粧をして、音楽に乗せて、華麗に派手に見せることだと了解していたものですから、彼がそんな風に密かにマジックを見せていることが不思議でなりませんでした。

 そもそも、昭和40年代では、まだクロースアップはショウとしては成り立っておらず。クロースアップで収入を得て生活している人は皆無でした。唯一バーマジシャンというジャンルが、バーで飲みに来たお客さん相手にサービスでマジックを見せていたくらいで、あくまでそれは酒を飲んでくれたことへのサービスで、マジックで収入を得る場ではなかったのです。

 

 一度彼と飲むときに、売り場のお客さんのヒロサカイさんを連れて来ました。片倉さんがなぜヒロサカイさんを連れて来たのかよくわかりません。彼はまだ学生でした。片倉さんはどこかで才能を認めていたのでしょう。三人で飲み屋で盛り上がり、そのあと私のマンションに行き、朝まで酒を飲みました。二人ともとても酒が強かったのです。

 私は丸一日付き合わせて、私の家まで連れて来てしまったことを申し訳なく思い、翌日に交通費を渡そうとしました。然し、片倉さんはそれを受取ろうとしません。「面白かったからいいよ」。と言っていました。

 

 この頃学生だった、ヒロサカイさんや、前田知洋さんがそれから10年近く経って、ようやくクロースアップの仕事が成功するようになります。それは時代が平成に変わり、バブルが弾けた後のことでした。

平成に入ってすぐにマリックさんが出て来て、500円玉にたばこを通して世間をにぎわせていた頃でした。

 すぐに同じような超魔術師がぞろぞろ現れて、それまでクロースアップを趣味としていたマジック界ではおなじみの人たちが一躍、超魔術師としてテレビ番組に出るようになったのを記憶しています。クロースアップが世間に認知される前に、超魔術ブームがあって、超魔術によって、クロースアップの手法が認知されていったわけです。

 つまり小さなマジックをテレビでどう見せたら効果を上げられるか、そのことを真剣に考えて答えを出した人はマリックさんだったのです。

 ところで、その後のクロースアップマジシャンの成功を片倉雄一さんは見たのだろうか。と考えると、微妙な時期だったと思います。まだ彼が生きていた時代はクロースアップの華々しい成功はなかったように思います。

 片倉さんの人生はクロースアップが花開く一歩手前で終わったのです。終生、収入とか、名声とかには無縁で、創作をしても、そのうちの何作はトリックスで販売されましたが、大概は仲間内に配ってしまい、見返りも求めませんでした。

 狭い世界で知られてはいても、ただ売り場でマジックを見せることだけを喜びとしていた人でした。片倉雄一さんを思うにつけ、今になって人の人生なんて一体何なのかとしみじみ思います。

続く

 

 8月7日(日)日本橋アゴラカフェ マジック&手妻の公演

 日本橋マンダリンホテル二階、アゴラカフェにて、出演、藤山新太郎、藤山大成(前田将太)、穂積みゆき、小林拓馬、せとな、

入場料5000円、食事付き、12時から 事前にご予約ください。6262-6331 アゴラカフェ。