手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大谷選手の危機

大谷選手の危機

 

 ついに危惧していた結果になってしまいました。大谷選手は、今シーズンの終了を待たずして入院をし、トミー・ジョン(靱帯断裂の手術)を受けることになりました。やはり日頃の無理が祟ったのです。

 今すぐ手術を受けて、リハビリに励めば、来年4月にはバッターとしての復帰は可能だそうです。投手の方は?・・・。難しいですね。やはりアメリカンリーグで、二刀流を維持することは人間業を超えているのです。

 いくら練習を積んでも、才能が有っても、人ひとりの体力には限界があります。人にできないことをすれば、もちろん人は注目をします。でも、それは常に無理を繰り返すことになります。無理を繰り返せば、日々体力をすり減らすことになりますし、怪我や病気に悩まされることになります。

 これまでも連日ボールを投げ続け、相手チームを制止つ、回が変われば打者として、ホームランを打ち続けてきたのです。それをすれば、大谷見たさで集まって来た5万人の観衆は熱狂しますし、また明日も野球場に出かけようと一層応援に熱が入ります。

 しかし、然しです、恐らくその熱狂の影で、毎晩大谷選手は靱帯の痛みに、涙を流し続けていたのです。いくら激しい痛みが続いたとしても、彼が好きで選んだ野球人生です。自分から休みたい、やめやめたいとは言えないのです。自分が打てば、投げれば観客が喜ぶことを知っているのです。

 人気を得ると言うことは過酷なことです。常に人間技を超えたことをして見せなければ人気は維持できません。しかしそんな生き方をすれば、確実に選手生命は縮まって行きます。

 人の一生を蝋燭に例えて、太く短くとか、細く長くとか、勝手に語る人はたくさんいますが、大谷選手に関して言うなら、明らかに太く短い人生を突っ走っています。本当にそれでいいのだろうか、見ていて心配になりますが、当人はそれを承知なのでしょう。

 そのぎりぎりの綱渡りを繰り返していた人生が、いよいよ限界を迎えたのが、8月24日のレッズ戦です。これはまさに劇的な出来事でした。この日も二刀流で、一回は投手として難なく相手を制します。そして打者としては44号ホームランを打ちます。大谷選手見たさでやってくる観客は大喜びです。しかし問題は二回に起きました。

 この日大谷選手は、一見快調に投げていたのですが、突然ボールを握ったまま体が動かなくなりました。仲間やコーチが心配して寄って行きます。ここで初めて、大谷選手は腕が動かなくなったことを伝えます。さっきまでホームランであれほど騒いでいた観客も静まり返ります。無論、こうなっては降板です。

 大観衆は、この時始めて大谷選手が時限爆弾を抱えていたことを認識します。一回目で44号ホームランを打って、二回目で休むことなくピッチャーをすることはやはり無理なのです。人間技を超えているのです。

 結果は靱帯断裂です。これは2018年に一度手術をしています。この手術後は体調がよくなり、数々の記録を連発するようになります。

 然し、それは決して体調が良くなったわけではなかったのです。仮に良くなったとしても、余りに体を酷使し過ぎたのです。これではこの先野球を続けることも出来なくなります。彼の体は始めからXデーが決められていたのです。いくら練習をしても、努力をしても、体を過剰に酷使しては、その日は必ずやって来るのです。どうしたらいいでしょうか。

 私は打者一本に絞ることしかないと思います。ピッチャーを諦めることです。かつてのベーブルースがそうしたように、やはり無理なことは無理なのです。ここから先は一日も長く野球を続けて行くことを考えたほうが良いと思います。

 

 と、偉そうなことを言ってしまいましたが、マジシャンが何を言っても、大谷選手はそれで満足は出来ないのでしょう。そんな人生はつまらないのです。太く短くてもいいから、人のできない記録を残すような選手になりたいのです。今の状況であっても、彼の二刀流を認めて投げさせてくれると言う球団があるなら、たとえエンジェルスであっても彼はそこに留まるでしょう。

 彼にとってはお金の問題ではないのです。あと5年活躍出来て、同じことがまた起こったとして、野球人生を終えたとしても、きっと彼ならその道を選ぶでしょう。お金よりも、命よりも、彼にはやりたいことがあるのです。

 

 でもどうでしょう。ここはひとつ、生き方を変えなければならないのではないでしょうか。ひとつことを突き詰めて、結果から逆算した人生を設計することも素晴らしいことではありますが、一度頭の中をニュートラルにしてみることも大切です。計算した通りには人生は生きられないのです。ひとつことばかりを考えていては、必ず挫折をしますし、挫折をした時に別の価値観が見いだせなければ、生きて行くことも難しくなります。

 こんな時に、私の蝶の芸でもボヤッと見てはどうかと思います。何のことはない紙の蝶がただ飛ぶというだけの芸ですが、それを見ているうちに、全く違う価値観が生まれて来たなら、大谷選手のこの先の人生に役立つのではないかと思います。

 と、手前勝手なことを言っていますが、ひとつの芸能が長く生き残って来たと言うことは、そこの何か観客が求める救いがあるから続いてきたのだと思います。日本には、困ったとき、限界が来た時に戻って考える場所があります。人は強い時ばかりではないのです。どうにもならない苦しくつらいときもあるのです。そんな時に寄り添って考えてあげる世界が日本にはあるのです。それが歴史ある国の有り難さなのです。

 こんな時に、大谷選手と私の蝶が結び付いたなら、面白いと思います。そう言う日が来るでしょうか。来たなら、仲間になって差し上げたいと思います。

続く