手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

くすぶり続けるジャニーズ問題

くすぶり続けるジャニーズ問題

 

 以前にこのブログでも書きましたが、カウアンさんの告白以降、あちこちから、昔、ジャニー喜多川さんから性被害を受けたと言うタレントが、名乗りを上げ、もはや、この問題は既成事実だと言うことが明らかになりました。

 この問題が、50年間に渡ってなぜ問題視されなかったのか、というのは、実は、何度も問題にされ、タレントが何人も、本にまで書いて告発してきましたし、裁判にもなっていながら、いろいろなことでもみ消されていたのです。

 それでも、これまで大きく報道されなかったのは、ジャニーさんがタレントを使う立場の人であり、そこで雇われている未成年者は明らかに弱い立場にいて、力関係で不満を押さえつけていたからでしょう。

 とはいえ、彼らは未成年者でしたし、性行為が繰り返されることは違法行為ですから、告発本や、裁判がなされたのなら、もっと警察は真剣にこの問題を捉えなければいけなかったはずです。それを今に至ってもうやむやなままで、ジャニーズプロモーションもそのまま仕事が成り立っていると言うのが不自然です。社会はどこか、タレントの性被害に対して甘いのです。

 個々のタレントは、覚せい剤や、傷害や、事故を起こせば、すぐにテレビ局は、番組を降板させたり、配役を変えたり、ドラマ自体をキャンセルするのに、もっと大きな問題を起こしてしまっている芸能プロダクションに対しては余りに寛大と言うか、野放し状態です。

 「この話に首を突っ込んでしまうと、ドラマもバラエティ番組も、コマーシャルも成り立たなくなってしまうから、テレビ局は何も言えないんだ」。とある大手のプロダクション経営者が言っていましたが、実際その通りなのでしょう。

 ジャニーズプロでは、再発防止委員会を立ち上げて間違いを正す、と言うことになったようですが、ジャニー喜多川さん亡き後のジャニーズプロならば、今後、ほとんど性加害の問題は起こらないでしょう。なぜなら問題の根は100%ジャニー喜多川さんの趣味趣向とつながっていたのですから。

 まずジャニーズプロは、ジャニー喜多川さん時代の性被害を整理して謝罪をして、早急に慰謝料を支払うべきです。この50年間で被害に遭って人たちは膨大な数になるでしょうから、とにかく、出来る限りの慰謝料を支払うことです。その解決をしない限りずるずる被害者の告発は続き、問題は消えません。

 そして、次は、似たようなことをしている芸能事務所だの、劇団の幹部だの、テレビ局のプロデューサーです。力関係で女優に性加害を加えることなど芸能の世界では日常茶飯事です。未成年を対象にしてはいないものの、男女を問わず、弱い立場のタレントに性加害をしている人たちをこの際焙り出すことです。

 但し、これは簡単ではありません。この手の問題が日本は徹底的に甘いのです。芸能と性はぴったりくっついていて、簡単に切り離して語れません。マジックの世界では性のトラブルが起きないのは、さほどにいい男、いい女がいないからです。どれもたいした人がいないからそもそも騒ぎにならないのです。

 女優の世界にはとんでもない美人がいますし、実際、大スターが同じスタジオに一緒にいると言うだけで、周囲の人は、とんでもない緊張が走るのです。そんな人がそばにいて、親しく話が出来て、恩だの義理だのが絡まって親密になって行けば、性のトラブルが生まれるのはやむを得ない(と言うのは間違いです)、のかと、勝手に勘繰ってしまいます。

 どうしても芸能は色事とつながりやすいのです。芸能で言う、お客様、ファンという物が、時として傷害事件に発展したり、客同士で激しい争いをすることがありますが、全ては一方的な色ごとのもつれと考えてよいと思います。

 スターに憧れて芸能界に入っても、入ってみれば予想だにしなかったことの繰り返しになります。その中で長く生きて行くのは簡単ではありません。プロダクションの思惑、テレビ局の思惑、お客さんの思惑、全てが目的が違うのです。

 

 ファンとの握手会をするときでも、一人ひとり握手をしているにもかかわらず、「あの人だけ私より3秒くらい手を握っている時間が長かった」。とか言って嫉妬するファンがいます。嫉妬するだけならいいのですが、それが高じて、傷害罪にまで発展したりします。そうなるとタレントでは対処のしようがなくなります。

 タレントは頼まれればいつでもにこにこ笑ってサインをしますが、私はかつてある歌手と市民会館を何日も回ったことがあります。毎日毎日、行く先々の市民会館の楽屋に入ると、そこには300枚も400枚もの色紙が積まれています。そこにスポンサーさんへサインをして欲しいと言うのです。二枚、三枚の色紙なら喜んで書くでしょうが、実際毎日の移動を見ていると、場所が変わる度に、連日400枚の色紙を朝からサインペンを持って楽屋で書いている姿を見ると、人気者も楽じゃあないなと思います。

 その上、楽屋に尋ねて来るファンがチョコレートや、饅頭を持って来ます。その数が100も200も集まります。とても食べられるものではありません。然し、それらを粗末には出来ません。ファンは良かれと思ってしているのです。

 仕方なく出演者や関係書に分け与えますが、出演者も関係者もお菓子を連日食べ過ぎて既に糖尿病になっています。せっかくのお菓子をみんな食べたがらないのです。マジックのような小さな集まりなら、何を持ってきても有難がって喜んで食べますが、それはもらい慣れていないから喜ぶのです。

 手紙も困ります。お菓子や花に挟まって、心を込めた手紙が入っていますが、それが300通もあったなら、もう読めないのです。すべてはタレント自身が持っている時間が足らな過ぎて、対応ができないのです。饅頭も、お花も、色紙も手紙も、何も持ってこないお客様が一番いいお客様なのです。

 それでもお饅頭をくれるファンはまだ素直ないいお客様です。愛情が高じてストーカーになったり、更に相手にされないことに腹を立てて傷害事件を起こされたりすると生命の危険が起こります。人より抜きんでて美人であると言うことは、それだけリスクを背負って生きることになります。

 ジャニーズプロの中でも、ジャニーさんに如何わしいことをされてショックになった未成年者がたくさんいた半面、いくら待ってもジャニーさんからお呼びがこなかった少年もいたのです。そんな少年はラッキーだったかと言えば、微妙でしょう。色ごとにまみれた社会にいて、全く相手にされなかったと言うことは、被害はなかったけども、成功の道もなかったのです。そこで自身の才能に早くに気付いて、さっさと諦めて他の道を探したなら、青春の良き思い出として一つ話に残ったでしょう。一つの社会の先端部分で生きると言うことは常に危険と隣合わせなのです。

続く